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国民的アイドルグループの謝罪について思うこと

最近はめっきりテレビを見なくなったのだが、昨日の夜10時過ぎ、スイッチを入れて、さらにめっきり見なくなっていたフジテレビにチャンネルを合わせた。先日から芸能マスコミを賑わせている国民的アイドルグループの去就について、当事者たちが生出演してコメントを発表するというので。

気味の悪い光景だった。40前後の大人の男5人が、一人を除いて喪服のような格好で、憔悴しきった顔で、何について詫びているのかもよくわからない物言いで、謝っている。というか、謝らされている。自分自身は人として別に間違ったことをしていないのに、という気持が見え隠れする表情で。

一人の人間として社会で生きていく中で、法律に触れるとか、倫理的に間違っているとかで、他の人に大きな迷惑をかけたのであれば、それについて謝罪するのは別にいいと思う。芸能人であれば、記者会見なりテレビの中なりでも。でも、マスコミの憶測を含めた報道で大騒ぎになったからって、芸能事務所を辞める辞めないのもめごと程度で、あんな風に人間の自尊心を踏みにじるようなことをさせてしまうというのは、どう考えても普通の感覚ではない。それをさも一件落着のように報じる提灯メディアの感覚も気持ち悪い。

あれを見るまでは、何だかんだで解散しない方がいろいろ丸く収まるのかなと思っていたのだが、今はむしろ、そこまでさせられるくらいなら、すっぱり解散して事務所も辞めた方がいいんじゃない?と思うようになった。人として間違った道を選んだかもしれないという思いを飲み込んだまま、口元を歪めて愛想笑いを浮かべる彼らを見守り続けたいと思う人は、いったいどれくらいいるのだろう。僕は別に彼らのファンではないが、少なくとも、今の彼らをテレビとかで見かけるのは、どうにもしんどい。

ナンバーワンにならなくていいなら、自分で自分に納得できる、裏表のない生き方をすればいいと思う。それがどういう道であっても。

「プロ意識」の基準

「プロ意識」という言葉には、職人や専門職の人たちが持つその分野ならではの考えという意味合いがあるが、最近では比較的一般的な職業の人たちでも、担当領域で持つべき意識という感じで使われている印象がある。僕自身は、もともと編集者でありライターであり、最近は写真もやっているが、いずれもプロ意識なるものを持ってなければ食べていくこともままならない立場なので、自分なりに意識してきた基準めいたものはある。

それは、自分自身の担当領域に対する「責任」と、他人の担当領域に対する「敬意」、そして何か判断を下さなければならない時の「論理性」だ。

自分の担当領域への「責任」というのは、当たり前すぎるように思えるかもしれないけど、それがどのような結果をもたらすかを見通した上で責任を持てるような取り組みをするには、結構な覚悟がいる。結果というのは必ずしも経済的な数字だけとは限らないので、なおさらだ。

同時に、他人の担当領域に対して「敬意」を持つことも大事だと思う。これは他に問題があってもナアナアの馴れ合いでスルーしていいということではない。きちんと敬意を持って接し、互いに理解に努めた上で、問題があればフォローし合う関係を築けなければ、まともなチームワークは期待できないからだ。

その上で、仕事を進めていく上で何らかの判断を下さなければならない時は、好きとか嫌いとか他人との関係とか、そういうものには左右されず、「論理性」を持つ根拠に基づいて判断できるようでなければならない、と思う。

まあでも、仕事の種類にもよるけれど、関わる人が増えれば増えるほど、理想通りに仕事に取り組むのは難しくなっていくんだよな……。かといって、そこで「プロ意識」を譲って妥協してしまうのは、絶対にしてはいけないことだとも思う。たとえ立場的にやせ我慢だとしても、どれだけ矜持を保っていられるのかは、プロであるか否かの基準だ。

フォロワーを金で買うことについて

僕の周囲の人も含め、知らない人も意外と多いようなので、一応書いておくが、TwitterやFacebookやInstagramなどの主要SNSのフォロワーは、その気になれば、金で買える。「いいね!」やリツイートの類も、金を払えば購入できる。

直リンクを張るのはバカらしいのでやめておくが、「フォロワー 買う」などのキーワードで検索すれば、その手のサイトや関連情報は山ほどひっかかるはずだ。ここで言う金で買えるフォロワーとは、ほとんどの場合、実在の人間に見せかけて作っているダミーアカウントだ。プロフィールやツイート内容を少し見れば、生きている人間が日々の生活の中で使っているリアルなアカウントでないことは、すぐにわかる。それらのダミーアカウントを大量に保有している業者が、購入を希望した人間のアカウントをフォローする。フォロワーを買ったことがバレにくいように、日本人に見せかけたダミーアカウントを売りにしている業者や、一度にではなく少しずつフォロワー数を増やすプランを持っている業者もいる。たとえば、膨大なフォロワー数の割にリツイートや「いいね!」の数が極端に少ない人がいたら、ちょっと警戒してみてもいいかもしれない。

