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「同意」

キネカ大森でのインディアン・シネマ・ウィーク(ICW)、3本目に観たのは「同意 Raazi」。2018年夏に公開された、アーリヤー・バット主演のスパイ・サスペンス。

1971年、東ベンガル(後のバングラデシュ)の独立運動に伴って、インドとパキスタンとの間では急激に緊張が高まっていた。カシミール生まれの大学生サフマトは、余命わずかな父の願いを聞き入れ、彼の友人であるパキスタン軍人の末息子のもとへ嫁ぐ。だが、その真の目的は、諜報員だった父の跡を継いで、パキスタンの軍事作戦を探るという危険な任務だった……。

スリリングな映画だった。何しろ1970年代初頭なので、スパイが情報伝達に利用できるのは固定電話やモールス信号機のみ。そのアナログなまだるっこしさで、さらにハラハラさせられる。奇抜な仕掛けはないのだが、最後の最後まで読めない展開で、あっという間の140分だった。

この作品でとにかく痛ましいのは、主な登場人物がほぼ全員、善人であるという点だと思う。本当の意味での悪人は一人もいないのに、国と国との軋轢に巻き込まれ、ある者は命を落とし、残された者は悲しみに突き落とされ、サフマトはあまりにも理不尽な運命を背負わされてしまう。「私は他の何者よりも、祖国を愛する」という彼女の信念は、人として、本当に正しかったのか。つくづく考えさせられる。

ちなみに、この映画の原作の小説にはモデルとなった実在の女性諜報員がいて、劇中のいくつかの出来事は、実際に彼女の身に起こったことを基にしているのだそうだ。そういう話を聞くと、なおさら、やるせない。

「マジック」

キネカ大森でのインディアン・シネマ・ウィーク(ICW)、僕が2本目に観たのは、タミル映画、ヴィジャイ主演の「マジック(Mersal)」。この作品は昨年暮れにインドで公開されて以来、後述する話題などもあって、大ヒットを記録している。

チェンナイで、どんなに貧しい患者でも5ルピーで診察する医師、通称「5ルピー先生」のマーランは、パリの国際会議で表彰されるほどの人徳者。そんな折、とある事故に関わった4人の医療関係者が誘拐されて行方不明になり、マーランは容疑者として逮捕されてしまう。彼と瓜二つの顔を持つ謎のマジシャン、ヴェトリとは何者なのか。その過去に秘められた悲劇、真の巨悪とは……。

インド映画では主演が一人二役とかいうのはさほど珍しくないのだが、この作品でのヴィジャイは、なんと一人三役。序盤から息もつかせぬ展開で、マーラン/ヴェトリの正体をめぐる謎にグイグイ引き込まれていく。極彩色のダンスシーンと、ぬらぬらした血飛沫の舞う過激なアクション。映画館の大画面とはらわたに響く爆音でこの作品を堪能できたのは、本当にありがたかった。この映画の重要なテーマであるインドの医療問題について、込み入った台詞の内容を日本語字幕で正確に追えたのも助かった。

そう、この作品には、現在のインドの医療が抱えている深刻な問題(公立病院の慢性的な不足、法外な医療費のかかる私立病院、蔓延する不正の数々)を痛烈に批判していて、その矛先は今のインド政府与党のBJPにも向けられている。作中には「シンガポールでは7%の物品サービス税(GST)によって医療を無償化している。インドは最大28%ものGSTを取っているのに、なぜ医療を無償化できないのか」という台詞も織り込まれていて、このシーンのカットを要求したとされるBJPに対して猛烈な抗議が寄せられたことも話題になった。

社会的なテーマをがっちり組み込んではいるが、この作品は正真正銘の娯楽大作。こういう映画づくりがちゃんと行われていて、大衆もそれを拍手喝采で受け入れているのが、タミル映画の奥深さなのだなあ、と実感した。

ヴィジャイの一人三役に合わせて登場するカージャル、サマンタ、ニティヤのトリプルヒロインがちょっと出番少なめかなあとか、ほぼ全部をCGで片付けようとしてるマジックシーンとか(苦笑)、細かく言いはじめたらまあいろいろあるにはあるが、この映画は、最初から最後までアドレナリン全開でどっぷり楽しめば、それでいいのだと思う。

