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「いいお客さん」になるために

昨日は丸一日、松戸で取材。日に4連チャンというのは、さすがにしんどい。帰りに寄り道して、しばらく前からよく行っているインドカレーの店で、晩ごはんを食べていくことにした。

店内は、大勢のお客さんでにぎわっていた。この店のお客さんのほとんどは、1人か2人で、店のウリのミールスやビリヤニをじっくり味わいに来る。でも昨日は、一番奥のテーブル席に、明らかに系統の違うグループが座っていた。4人がけのテーブル席に5人で座って(おかげで通路が狭くなって店員さんが苦労していた)、フードのオーダーは数皿のサイドメニューだけで、卓上には何本ものワインボトルとビールのジョッキが並んでいた。要するに、飲み会に使っていたのだ。騒々しい声で職場の内輪ネタをしゃべりあい、ゲハハハハ、と笑っていた。

飲食店の使い方としては、間違ってはいない。お店も、ほかのお客さんも、彼らに何かを言う筋合いはない。でも、お店にとって、彼らが「いいお客さん」だったかというと、そうは言えないと思う。

お酒をたくさん飲んでワイワイ楽しく騒ぎたいなら、居酒屋に行けばいい。ほとんどのお客さんがゆったり気分でカレーを食べに来る店で、わざわざ居座って酔っ払って騒ぐ必要はない。居酒屋なら、彼らも「いいお客さん」になれるだろうに。

「この世界の片隅に」

昨年暮れからずっと観に行きたいと思っていた映画「この世界の片隅に」を、ようやく観ることができた。公開されてからずいぶん日が経ったのに、映画館はぎっしり満席。聞くと、年明けから、各地で上映館が大幅に増えたそうだ。興収は10億円を突破し、「キネマ旬報ベスト・テン」では日本映画の第1位に選出。日本の社会にまだ、こうした作品が受け入れられてきちんと評価される土壌が残っていたことに、正直、ちょっとほっとしている。

舞台は昭和初期の広島。18歳の少女すずは、縁談が決まって、軍港の街、呉に嫁いでくる。ずっと穏やかに続いていくはずだった、当たり前の日常。しかし世界は少しずつ、ひたひたと、恐怖と狂気に浸されていく。やがてその狂気は、すずにとって大切な人やものを、喰いちぎるように奪い去ってしまう。そしてあの夏が来て……それでも、人生は続いていく。

観終わった後、子供の頃に父から聞かされた、終戦の頃の話を思い出した。岡山で大空襲があった後に降った雨。シベリアで抑留されるうちに身体を壊してしまった祖父。祖父が留守の間、一人で畑を耕しながら父を育てた祖母。故郷に戻ってきた祖父が父への土産に持ってきたキャラメルが、本当に甘くておいしかったということ。最近では、そんな話をしてくれる大人も、すっかり少なくなってしまった。

今の日本は、うすら寒い狂気と恐怖に、再びひたひたと浸されはじめているように僕は感じる。ふと気付いた時には、いろんなことが手遅れになってしまっているかもしれない。だから、この作品は、一人でも多くの人に、特に10代、20代の若い人たちに、観てもらいたい。ありふれた日々のかけがえのなさと、それを守るためには何が必要なのか、「普通」であり続けるために僕たち一人ひとりがどう生きるべきなのかを、考えてもらえたら、と思う。

そんなに急がなくても

静かな朝。近所のパン屋でパンをいくつか買い、部屋でコーヒーをいれて、おひるに。radikoのタイムフリーで、先週聴きそこねていたバラカン・ビートを聴く。クリスマスソング特集。ひっそりと心にしみるような曲たちがかかっていて、心地いい。

先週末のクリスマスが終わったとたん、街は赤と白と緑の彩りをかなぐり捨て、一気に年の瀬、正月へとなだれ込んでいる。そんなに急がなくても……と、ついつい思ってしまう。ちょっとくらい周回遅れのクリスマス気分も、それはそれで悪くないんじゃないかな。

とはいえ、このブログを書くのも、今年は今日が最後になってしまうのも確かだ(苦笑)。明日から二泊三日で安曇野に行って、岡山から来る実家の人間たちと過ごしてきます。よいお年を。

丁寧に積み上げる

仕事のことでいろいろあって、正直、ちょっとやさぐれた気分になっていた時、こんなツイートのまとめがタイムラインに流れてきた。「逃げるは恥だが役に立つ」の作者の海野つなみ先生が、おかざき真里先生のツイートをまとめたものだ。

おかざき真里先生の思う「丁寧に積み上げる」「それを受け手が丁寧に拾っていく」ことの大事さ

これがもう今まさに自分が直面している事態とドンピシャすぎて、思わずハグさせていただきたくなった(すみません、苦笑)。

ジャンルもレベルも違いすぎるけれど、僕が生業としている、文章を書いたり、写真を撮ったり、編集したりといった仕事は、自分自身で大切だと思えることを、細かなディテールにまでこだわりながら一つひとつ丁寧に積み重ねていって、それを読者に「いかがでしょうか?」と差し出す仕事だと思っている。表面的にウケのよさそうな惹句で気を引こうとするとか、変に茶化して面白がらせようとするとか、そういう仕事ではない。それをやってしまったら終わりだと思っている。

きついし、しんどいし、やせ我慢かもしれないけれど、僕は読者を裏切れないし、自分自身も裏切れない。しゃあない、逃げるか(笑)。

命の価値

今年も、誕生日を迎えることができた。

この歳になると、自分の生まれた日だからといって特に何の感慨も湧かない。ある時そう口にすると、「人が生まれて、一年ごとに誕生日を迎えられるなんて、すごいことじゃないか」と言われた。確かにその通りだ。僕は自分の境遇に対する感謝の気持を忘れていた。

シリア。イラク。ミャンマー。理不尽な暴力の連鎖。人が人を傷つけ、殺すことが、まかり通ってしまう世界。それによって誕生日を迎えたくても迎えられなかった人が、今年一年だけで、世界には数え切れないほどいたはずだ。どうして人間は、愚かな所業を止めることができないのか。

命の価値とは、いったい、何なのだろう。