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棄権について思うこと

昼、近所の小学校へ、武蔵野市長選と市議補選の投票に行く。

今月行われるであろう衆院選には、僕は投票できない。明日からしばらくタイ取材で、帰国する頃には投票が終わっている。公示前に出発だから、期日前投票もできない。マイナンバー制度とか作るくらいなら、海外でもオンラインで認証して投票できるようにすればいいのに、と思う。

昨日散髪に行った時、店主さんが「自分は投票に行かない。棄権するのも意思表示の一つだと思う」と話していた。少し前にネット上でもそういう言説が話題になっていたと思う。確かに、有権者の8、9割が投票を棄権すれば、それはそれで政治家たちに対する意思表示にはなるのかもしれない。だが、現実にそうなる確率は非常に少ないのも確かだ。

今の日本で、投票を棄権するということは、国や社会の未来を選ぶ権利を自ら放棄して、すべて他人に委ねる、ということになってしまう。そうして、なしくずし的に国も社会もどんどん悪くなっていって、本当に国の政策に対して声を上げたいと思う頃には、「国民主権」という選ぶ権利すら奪われていることにもなりかねない。今、政治の世界にのさばりはじめている極右の連中は、僕らから権利を奪うことを本気で考えている。首相も都知事も府知事も、同じ穴のムジナだ。

自ら選ぶ権利のあるうちに、自らの意思を示しておくべきだ。奪われてからでは、遅すぎる。

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取材のため、しばらく更新をお休みします。帰国は10月24日(火)の予定です。では。

希望なき国

昨日の夜から、断続的に雨が降り続いている。ずいぶんひんやりとした雨だ。

終日、部屋で仕事。手元にたまっていた原稿は、どうにかすべて関係各所に送り終えた。来週明けからのタイ取材の荷造りも、ぼちぼち開始。タイに行く時は荷物が少ないので、撮影機材以外の荷物はあっという間にまとめ終えた。まあ、あっちではずっと、Tシャツ短パンサンダルだし。

世の中では今日、衆議院が解散。僕はずっとタイにいるので、期日前投票すらできないのだが、正直、ちょっとほっとしてもいる。だって、右翼か極右かどっちか選べと言われても、さすがに困る(苦笑)。真っ当な政治家は、日本にあと何人残っているのだろうか。

希望なき国、日本。まったく、うんざりだ。

鈍感になっていく

午前中から、新宿で取材。家を出る前にネットを見ていたら、中央線が人身事故で大幅に遅延というニュース。とりあえず予定より早めに三鷹駅まで行き、総武線の始発で新宿へ。それでも少し遅れはしたが、待ち合わせにはどうにか間に合った。

昨日も昼に曙橋の方に行く用事があったのだが、新宿駅で都営新宿線に乗り換えようとしたら、人身事故で完全に止まっていて、総武線で市ヶ谷の方から迂回しなければならなかった。最近、こういうのが多い。というか、常に多い。人身事故が、日常茶飯事のようになってしまっている、東京では。

列車の遅れで大事な予定が大幅に狂うと、正直言って「迷惑だなあ」と思わないでもない。誰もがあまり気にしないようにして、なるべくすぐに忘れてしまおうとしているようにも見える。でも、そうやってどんどん鈍感になっていくのは、ある意味、とても怖いことのようにも思う。

人の命が消えていったことに対して、胸の奥に感じる痛みを、ほんのいくばくかでも、忘れないようにしたい。

1文字の価値は何円であるべきなのか

しばらく前に、巷で言うところのビジネスSNSというサイトに、自分の情報を登録してみた。それにプロフィールを登録しておくと、自分の特性や環境に合う仕事の募集情報を得られたり、企業から打診のメッセージが届いたりする。僕のところにも、いくつかの企業から問い合わせの連絡が来た。

で、当然ながら原稿料や報酬の金額についてもやりとりするのだが、よく聞かれるのが「目安となる単価感のようなものはありますか? 1文字につき何円とか?」という質問。最近の書き仕事、特にWeb関係の案件は、1文字につき何円、というやり方で算出されているらしい。

現時点で自分が担当している仕事のうち、Web関連の一番安い案件で計算してみると、1文字10〜20円くらい。これでもかなり安い。しかし、件のビジネスSNSなどで問い合わせの来る案件だと、その10分の1かそれ以下。つまり、1文字につき1円かそこらということになる。1万字書いても1万円。怖ろしい。執筆にかかる時間から時間給に換算したら、いったいいくらになってしまうんだろう(苦笑)。

正直に言えば、単に所定の文字数を埋めるためだけに書けと言われれば、僕は、いくらでも速く書くことはできる。ただ文字数を稼ぐためだけならば。でも、そんな風にして量産された文章に、何の存在価値があるだろうか。そんなものを書いてしまったら、僕は、読んでくれる人(もしいるならば)に申し訳ないという気持しか出てこない。

そもそも文章の価値は、1文字につき何円、といったやり方で計算できるものではないし、計算すべきでもないと思う。同じ文字数でも、専門知識や豊富な経験が要求される文章、取材や調査の手間がかかる文章、執筆や編集のテクニックが必要な文章、何よりその人にしか書けない文章。少なくともそういう仕事には、内容や難易度に応じて、それに見合うだけの真っ当な対価がきちんと払われるべきだ。

1文字につき何円というやり方でしか文章の価値を測れない人や企業は、結局その程度のものさししか、自分たちの中に持ち合わせていないのだと思う。

便利な生活

今日は一日、部屋でゆっくり。おひるにそうめんをゆでてごまだれで食べ、まほろばさんの豆でコーヒーをいれ、InterFMをかけ流しつつ、インドで撮ってきた写真の現像作業。疲れたら、ソファに寝転がってうとうとしたり。

日本での生活は、あらゆることが便利だ。電気は停電することなく常に流れ、シャワーは一定の温度に保たれたお湯がふんだんに出る。本屋に行けば雑誌や本に情報があふれかえっている。インターネットは光回線でYouTubeでも何でも見放題だし、スマホも4G回線でスイスイつながる。友達が今どこで何をしているのかは、SNSでだいたい筒抜け。近所のコンビニまで歩いていけば、たとえ真夜中でも、何でも買える。アマゾンを使えば、家から一歩も出なくても、たいていのものが買えてしまう。

便利だ。確かに便利だけど……そういう便利さは、人が生きるという行為の本質ではない、という気もする。もっと不便で物が手に入らない場所でも、人は人として、あるがままに、のびのびと生きていける。ラダックで、アラスカで、僕はそう教わってきた、と思っている。