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チベットのこれから

今日は、チベット暦のロサル(正月)。来週になれば、チベット民族蜂起記念日がやってくる。

ラサをはじめとするチベット各地で大規模なデモが発生し、それが中国当局によって容赦なく粛正されたのは、ほんの三年前のことだ。当時は日本でも六本木で二千人規模のデモが行われたが、あの時の怒りと悲しみを今も覚えている日本人は、はたしてどれくらい残っているだろうか。ほとんどの人にとっては、遠い異国の出来事でしかないのかもしれないけれど、チベットの人々は、五十年以上もの間、その何百倍もの怒りと悲しみを抱えながら生きている。

現在開催されている全人代で、温家宝首相は、少数民族への監視と宗教の管理を徹底的に強化することを表明した。チベット人やウイグル人の自由はますます狭まり、信じるものさえ奪われていく。でも、はたしてそんなやり方が、この先もずっとまかりとおっていくだろうか? 僕はそれは無理だと思うし、許してはならないとも思っている。

今、中国では、毎週日曜日のジャスミン革命についてのネットでの呼びかけが、当局を慌てさせている。たった一行のツイートが、十億の民を抱える国を揺り動かしている。もしかすると、ひょっとすると、中国人は本当に、自ら変革を成し遂げてしまう可能性がある。そしてその時は、案外すぐ近くに来ているのかもしれない。

ボランティアについて思うこと

僕が初めてボランティアらしい体験をしたのは、今から十年ほど前、コルカタにあるマザーハウスでのことだった。

旅の途中で知り合った人に誘われて、僕は、カーリー寺院の近くにある「死を待つ人々の家」で、末期の患者さんたちに食事を配ったり、シーツや衣服を洗って干す手伝いをした。そこには同じように手伝いをしに集まった、大勢の日本人の若者たちがいた。会社を辞めて作家になろうと考えている人、二週間の休暇を全部注ぎ込んでマザーハウスに来ている人、夏休みで旅行している大学生‥‥。洗濯物がはためく屋上で、彼らとおひるを食べながらお互いの話をした時のことは、今もよく憶えている。

日本では、以前からダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサポートをしている。ダライ・ラマ法王(僕たちは猊下とお呼びしている)が来日されて講演や法話を行われる時に、会場の入場整理やマスコミ対応、場内警備などのお手伝いをしたり。以前、護国寺でチベットフェスが開催された時は、ほぼ毎日会場に通って、設営や入場受付の手伝いをしたりもした。当時の法王事務所のボランティア仲間たちとは、そんなこんなですっかり仲良しになった。

マザーハウスや法王事務所のボランティアをしていた人たちに共通して感じたのは‥‥みんな本当に「気持のいい」人たちだなあ、ということ。彼らには、自分がボランティアという行為をしていることをひけらかす意識は微塵もない。そこに困っている人がいるから、そこに人手が足りないから、自分が手伝う。ただそれだけ。見返りとか、周囲の評価とか、そんなものはまったくどうでもいい。僕が彼らに人間的な魅力を感じるのは、そういう清々しさなのだろうなと思う。実際、僕自身も彼らから学んだことはたくさんあった。

世間には、自身のボランティア活動をまるで職業か何かのように謳う人もいるけれど、ボランティアは、そんな風にひけらかすものではないような気がする。やりたい人が、やれる範囲で、スーッと当たり前にやればいいこと。そういう世の中になれば、もっといいのになと思う。

ヤルツァンポ大峡谷

何だか気持が塞いでいて、終日、部屋でだらだらと過ごす。

夜、NHKスペシャルの「天空の一本道 ~秘境・チベット開山大運搬~」という番組を観る。ヤルツァンポ大峡谷の寒村に暮らす人々が、夏の間だけ通行可能になる山道を通って、一番近くのポメの街まで、片道三日かけて往復する様子を追ったドキュメンタリー。ズルッと足を滑らせたら谷底までまっさかさまという崖っぷちの細い道を、黙々と歩いていく人や馬たち。‥‥どこかで身に覚えのある光景だ(苦笑)。ラダックで経験した山道と比べても、ルートの難易度はそれほど高くないように見えたが、雨が多そうだから、土砂崩れが来るとヤバいかも。

