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御岳山散策

駅で売られていた鮎の塩焼きと三幅だんご

昨日、ひさしぶりに東京で山歩きに行くことにした。目指したのは、奥多摩の御岳山。山歩きといっても、今回は山上までケーブルカーで上がって、山頂付近のハイキングコースをぶらぶら歩くというお手軽プラン。JR青梅線の御嶽駅まで行き、駅の南口からバスに10分ほど乗って(混雑時は増発されている)、ケーブルカーの滝本駅へ。駅では、うまそうな鮎と三福だんごが焼かれていた。

「絶景」に思う

しばらく前から、「絶景」や「秘境」といったキーワードを謳い文句にした書籍やテレビ番組が人気を集めている。書籍の場合、その一冊のためだけにカメラマンを世界中に派遣したりすることは予算的にまず無理だから、ストックフォトエージェンシーに借りた写真で作っている本がほとんどだ。中には、Flickrなどから写真を持ってきてる、使用許諾の面などでかなり強引でアヤシイ作り方をしてる本もあるようだが。

旅の目的は人それぞれだし、ある「絶景」を見たいがために旅に出ても、それはまったく構わないと思う。ただ、自分の場合はどうかというと、「絶景」として見せられたイメージが旅に出る動機に繋がったことは、実は一度もない。最近人気のラダックのパンゴン・ツォでさえ、僕は最初に現地に行くまで、カラー写真すら見たことがなかった。旅の魅力は風景だけでなく、そこで生きる人々とその暮らしぶりなど、いろんな物事との出会いをまるっと含めた体験の中にあると思うし。

最近は、「絶景」と呼ばれる場所の地名をグーグルで画像検索すれば、そこの写真がわんさか出てくるから、便利な反面、ちょっと興を削がれる面もある。もちろん、自分自身の目で見届けるのが一番いい体験になるのは当然だけど、できれば事前にあまり予習しすぎないようにして(笑)、その「絶景」だけでなく、そこまでの道程で出会った人たちとのやりとりまで含めて、ゆったりと旅を楽しむのがいいんじゃないかなと思う。超効率的な弾丸ツアーで「絶景」だけがつがつ見に行っても、何だか味気ない旅になってしまうだろうから。

‥‥とまあ、自分で旅行記やらガイドブックやらを散々出しといて、何を言ってるんだという気もするけど(苦笑)。

自然と人のあいだ

約一年ぶりに、このブログのヘッダの写真を替えてみた。ツォ・モリリの湖畔で見かけた、チベット仏教の真言が刻まれたマニ石の写真。

しばらく前から、僕が何となく追い求めているおぼろげなテーマに、「自然と人のあいだ」というものがある。人は、自然とのつながりなしには生きていけない。自然の力はあまりにも強大で、時に無慈悲に、あっさりと人の命を奪い去る。遠い昔から人は、その強大な自然を目の前にして、何を思っていたのか。ある時は祈りを捧げ、ある時は抗おうとし、ある時は生きようともがき‥‥。

自然と人のあいだにあるものを追いかけていくことで、自然に対する人の本来のありようについて、自分なりに考えてみたい。ラダックの山の中を歩いているうちに見えてきたこのテーマ、次はどの場所で取り組んでいくべきか。来年以降の、自分にとっての課題。

写真を選ぶ

終日、部屋で仕事。先日依頼を受けたスピティとラダックについての雑誌向け記事に使う写真のセレクトに没頭する。

今回の記事が掲載される雑誌は、判型がA4サイズよりもさらに幅2センチほど大きいし、8ページも使えるので、写真の載せがいがある。去年から撮影し続けて以来、まだほとんど外部に発表していない写真をようやくちゃんとした形で発表できる最初のチャンスだから、いやがうえにもセレクトに力が入る。あれも載せたい、これも載せたい‥‥そしてはたと気付く。8ページも使える、ではない。8ページしか使えない、のだ。載せたくても載せられない写真の、なんと多いことか。

この記事が完成した後、これを目にした人たちは、どんな風に思うのだろう。自分が「これはいい」と思っている写真でも他人にはそうでもなかったり、そうかと思えばその逆の場合もあるから、正直、どうなることやらわからない。でも、どうにかして、届けたいのだ。あのスピティの谷を吹き抜けていた、乾いた風の感触を。

生きている手触り

帰国して以来初めて、何も予定が入っていない日。昼から都心に出かける。品川と銀座のキヤノンギャラリーで開催中の野町和嘉さんの写真展「バハル再訪」と「ヒマラヤ仏教圏」、それと六本木の国立新美術館で開催されているアンドレアス・グルスキー展を回る。

グルスキー展には前から興味があって、じっくり見てみたいと思っていた。確かに面白い作風だし、壮大かつ緻密で、独特の美があると感じた。でも、白状すると、野町さんの途轍もない写真を見た後では、グルスキーの作品もいささか物足りなく思えてしまった。アフリカやヒマラヤの極限の大地で生きる人々ににじり寄る、その気迫。ざらりとした、生きている手触りが伝わってくる写真。これに比べれば、自分なんてほんとにヒヨッコで、足元にも及ばない、と改めて思い知らされた。

それでも、伝えることをあきらめるつもりはないけれど。僕も伝えたいな、あの、生きている手触りを。