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次への足慣らし


昨日はひさしぶりに山歩きへ。おなじみの陣馬山から高尾山までの縦走コース。空は雲ひとつない快晴で、朝のうちは富士山もよく見えた。風も穏やかで、トレイルにもぬかるみはなく、快適に歩けた。高尾山の周辺では紅葉がピークを迎えていて、見物客もめちゃくちゃ多かったが(苦笑)、総じて良い山行だったと思う。

僕自身の目的は紅葉見物とかではなく、次の取材旅行に備えての足慣らしだ。次の取材はそれほど遠くなく、実はもう2カ月もない。かなり歩き回ることになりそうなので、コンディションはできるだけ整えておきたい。昨日は思っていたよりも身体が動けていて、調子がよかった。家での自重筋トレも欠かさないようにしなければ。

あと何度、桜を

数日前からの雨は、満開になったばかりの桜の花を、早々と散らせてしまったようだ。今日、近所の小さな公園を通りがかった時も、桜の大木の下に、薄紅色の絨毯ができていた。マンションの隣の角地にある桜は、もうすっかり葉桜だ。

今になってみると、先週の火曜と水曜のあたりが今年の花見には最善だったようで、うちも、火曜日の春分の日に花見に行っておいてよかったと思っている。初めて目黒川の桜並木を見に行ったのだが、意外とのんびりと川沿いを散策できて、八分咲きくらいの桜を堪能することができた。

僕ももう、ええ歳こいたおっさんなので、毎年桜を見るたびに、あと何度、こうして桜が咲くのを眺めることができるだろうか、と思ってしまう。そこそこ普通に生きて、あと20回くらいか。めいっぱい粘って、あと30回? 逆にもっと少なくなる可能性も、もちろんある。いずれにせよ、残された機会は、そんなに多くはない。

桜の花に感じるセンチメンタルな気持には、そういう残された時間についての気持も、かなりの割合で含まれているのだと思う。

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今枝由郎・海老原志穂訳『ダライ・ラマ六世恋愛詩集』読了。ダライ・ラマ六世の詩というと、「白い鶴よ、翼を貸しておくれ……」の詩以外はあまりよく知らなかったのだが、この本に収録された100篇の詩を通読してみると、何というか……ほんとにどうしようもないけれど、愛し愛されずにはいられなかった、魅力的な方だったのだな、と。チベット仏教の最高指導者に選ばれながら、自ら僧位を返上して還俗し、女性を愛し、放蕩三昧の日々を過ごし、若くしてこの世を去った、歴代の中でもっとも愛されたダライ・ラマの一人。我々にもわかりやすく、小気味よく読めるように配慮された日本語訳も労作だし、海老原先生によるチベット詩の詳細な解説も興味深かった。そして蔵西先生の装画が、超美麗……。

春を飛び越えて

桜が咲いたと思ったら、ほんの一週間ですっかり散ってしまって、今は若葉が青々と繁っている。今日は暑かった。27度くらいまで上がったらしい。春を飛び越えて初夏になってしまった感じだ。

毎年この時期は、大学案件の取材の仕事が立て込むので、かなりせわしない。あと、なんでかこの時期に自分で書いた本の編集作業が重なることが多く、去年に引き続き、今年ももろにかぶっている。来週明けには初校が出てくる予定なのだが、よりによって来週は、平日の四日間だけで七件も取材が入っているのだ。一番忙しい時期がかぶってしまうこの現象を、何と名付けたらいいのだろう(苦笑)。

新しい本の刊行時期は、九月に決まった。時間的には余裕があるように見えるが、校了は六月末の予定。なぜかというと、七、八月はラダック方面の取材を計画しているので、九月発売の方が、著者が関わるプロモーション活動を発売のタイミングに合わせやすいからだ。僕の都合というか要するにワガママなのだが(申し訳ない)、九月開催ですでに決まっているイベント的な企画もあるので、続報を待たれよ、というところである。

それより何より、まずは、来週からGWにかけての修羅場を、どうにか乗り切らねば……。

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ウィリアム・ダルリンプル『9つの人生 現代インドの聖なるものを求めて』読了。インドの多種多様な信仰に生きる人々の姿を切り取った、壮大なノンフィクション。膨大な調査と緻密な取材、あらゆる予断を排したロングインタビュー、流麗な筆致、卓越した構成力……。個人的には、ジャイナ教の尼僧の話と、ダライ・ラマ法王14世の亡命時の警護を務めたチベット仏教の老僧の話が、強く印象に残った。こういう本に出会うと、自分も、書き手の一人としてもっと頑張らねばな、とつくづく思う。良い本だった。

都会の雪

一昨日は、東京でも昼頃から雪になった。朝の時点での天気予報の予測を大きく超えて、五センチくらいは積もったそうだ。

昨日の朝は、街の道路のあちこちで、雪が凍ってアイスバーンと化していて、転倒する人が続出したらしい。僕も、いつもなら西荻の自宅から吉祥寺のコワーキングスペースまで歩いて往復してるのだが、昨日はさすがに電車にした。それでも、朝、家から駅までのほんの5分くらいの道のりでさえ、かなりひやひやしながら歩いた。

「昨日の雪の凍り具合を見て、本で読んだチャダルの話を思い出しました。こんな感じなのかなあって」と、今日ある人に言われたのだが、東京のような都会の雪や氷の方が、ラダックやザンスカールのそれよりも、ある意味危ないような気がする。どこでどう滑るか、予想がしづらいというか。転んだら、地面も周囲も硬くて怪我しそうなものだらけだし。

初めてチャダルの旅をして、レーに戻ってきたら、レーの街のあちこちがつるつるに凍っていて、坂道で転んで手のひらをすりむいたことを、今になって思い出した。現地では、そろそろチャダルを行き来できるようになっている時期だ。あっちは今、どんな感じなのだろう。

三年ぶりの帰省

大晦日から、三泊四日の予定で、関西方面に帰省する。神戸に二泊、岡山に一泊。荷造りその他の支度も、だいたい終わった。

時節柄、いろいろ気を遣わなければならないので、半分気休めではあるが、抗原検査キットで検査して、自分も相方も陰性であることも確認。移動の新幹線も、これまた気休めではあるが、混雑によるリスクを少しでも減らすために、グリーン車を予約。現地での行動も、どうしようもなく気休めにしかならないけれど、できるだけ用心深くふるまおうと思っている。

関西方面に行くのは、かれこれ三年ぶりくらいになる。二年前の年末年始にも計画を立てていたのだが、弔事などが重なって中止になっていた。ていうか、首都圏から外に出るのも、二年ぶりくらいになるのか。いやはや。なんともはや。

というわけで、数日間、留守にします。良いお年を。