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日本人の底力

余震に何度か起こされつつも、四時間ほど眠ることができた。雲一つない、穏やかな小春日和。様子を見がてら、近所のコンビニに食糧を買いに行く。サンドイッチやおにぎり、弁当の類はきれいさっぱり在庫なし。パンとカップ焼きそばを買う。家に備蓄食糧は十分あるので、必要以上の買いだめはしない。

TwitterとFacebookをメインに、知人たちと互いの安否確認。みんな、おおむね無事に自宅に戻ったようだ。テレビでは、夜明けを迎えた被災地の惨状が次々と映し出されている。瓦礫の山と化した一帯に残った建物の屋上から、ヘリコプターで救助されている人々。どれだけ不安な一夜を過ごしたのかと思うと、胸が苦しくなる。

僕たちは今、第二次世界大戦以来、かつて経験したことのないほどの困難に直面している。日本という国の本当の底力が、これから試されようとしている。今の段階では、被災者の支援は災害救助のプロフェッショナルにお任せするより他にないけれど、今回の被災地が復興するまでには、長い長い時間がかかるはず。その間、同じ日本人の僕たちが、被災者の方々をしっかりと支えていかなければならない。

普段は冷たくてよそよそしくて、他人のことなんて気にしていないと思われがちな日本人。でも、昨日からネットで流れてくる情報を見ていてつくづく感じたのは、本当に多くの人々が、不自由に耐えながら秩序を守り、互いを気遣い、いたわりあっていたことだった。たぶん、僕たち日本人は、思っていたよりもずっと強い国民なのだと思う。

僕たちは、僕たちにできることを、がんばろう。

地震と津波

午後、仕事机でコーヒーを飲みながらメールを書いていると、急に部屋が揺れはじめた。ゆっさゆっさという横揺れ。液晶テレビや本棚も、今にも倒れそうなくらいガタガタ揺れる。これはやばい。いつもと違う。こんな激しい揺れは、今まで体験したことがない。

僕の自宅は一階だし、かなりごつい造りの低層マンションなので、特に壊れたりしたものもなかった。飲みかけのコーヒーがちょっとこぼれたくらい。だが、その後、テレビに次から次へと映し出される悪夢のような光景に、血の気が引いた。燃え上がる石油コンビナート。平野を呑み込んでいく津波。あっという間に瓦礫と化していく家々‥‥。被害の全容はまだはっきりわからないが、日本が今までに直面したことがない規模の災厄に見舞われているのは間違いない。

今感じているのが、自分の身体の震えなのか、それとも余震なのか、それすら時々わからなくなる。

被害に遭われた方々、本当に、くれぐれもお気をつけて。

ボランティアについて思うこと

僕が初めてボランティアらしい体験をしたのは、今から十年ほど前、コルカタにあるマザーハウスでのことだった。

旅の途中で知り合った人に誘われて、僕は、カーリー寺院の近くにある「死を待つ人々の家」で、末期の患者さんたちに食事を配ったり、シーツや衣服を洗って干す手伝いをした。そこには同じように手伝いをしに集まった、大勢の日本人の若者たちがいた。会社を辞めて作家になろうと考えている人、二週間の休暇を全部注ぎ込んでマザーハウスに来ている人、夏休みで旅行している大学生‥‥。洗濯物がはためく屋上で、彼らとおひるを食べながらお互いの話をした時のことは、今もよく憶えている。

日本では、以前からダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサポートをしている。ダライ・ラマ法王(僕たちは猊下とお呼びしている)が来日されて講演や法話を行われる時に、会場の入場整理やマスコミ対応、場内警備などのお手伝いをしたり。以前、護国寺でチベットフェスが開催された時は、ほぼ毎日会場に通って、設営や入場受付の手伝いをしたりもした。当時の法王事務所のボランティア仲間たちとは、そんなこんなですっかり仲良しになった。

マザーハウスや法王事務所のボランティアをしていた人たちに共通して感じたのは‥‥みんな本当に「気持のいい」人たちだなあ、ということ。彼らには、自分がボランティアという行為をしていることをひけらかす意識は微塵もない。そこに困っている人がいるから、そこに人手が足りないから、自分が手伝う。ただそれだけ。見返りとか、周囲の評価とか、そんなものはまったくどうでもいい。僕が彼らに人間的な魅力を感じるのは、そういう清々しさなのだろうなと思う。実際、僕自身も彼らから学んだことはたくさんあった。

世間には、自身のボランティア活動をまるで職業か何かのように謳う人もいるけれど、ボランティアは、そんな風にひけらかすものではないような気がする。やりたい人が、やれる範囲で、スーッと当たり前にやればいいこと。そういう世の中になれば、もっといいのになと思う。

世界は動く

終日、部屋で仕事。ジュレーラダックから頼まれたごく短い原稿を書いてから、自分の本の執筆を進める。‥‥あまりはかどらず。

テレビで、ネットで、次々に報じられるニュース。リビアでは、カダフィの指示を受けた軍が自国民の無差別殺戮を始めた。ニュージーランドでは、地震によって至るところで建物が倒壊し、大勢の人が生き埋めになっている。今、知人の一人がニュージーランドに滞在しているので、気が気ではない。無事でいてくれるといいのだが‥‥。

こうして部屋で一人キーボードを叩いている間にも、世界は刻々と動いている。どんな場所からでも、あっという間に情報が得られる今だからこそ、その便利さに麻痺してしまわないように気をつけなければと思う。人々が叫び、走り、血を流しているのは、モニタの向こう側の別世界ではなく、同じ地球上に存在する現実の世界なのだから。

エジプトの革命

昨日の深夜は、アルジャジーラのエジプトからのネット中継をずっと見ていた。

一昨日、辞任確実と見られていたムバラク大統領が即時辞任を拒否する演説をしたことで、タハリール広場に集まった数十万人の市民たちには、すさまじいほどの怒りがみなぎっていた。火に油を注ぐとは、まさにこういうことを言うのだろう。そして、ムバラクは家族とともにカイロから逃げ出し、副大統領がムバラクの辞任をテレビで発表した。タハリール広場に響き渡る歓喜の声。人々が泣き、笑っている。数えきれないほどのエジプト国旗が振られている。彼らの革命は成ったのだ。

今まで生きてきた中で、ベルリンの壁が崩れた瞬間や、ソ連が崩壊した瞬間も見てはいたが、まさか、21世紀に入ってからも、こうした革命というものを目の当たりにするとは想像もしていなかった。

いつの日か、チベットのラサで、同じような光景を見てみたい。そう思わずにいられなかった。