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雌伏の時

年が明けてしばらく経つが、去年から続いている作業とは別に、僕個人が発案した企画は、なかなかスタートが切れないでいる。

そもそも、その企画は、決して通しやすい企画ではない。どの出版社に持ち込んでも、十中八九、断られるだろう。企画の良し悪し以前に、そのジャンル自体が売れにくいという宿痾を背負ってしまっている。でも、僕はその本を作りたいのだ。それがこの世界に存在するということに、意味があると思うから。

出版社の編集者の方も、無理筋なのを承知の上で、懸命に動いてくれている。今は、じっと待つしかない。

やりきれるか

昨日は誕生日だった。といっても何か特別なことをするでもなく、いつも以上に地味に過ごした一日だったけど。

次の一年は‥‥仕事の面で、もっとしっかりやらなければ、と思う。単純に生計をもっと安定させる必要もあるし、自分が好きな仕事‥‥旅にまつわる仕事をもっとスムーズに、コンスタントに続けていくための地盤づくりもしなければならないと思っている。その先のステップに歩を進めるために。

次のステップで、ぼんやりと、やってみたいと思っている場所がある。でも今は、正直言って、どうやったらそれにうまく取り組めるのか、そこで何をものにできるのか、見当すらつかない。ただ、やらなきゃいけない、やらずにはいられないという、駆り立てられるような気持だけは、確かにある。かつて、ラダックを初めて訪れた時のように。

文章や写真に関して、自分は卓越したセンスや能力を持ち合わせている人間じゃないことは、わかりすぎるほどわかっている。でも、自分がいつかやろうとしていることで大事なのは、できるかどうか、ではない。やるか、やらないか、最後までやりきれるか。それがすべて。

その時のために、しっかり準備をして、力を蓄えようと思う。

シンプルに待つ

「旅をしてる時、どんな風にして写真を撮ってるんですか?」と聞かれることが最近多くなった。旅先での写真の撮り方‥‥こっちが聞きたい(苦笑)。それくらい、僕は特別なことは何もしていない。

それでもあえて挙げるとしたら‥‥「シンプルに待つ」ということだろうか。

カメラの撮影設定は(人によって好みは分かれると思うが)、ごくごくフツーの、自分的に一番オーソドックスなものにしておく。レンズは、ズームをつけている場合、基本的に2つの焦点距離だけを頭に入れておく。35mm判換算で、28mmと50mm。風景やスナップは28mm、ポートレートなどは50mm。かなりざっくりだけど、こういうシンプルな状態で自分の頭の中を整理しておくと、とっさの時でも割とうまく対応できるし、状況に応じての設定変更もすばやくできる‥‥気がする。

要するに僕はヘタクソだから、凝ったことをやろうとしてもたいてい失敗するのだ(笑)。シンプルに待つのが吉。

一人で撮る

昨日の飲み会の席で、ああなるほど、と思った話があった。

それは、旅先で写真を撮る時は、他の写真家と一緒に行かない、ということ。現地での撮影時は、なるべく一人で行動する。そうしないと、まともな写真が撮れない、とみんな口を揃えて言っていた。

言われてみると確かに、自分もラダックでは常に単独行動だった。たまに道連れの方がいた時は(その人が悪いわけではないのだが)、正直、かなりの確率でシャッターチャンスを逃している。被写体と対峙する時は、さまざまな撮影条件を瞬間的に判断する集中力が求められるし、人を撮る場合は、相手との間合いやコミュニケーション、撮るタイミングなどにも細心の注意を払わなければならない。だが、自分以外の誰かが同じ場所で被写体に向かおうとすると、そうした集中力や注意力は少なからず削がれてしまう。特に、人の写真を撮る時はきつい。

旅先でいい写真を撮りたいなあ、と思ってる人は、常にとは言わないまでも、時には一人で歩き回って撮ってみるといいんじゃないかな、と思う。

写真家の宴

午後に打ち合わせを一件こなした後、高田馬場の駅前にある串かつ屋さんでの飲み会に向かう。

今夜の飲み会は、広島から一時上京してきた写真家の松尾純さんの呼びかけによるもの。ブータンを撮影している関健作さん、ラダック絡みで以前から旧知の写真家の三枝直路さんと、写真をがっつりやってる人ばかりが揃った。その中に、僕だけが中途半端な輩として混じっていた(苦笑)。

いやー、ひさしぶりに面白い、濃い話ができたような気がする。旅や異国を撮り続けている者同士だからこそ、通じ合う言葉だったというか。胸が躍る話も、世知辛い話も、それでもやっぱり写真が好きだという話も。

こういう人たちが、ちゃんと本来の力を発揮できる「場」を作れたらいいな、と思う。