天からの災厄

今年の日本は、大規模な自然災害が、とにかく多い。西日本の豪雨による洪水、関空を閉鎖にまで追い込んだ台風21号の暴風雨、そして今朝の北海道の震災。ヘリからの空撮で、山という山がまるで冗談のように根こそぎ崩れて土肌を晒してる写真を見て、唖然とした。

こういう自然災害のニュースを見ていると、不安になる一方で、「いや、自分たちは大丈夫だ」と根拠もなく思い込みたくなったりもする。当たり前だが、そんな保証はまったくどこにもない。いつになるか、どの程度になるかはわからないけれど、自分たちの番は必ず来る、と思っておいた方がいい。実際、その通りだろうし。

天からの災厄と、人の営みの儚さ。ほんと、次は自分たちの番、かもしれない。

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J.D.サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年」読了。「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデンが登場する作品を中心にしたいくつかの短編と、グラース・サーガの最後の作品、7歳のシーモアが書いた長い手紙という形の中編「ハプワース16、1924年」が収録されている。サリンジャーの小説を読んだのはものすごくひさしぶり(20年ぶり?)だったのだが、その文体のみずみずしさと、繊細に組み上げられた構成の巧みさに、あらためて舌を巻いた。第二次世界大戦に従軍した時の経験が彼の心の奥に深い傷を負わせていたことも、この本で実感した。

気になったのは、訳者が「ハプワース〜」で、レスを「父さん」、ベシーを「母さん」としたという点。そこは、訳者として違和感があったとしても、原文のまま「レス」「ベシー」としてほしかった。シーモアはそのくらい、ぶっちぎりにこましゃくれた子供だったわけだし。

ともあれ、再びサリンジャーに興味が湧いてきたので、村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」や「フラニーとズーイ」、柴田元幸訳の「ナイン・ストーリーズ」など、最近の新訳で読み直してみようかな、と思う。

ライザップとリバウンド

仕事の取引先の担当者さんの一人が、今年に入って、急にやせた。別の担当の人からのまた聞きによると、一念発起してライザップに申し込み、20キロかそこら減量したのだそうだ。

さすがに20キロともなると、見た目にも明らかに体型が変わっていて、取材先では、以前よりハキハキと快活にふるまっていた。合コンなどにも、自分から進んで参加するようになったとか。自分に自信が持てるようになったのは、いいことだなあと思う。

「しかし、それだけ一気に減らすと、リバウンドが怖いですよねー」と、また聞きさせてもらった別の担当者さんに言うと、「いや、逆に、ライザップに何十万円も突っ込んじゃったから、リバウンドしたらその金が水の泡になっちゃうって、ものすごく気をつけてるそうですよ」と教えてくれた。

そうか。ライザップには、「リバウンドしたら突っ込んだ金が水の泡」という、精神的なブレーキがかかる利点があるのか。なるほどなあ。

でも、そこまでの状況で突っ張れる鋼の意志の力があるなら、最初から体重計を1つだけ買って、毎日体重を測りつつ、家で地味にエクササイズをして、食事をちょっと気をつけさえすれば、びた一文かからず減量できるのに、とも思う。それがわかってても、できないのが、人間なのかな。

青山ブックセンター六本木店

青山ブックセンター六本木店が、6月下旬に閉店になるというニュースが流れてきた。

田舎の高校を卒業して上京してきたばかりの頃、六本木の青山ブックセンターは、僕にとって憧れの書店だった。デザインやアートや写真の本がずらりと並び、他では見たこともない雑誌や洋書にも、あの店でなら出会える気がしていた。六本木という街自体、僕には敷居が高すぎて、なかなか足が向かなかったが、逆に、何か用事があって六本木の近くに来た時は、必ずと言っていいほど立ち寄る書店でもあった。

大学を卒業した後、僕はじたばた苦しみもがきながら、少しずつ少しずつ、記事を書いたり、雑誌や本の編集に携わったり、自分自身で本を書いたりするようになった。その成果物である雑誌や本が、六本木の青山ブックセンターに並べられているのを見かけると、こんなことがあるのだなあと、不思議な、ふわふわした気分になった。

そんな憧れの書店だった場所が、38年の歴史に幕を閉じる。十数年前にも親会社の破産などで一時閉店になったりした時期があったから、寝耳に水というほどの驚きはない。ただ、本が本として大切にされていた場所が、また一つ減ってしまうのだなあと、寂しい気持にはなる。

僕は、本に対して、何ができるのだろう。