若い奥さんから「洗濯機が欲しい」と言われ、街で買った重さ三十キロもある洗濯機を担いで帰ってきた人は、「来年は冷蔵庫が欲しい」と、無邪気で無情なおねだりをされていた(苦笑)。あの村でなら、洗濯機や冷蔵庫がなくても、家族と一緒に愉しく笑って暮らしていけると思うのだけど‥‥。

このヤルツァンポ大峡谷でも、中国は着々とレジャー関連の開発を進めているらしい。

ノーベル平和賞

2010年のノーベル平和賞の受賞者は、中国人の民主活動家、劉暁波さんに決定したそうですね。中国のみなさん、おめでとうございます。みなさんにとって長年の悲願だった、中国国内在住の中国人で初のノーベル賞受賞。実に喜ばしいことです。

聞けば、劉暁波さんは、共産党の一党独裁体制の廃止や、民主的な選挙の実施、言論や宗教、集会の自由などを求めた「08憲章」の起草者だそうですね。現在は‥‥刑務所で服役してらっしゃるんですか? 国家政権転覆扇動罪? それはまたどうして? まあ、ノーベル平和賞を受賞されるほどの方ですから、中国の刑務所でもさぞかし厚遇されているのでしょうね。

国内在住の中国人初のノーベル賞受賞というビッグニュースですから、大々的に報道されているのかと思いきや、中国各紙ではほとんど報じられていないようですね。なんと奥ゆかしい国民性でしょう。NHKやBBC、CNNなどといった海外メディアの放送を遮断して画面を真っ黒にしたり、インターネット上の関連情報を削除したり、携帯電話のショートメールを制限したり、その徹底した奥ゆかしさっぷりには、いつもながらつくづく感服します。

中国外務省からは「劉暁波の受賞はノーベル平和賞を侮辱するものだ。中国とノルウェーの関係に損害をもたらすだろう」というコメントが出されているようですが、これは‥‥日本でいうところのツンデレですよね? いくらうれしいからって、国家レベルでヤクザまがいの脅しをかけるふりをするなんて、もう、照れ屋さんなんだから。

もしかすると来年は、中国人ではないけれど、たとえば世界ウイグル会議議長のラビア・カーディルさんがノーベル平和賞を受賞したりするかもしれませんね。その時は、もっと素直に受賞をお祝いしてあげたらいいんじゃないかと思いますよ、中国のみなさん。

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ダライ・ラマ法王の11月の来日スケジュールが公式発表。大阪、奈良、四国、広島での法話や講演を予定されているとのこと。今回は残念ながら、東京での講演の予定はなし。

カイラスからウイグルへ

昼、綱島にあるPOINTWEATHERというお店に行く。旅の気配がそこはかとなく漂っていて、いい雰囲気。来月初旬にラダック写真展会場で開催するトークイベントにお招きするゲストの方と打ち合わせ。初対面だったが、柔和でとても感じのいい方で、時間を忘れて話し込んでしまった。いいトークイベントになるかも。

夕方、綱島から小川町に移動して、旧知の編集者さんと世間話的な打ち合わせ。何だか、明らかに疲れているように見える。結局、僕たちは、自分が面白いと思えるものを信じて作っていくしかないのだけれど。

夜、同じく小川町で、風の旅行社主催のイベントに顔を出す。チベットの聖山カイラスをテーマにしたスライドトークイベント。カイラスやグゲはずっと憧れの場所だったから、写真を見ていると心が沸き立つ。でも、ラサからペッカペカに舗装した道路が敷設されていたり、漢民族やインド人観光客がわらわらと押し寄せる一方、チベット人の巡礼者は規制されつつあるという話を聞くと、僕はもうすでに機を逸してしまったのかな、という気もする。

帰り道、新宿で途中下車して、シルクロード・タリムウイグルレストランに行く。今年の春に新宿にウイグル料理の店ができたと友達から聞いて、気になっていたのだ。ひさびさに食べた、ラグメンの味。学生の頃、初めての海外一人旅で訪れたトルファンでの日々を懐かしく思い出す。お店の人にそのことを話すと、「あの頃に比べると、トルファンはすっかり変わってしまいましたよ‥‥」と寂しそうに笑っていた。