言うまでもないことだが、フォロワーなどを金で買う行為は、どのSNSサービスにおいても利用規約違反だ。何らかの証拠を掴まれて通報されるなどしたら、購入した人間のアカウントは凍結される。つかの間の虚栄心を満たしたいがために手を染めるにはリスクが高すぎる行為だ。そもそも、見る人が見ればフォロワーを買ったことなどすぐにバレるのだから、指摘されて露見した時の社会的ダメージも大きすぎる。有名人の場合は特にそうだ。

それでもこの手の業者の横行が未だに後を絶たないのは、人気がなくて焦ってる政治家とか、売れなくて焦ってるアイドルとか、ノルマに焦ってる企業のPR担当者とか……要するに、自分を人気者に見せかける必要に迫られている人が少なからずいるからだろう。だが、その見せかけの人気を何らかの形で金を稼ぐ行為に結びつけようとすれば、その人はもう立派な詐欺師だ。まあ、そんな見せかけにだまされる人も相当チョロいと思うのだが。

金を払えば、見せかけのフォロワーたちは買えるかもしれない。だがもちろん、血の通った本当の人間とのつながりは絶対に手に入らない。それでも金でフォロワーを買いに走る人たちは、つくづく可哀想だなと思う。

自分は自分以上になれない

考えてみると、今という時代は、至るところで自己紹介やプロフィールを書く必要に迫られている気がする。昔ながらの履歴書や職務経歴書なんてものだけでなく、Webサイトやブログ、FacebookにTwitterにInstagramに……何でもかんでも。

匿名にしたい場合はプロフィールも煙に巻くような内容で別に構わないわけだが、実名の公表が必要な場合、あるいは自ら実名の公表を望んでいる場合は、それなりにちゃんとした内容のプロフィールを載せなければならない。これもまあ普通に考えれば、事実に基づく自分の経歴と現在の立ち位置をそのまま書けばいい。でも最近は、経歴や実績を事実以上に盛ってみせたり、嘘で塗り固めたり、実際は何の裏付けもないのに相手に都合よく受け取ってもらえそうな耳ざわりのいい言葉を選んだりしている人もいる。そういう、いかにも前のめりな虚勢を張っていそうなプロフィールの人を見かけたら、僕はとりあえず用心してかかることにしている。

詐欺師か何かならともかく、普通の人が自己紹介やプロフィールで自分を優れた能力のある人間に見せかけても、あとでメッキがはがれた時のダメージが大きくなるだけだと思うのだが、どうだろう。自分は結局自分以上にはなれないのだから、そんな上っ面のごまかしに頼るのではなく、日々の生活の中で自分のすべきことに淡々と取り組んで、ありのままの結果を示せばいい。僕はそう思う。

ネガティブ・ツイート

Twitterについて、ちょこっと思うところがあったので、覚え書きとして。

最近では個人だけでなく、商店や飲食店、企業など、いろんな組織の公式アカウントが運用されている。かしこまった情報発信に徹するアカウントもあれば、利用者との距離感を縮めて親近感を持ってもらうために、くだけた感じでざっくばらんな、結構ぶっちゃけた投稿をするアカウントもある。

たとえば、商店の公式アカウントで、お客さんが来なかったり、売れ行きが悪かったりすることをぼやくツイートをする場合がある。ぼやくこと自体はまったく問題ないと思う。「きついけど、がんばります!」というツイートを見て、「だったら応援しに行こう」と考える常連さんもいるだろうし。

ただ、「お店をのぞきに来る人は多いけど、誰も買っていかない」など、ネガティブな波動をお客さんの方向に向けてしまうようなぼやきツイートはよくない。それはお客さんのせいではなく、商品をレジまで持ってきてもらえない何らかの原因がお店の側にあるからだ。逆に、まとめ買いしてくれたお客さんをカミサマ扱いして崇め立てるようなツイートもよくない。支払った金額でお客さんの価値をお店が決めるのは変だからだ。いずれにせよ、どちらのツイートの場合も、お客さんの立場の人から見たら、嫌な気分になるだけだと思う。

というわけで、心ゆくまでぼやきたいなら、個人の鍵付きアカウントをおすすめします。