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四月の雪

雨に時折雪が混じる、寒い一日。四月とはとても思えない。

今日は朝から向ケ丘遊園の方で大学案件の取材があったのだが、至るところで電車が遅れていた。僕自身は予定の時間に間に合ったものの、それ以外の関係者が全員遅れたので、取材の時間も押して、おひるも食べられないまま午後の取材に突入。ひもじかった‥‥。隣に座っていた営業さんのおなかもきゅるきゅる鳴っていた(笑)。

取材を終えた後、恵比寿に移動。AFURIで柚子塩ラーメンを食べて一息ついて、今日から始まる竹沢うるまさんの写真展へ。風合いのある紙の質感と相まって、時に絵画のようにすら見える美しい佇まいの作品を堪能。その後は京橋に移動して、たかしまてつをさんの手帳絵&品々絵展へ。見ていて何だかほほえましく、でも時にはっとさせられる作品の数々。文具店の二階という展示空間そのものもすごくよかった。

そんなこんなで、四月の雪の中を駆けずり回った一日。今しか見られないものは、見られるなら、見ておくべきだと思う。

胴吹き桜

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たまってる仕事のことはとりあえず忘れて(苦笑)、今日はGR DIGITAL IVをバッグに入れ、昭和記念公園をぷらぷら散歩。人出は思ってたほど多くもなく、都心の花見の名所のようなカオスな雰囲気もなく(笑)、ハムの串焼きをもぐもぐ食べながら、のんびりと桜や春の花々を眺めてきた。

桜の木を見ていると、時々、枝先ではなく幹からぴょこっと数輪の花が咲いていることがある。これは胴吹き桜と呼ぶそうなのだが、「あ、しまった。出るとこ間違っちゃった」感が何かいいなあと思う(笑)。

ロープロ プロタクティック 350AW & 450AW

Lowepro Protacticしばらく前からの懸案だった取材用のカメラバッグの問題に、ようやく一つの結論を出した。選んだのは、ロープロのプロタクティック350AW。去年の秋にリリースされた、新しい設計のカメラバッグだ。

今回、選ぶ基準として考えていたのは、標準ズームをつけたカメラとレンズ2、3本、予備のカメラ、13インチくらいまでのノートパソコン、そして撮影機材以外のものもそれなりに収まる収納力を持っていること。なおかつ、できるだけ取り回しやすいサイズで、頑丈でもあるということだった。

バックパック型のこのカメラバッグは、上部のメインの取り出し口のほかに左右下部にも取り出し口があり、スリングパックっぽい使い方もできる。背中側からはフルオープンにできるので、中身の整理や間仕切りの調整もしやすい。入れようと思えばレンズをつけたカメラ2台を上下に収めることもできるが、D800クラスのボディだと、上部の取り出し口は問題ないものの、左右下部からの出し入れはちょっと窮屈。一方のカメラに70−200mmクラスのレンズをつけっぱなしにするなら、同型で一回り大きいプロタクティック450AWを選んだ方がいい。僕の場合は、350AWの上半分に24−120mmをつけたD800、下に16−35mmや70−300mm、空いた隙間に50mmやサブのGRD4、予備バッテリーなどを収めるつもりでいる。

取り出し口が多い割に、全体の造りは結構がっちりしていて、それなりに安心感がある。背中側には13インチ程度のノートパソコン用収納スペースが用意されているほか、内外には小物整理用ポケットがいくつか。それ以外にも、このバッグには外装全体にスリップロックループが張り巡らされているので、対応するボトルポーチやアクセサリーケース、三脚固定用のストラップなどを自由に装着できる。僕がプロタクティック350AWを選んだ最大の決め手は、この拡張性の高さだった。だって、水筒もなしでラダックやタイを歩き回るなんて考えられないし、脱いだ上着やレインポンチョはストラップで留めておきたいし。撮影機材しか持ち運べない設計のカメラバッグは、結局、僕にとっては使いにくいだけなのだ。

こちらの公式の動画で、どういう感じで機材が収まるかを見せてくれているので、参考までに。

一通り機材を詰めて、背負ってみると、なかなか軽快。上部からのカメラの出し入れもスムーズだ。実際に使ってみなければわからない部分もあるだろうけど、僕にとっては、通常の取材ならこれで十分対応できそうだ。昔からロープロとは相性がいいので、もし強烈に気に入ってしまったら、450AWも買い足すかもしれない(笑)。現場に持ち出すのが今から楽しみだ。

カメライターについての考察

最近、といってもここ一、二年くらいなのだが、初対面の人から仕事について聞かれて、「基本的には編集者兼ライターで、必要に応じて写真も撮ってます」と答えると、「ああ、カメライターなんですね」と言い放たれることが時々ある。

「カメライター」という言葉自体、微妙な造語だなと思うのだが、その使われ方も結構ネガティブというか、「写真と文章を両方できると売り込んで、安く仕事を取ってきてる、どっちつかずの連中」みたいなニュアンスの蔑称として使われている場合が多いように思う。特に同じ業界の人たちから。

僕自身に関して言えば、写真が仕事の範疇に入ってきたのは本当にたまたまだった。最初のガチな仕事が自分の初の単著に使う写真の撮影で、それも他に誰にも頼めなかったから(ラダックに一年半も住んでくれる人なんていない、笑)というだけのこと。その一回こっきりで終わらずに撮影や写真の貸し出しの依頼が続くようになるとは、想像もしていなかった。

文章についても、写真についても、自分の能力はどちらもまだまだだということははっきり自覚しているけれど、文章だけ、あるいは写真だけでも、仕事として依頼されれば、お金を受け取るのに恥ずかしくない結果を残す自信は、それなりにある。なければプロとは名乗らない。あと、少なくとも「写真と文章の合わせ技にできますから人件費をコストダウンできますよ」といったこすっからい売り込みは、僕は一度もしたことがない。もらえるなら倍もらうか、撮影は信頼できるカメラマンさんに依頼する。

実力のあるフォトグラファーの方々は、自分自身で語るに足る言葉を持っている。実力のあるライターさんたちは、何が大切かを見抜く目を持っているから、ペンをカメラに持ち替えてもそれを捉えられる。個人的には、「カメライター」という言葉自体、そのうちそういうポジションの人が当たり前になりすぎて使われなくなると思っているし、「カメライター」をよろず屋とみなしていた人も消えていくだろうと思っている。

要は、世間からどんな呼ばれ方をされようが、結果を出せばいいだけのことだ。