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カメライターについての考察

最近、といってもここ一、二年くらいなのだが、初対面の人から仕事について聞かれて、「基本的には編集者兼ライターで、必要に応じて写真も撮ってます」と答えると、「ああ、カメライターなんですね」と言い放たれることが時々ある。

「カメライター」という言葉自体、微妙な造語だなと思うのだが、その使われ方も結構ネガティブというか、「写真と文章を両方できると売り込んで、安く仕事を取ってきてる、どっちつかずの連中」みたいなニュアンスの蔑称として使われている場合が多いように思う。特に同じ業界の人たちから。

僕自身に関して言えば、写真が仕事の範疇に入ってきたのは本当にたまたまだった。最初のガチな仕事が自分の初の単著に使う写真の撮影で、それも他に誰にも頼めなかったから(ラダックに一年半も住んでくれる人なんていない、笑)というだけのこと。その一回こっきりで終わらずに撮影や写真の貸し出しの依頼が続くようになるとは、想像もしていなかった。

文章についても、写真についても、自分の能力はどちらもまだまだだということははっきり自覚しているけれど、文章だけ、あるいは写真だけでも、仕事として依頼されれば、お金を受け取るのに恥ずかしくない結果を残す自信は、それなりにある。なければプロとは名乗らない。あと、少なくとも「写真と文章の合わせ技にできますから人件費をコストダウンできますよ」といったこすっからい売り込みは、僕は一度もしたことがない。もらえるなら倍もらうか、撮影は信頼できるカメラマンさんに依頼する。

実力のあるフォトグラファーの方々は、自分自身で語るに足る言葉を持っている。実力のあるライターさんたちは、何が大切かを見抜く目を持っているから、ペンをカメラに持ち替えてもそれを捉えられる。個人的には、「カメライター」という言葉自体、そのうちそういうポジションの人が当たり前になりすぎて使われなくなると思っているし、「カメライター」をよろず屋とみなしていた人も消えていくだろうと思っている。

要は、世間からどんな呼ばれ方をされようが、結果を出せばいいだけのことだ。

どうしたものやら

今年に入ってからだけど、街の中でまったく予想もしてなかった場面に遭遇して、どうしたものやらという状態になることが、ちょくちょくある。

少し前の夜、吉祥寺駅のプラットフォームで電車を待っていたら、突然、目の前で一人の若い女の子が号泣しはじめて、そのままその場にへたり込んでしまった。その横では、なよっとした感じの若い男が、人目を気にしておろおろしていた。あれはいったい、何だったんだろう。それまで口ゲンカをしてるようにも見えなかったのに、あのやさ男、どんな号泣スイッチを押してしまったのか。

別の日の深夜、三鷹駅前の松屋で牛丼を食べていた時。明らかに酔っ払ってる年輩のおっさんが入ってきてテイクアウトを注文し、どかっと座って待ってる間に「おい、ビールもってこい、ビール」。店員「ビールはお持ち帰りできないんですが‥‥」おっさん「んぁ? おれがビールもちかえるわけねーだろ! いまのむんだよ! なんだオマエ、ふざけてんのか!」店員「すすすみません」‥‥いや店員さん、あんたは全然悪くない。

まったくとりとめのないままだけど、世の中、どうしたものやらという感じである。

優しくない街

昼から都心に出かける。早稲田にあるCat’s Cradleという旅のブックカフェ(よい感じのお店)でおひるを食べた後、かもめブックスにも寄ろうと思い、東西線に一駅乗って、神楽坂へ。

神楽坂駅は、中野方面に向かう列車が地下2階、西船橋方面に向かう列車が地下3階に停まる構造になっている。僕が地下3階で列車を降りた時、階段のところで四人の駅員さんたちが集まって何やら話し合っていた。車椅子の人用の階段昇降機に何か問題があるようだ。上に上がると、車椅子の方を含めた何人かが待っている。

と、僕の背後から階段を上がってきた駅員さんが、その人たちに何やら説明を始めた。「ここでは無理なんで、すみませんが二駅移動してもらって‥‥」どうやら、高田馬場まで移動してから逆方向の列車に乗ってほしいということのようだ。

突発的なメカニカルトラブルなら仕方ないのかな‥‥と思う反面、駅員さんが四人も揃っているのに、車椅子の方一人を1フロア移動させてあげることさえできないのだろうか、とも思う。そういう規則なのかもしれないけれど‥‥。

夕方、帰りに乗った中央線では、明らかに足に問題を抱えている年輩の男性がしんどそうにつり革に寄っかかっているのに、周囲では誰も席を立って譲ろうとしなかった。席に座ってうつむいているのは、まだ若い女性たちばかりだった。

優しくない街だ、東京は。

長蛇の列からの解放

昼過ぎ、最寄りの税務署へ。ここまでさんざん苦労して準備した、初の青色での確定申告。

税務署の建物の前には、すでに長蛇の列。うららかな小春日和で、並んで待っていても寒くはなかったが、それにしても待たされる。建物の入口まで来たと思ったら、そこからさらに長い列が。結局、受付に辿り着いたのは、並びはじめて1時間以上も経ってからだった。とはいえ、僕はまだ運が良かった方で、背後の列はさらに長く長く伸びていた。

青色申告の相談コーナーであれこれ指南してもらいつつ、どうにか決算書類の体裁を整え、パソコンでの申告書作成コーナーへ。一時、ケアレスミスで金額が合わなくなりかけてちょっと焦ったが、すぐに気づいて事なきを得た。やれやれ。

すべての書類を提出して、税務署の建物を出たのは、すでに夕方。あと30分もすれば税務署が閉まってしまうような時間だった。あー、なんて清々しい解放感。これでやっと、自分が本来やるべきことに集中できる。

駅の反対側の理髪店で散髪し、まほろば珈琲店でコーヒー豆を補充し、たかねで今季初の道明寺を買う。いろんなことが、ようやく自分本来のペースに巻き戻った気がした。

ものものしさ

昼、吉祥寺から井の頭線で渋谷へ。マメヒコでコーヒーを飲み(海外取材前で家のコーヒー豆を切らしてるからありがたい)、本屋やタワレコをひやかし、キーンの直営店でトレッキングシューズを二年ぶりに新調した。よく晴れた日で、風もなく、のんびり散歩するにはうってつけの冬の日だった。

ただ、今日の渋谷・原宿界隈は、いつになくものものしい雰囲気だった。街角の至るところに、プロテクターに身を固めた警察官が大勢待機していて、道端には警察車両がずらり。バリケード用の折り畳み式の柵が用意されている場所もあった。その時はなぜかよくわからなかったのだが、あとで調べると、今日はこの界隈で天皇制に反対する団体のデモがあり、それにまた反対する人たちが集まってきて、かなり険悪な雰囲気になっていたようだ。

誰かを不当に貶めたり迷惑をかけたりするのでなければ、どんな思想を持とうと、それは人それぞれなのかもしれない。でも、こんなうららかな天気の日に、あんなに大勢の警察官が出動しなければ抑えきれないような人と人とのぶつかりあい、傷つけあいが起こりかねない今の日本の雰囲気は、やっぱりどこかおかしいと思う。

たとえ自分自身が正しいと信じ切ってることでも、それを他の人に伝えるやり方までもが正しいかどうか、誰かを不用意に傷つけたりしないかどうか、立ち止まって考えてみるべきじゃないだろうか。大きな声を張り上げなくても、拳を振り上げなくても、伝えられることはちゃんとある。