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番組改編

終日、部屋で仕事。取材が立て込んでくる今の時期、たまにずっと家にいられる日があると、ほっとする。昼下がりの部屋でコーヒーをすすりながら、しばしラジオを聴く。

今日から四月ということで、ラジオも番組改編の時期。今回一番びっくりしたのは、J-WAVEで月曜から木曜までの午後の番組をずっと受け持っていたレイチェル・チャンさんが、日曜のお昼の番組に異動になったことだろう。もうずっと長い間、平日の午後に家で仕事をしている時は、レイチェルさんの声がラジオから聴こえてくるのが当たり前のような感覚になっていたので、ちょっと狼狽(苦笑)。習慣というのは、何気に身に染み付いているものなのだなと思う。

僕自身、以前ゲストとして番組に呼んでいただいたご縁もあるし、今度から日曜でもちょっとだけ早起きして、番組、聴かせていただきます。

戻ってきた音楽

オンキヨーのネットワークCDレシーバーCR-N765とスピーカーD-112EXTを自宅に導入して、三週間ほど経った。結論としては、思い切って買い替えてみて、本当によかったなと思う。

まず、CR-N765は単体でradikoが使えるので、その時の気分で好きなラジオ局をよりどりみどりに選んでノイズレスで聴けるようになったのが、うちの環境には本当に大きかった。おかげで、部屋にいる時は、ほぼずっとラジオをかけるようになった(執筆作業の時は無音にして集中するけど)。アルバムをちゃんと聴きたい気分の時はCDを、ちょっとものぐさな気分の時はApple TV経由のAirPlayでiTunesのプレイリストをかけ流しにする。いろんな方法を選べるようになったので、日々の時間の隙間にぴっちりと音楽が埋まっていった感じだ。

D-112EXTが出す音の解像感の高さは、音量をごく小さく絞った時にも際立って感じられる。夜の遅い時間に、近所迷惑にならないように本当にかすかな音で、おとなしめのジャズやボサノヴァをひっそりとかけると、心身がふわりと解きほぐれていく気がする。

何だかすっかり嬉しくなって、最近は、もう何年もご無沙汰だった、昔買ったCDを発掘してはかけてみて、「こんな音だったのか〜」と驚いたり、「うわ〜懐かしい〜」と和んだりしている。仕事以外の時間を、前よりもずっと豊かな気分で過ごせるようになったのは間違いない。

音楽が、生活の中に戻ってきた。

スキップ

冷たい雨の降る朝。7時に起き、コーヒーをいれて、昨日買っておいたパンを食べながら飲む。今日は午前中から、ラジオ番組の収録だ。カフェインで頭をしゃっきりさせておかなければ。

半蔵門にあるラジオ局の前では、併設のホールで何かのアイドルのコンサートが催されるらしく、整理券待ちの長い行列ができている。あまりに雰囲気が違うので、一瞬、場所を間違えたのかと思った(苦笑)。スタジオのあるフロアまで上がり、軽い打ち合わせの後、約一時間半の収録。例によって緊張したけど、パーソナリティのお二人にも助けられて、どうにかこうにか乗り切れたような気が‥‥する。あとは、編集でどうにか‥‥(苦笑)。

今年最後の仕事を終え、ラジオ局の外に出ると、雨は止んでいた。四ツ谷まで歩き、かつれつたけだでカキのバター焼定食を食べる。至福の味。ようやく肩の荷が下りてほっとしたからか、やたらに眠い。

電車で三鷹に戻り、駅から家までの道を歩いていると、少し前を、若いお母さんと女の子が歩いていた。ぴょんぴょんとスキップしながら歩く女の子に合わせて、お母さんも、ぴょんぴょん、と時々スキップ。美しい光景だなあ、と思った。

オンキヨー CR-N765

crn765自分の部屋で音楽を聴くのには、かれこれ14、5年くらい、ボーズのWave Radio/CDという一体型オーディオを使い続けてきた。古い割に音質は優秀だったし、ラジオを聴いたりする分には何の不満もなかったけれど、iTunesで購入したダウンロード音源を手軽に聴いたりはできないので、その辺、もうちょっとどうにかならないかなとは思っていた。

で、そのうち、ラジオを聴くのにも問題が出てきた。各社の放送がスカイツリーからの発信に移行した頃から、急にノイズがひどくなったのだ。うちの部屋の位置がスカイツリーと相性が悪かったのだろうが、執筆以外の仕事の時間にかけ流しておくラジオは僕にとってかなり大事なので、何とかしなければならなくなった。

自分に必要なオーディオの機能を挙げてみると、こんな感じになる。

選んだのは本だった

一昨日ラジオ番組の収録をしてきたばかりだが、来月末にはまた別の番組の収録がある。自分について人に説明するのにしっちゃかめっちゃかになるとまずいので、収録前には、これまでの出来事を書き出して整理してみたりしていた。

いろいろふりかえってみてあらためて思うのは‥‥僕は、編集者とかライターとか写真家とか、そういう職業に就くことを目的にしてきたのではなく、自由に旅をしてそれを仕事につなげたいという生き方をしたかったのでもなく、ただただ、本を作りたかっただけなのだ、ということ。自分が本当に心の底から大切だと思えることを、本という形にして、それを人に伝える。二十代初めの青二才の頃から、ずっとそうだったのだと。

それは生き方とすら呼べない、独りよがりで単純な衝動でしかないのかもしれない。でも、僕が自分の人生を費やすのに選んだのは、本だった。それには、ひとかけらの後悔もない。