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自然と人と

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この間、ほんの気まぐれに、Facebookのカバー写真を上の写真に変えた。すると、結構いろんな人からこんな風に聞かれた。

「これ、クマですよね。どうやって撮ったんですか?」
「いや、たまたまこういう場面に居合わせて、普通にそのまま」
「だって‥‥めっちゃ近くないですか、これ?」

この写真を撮った、アラスカのカトマイ国立公園のブルックス・ロッジは、アラスカの他の場所と比べても格段に近い距離で野生のブラウンベアの様子を観察できる場所として知られている。ロッジの敷地や川沿いに設けられている観察用のデッキまでの道などには、トランシーバーを持ったレンジャーが常駐して、人が不用意に近過ぎる距離でクマに遭遇しないように目を光らせている。ロッジを訪れる客も、まず最初にクマに関するレクチャーを受けなければならない。

そうはいっても、ロッジのすぐ近くの湖畔をぶらぶらしてるクマに、こんな風に結構な至近距離で行き合わせる可能性はある。そんな時に感じるのは、自分という存在の脆さ。このクマがほんのちょっと気まぐれを起こせば、僕なんて、簡単にぺしゃんこにされてしまうのだから。

人は、時に傲慢に自然を踏みにじり、取り返しのつかない仕打ちをする。軍の基地のために珊瑚の海を埋め立てるとか。でも、そうして人がこしらえたものは、往々にして長続きはしない。自然の側も、時に台風や地震や津波のように途方もない力で、人に災厄をもたらす。人は自然に対して、どんな風にして向き合っていくべきなのだろう。自然の中で、人は人として生きることを許された存在なのだろうか。

しばらく前から、そんなことを、ぼんやりと考え続けている。

がむしゃらに

この間、とある会社から、まったく予想もしてなかったような打診を受けた。最終的にそれが仕事という形になるかどうかはわからない、というか、そうなる確率はけっして高くないのだが、少なくとも、そういう打診をもらえたこと自体、僕にとっては一種の励みになるものだった。

で、それをきっかけに、あらためて思ったのだが‥‥やっぱり、もっと撮らないと、もっと書かないと、ダメだなと。去年の秋にアラスカに行った時、自分の中で何となくリスタートを切れたような気もしていたのだが、それにしては、今はまだ、写真も、文章も、全然足りてない。もっといろんな土地にばんばん出かけていって、目に映るもの、聞こえてくるもの、心に刺さるもの、かたっぱしから撮って、書いて‥‥それを形にできるかどうかは、場合によっては後回しでも構わない。

いい意味で、もっと後先考えず、がむしゃらに。今だからできること、今しかできないことを。

四月の雪

雨に時折雪が混じる、寒い一日。四月とはとても思えない。

今日は朝から向ケ丘遊園の方で大学案件の取材があったのだが、至るところで電車が遅れていた。僕自身は予定の時間に間に合ったものの、それ以外の関係者が全員遅れたので、取材の時間も押して、おひるも食べられないまま午後の取材に突入。ひもじかった‥‥。隣に座っていた営業さんのおなかもきゅるきゅる鳴っていた(笑)。

取材を終えた後、恵比寿に移動。AFURIで柚子塩ラーメンを食べて一息ついて、今日から始まる竹沢うるまさんの写真展へ。風合いのある紙の質感と相まって、時に絵画のようにすら見える美しい佇まいの作品を堪能。その後は京橋に移動して、たかしまてつをさんの手帳絵&品々絵展へ。見ていて何だかほほえましく、でも時にはっとさせられる作品の数々。文具店の二階という展示空間そのものもすごくよかった。

そんなこんなで、四月の雪の中を駆けずり回った一日。今しか見られないものは、見られるなら、見ておくべきだと思う。

胴吹き桜

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たまってる仕事のことはとりあえず忘れて(苦笑)、今日はGR DIGITAL IVをバッグに入れ、昭和記念公園をぷらぷら散歩。人出は思ってたほど多くもなく、都心の花見の名所のようなカオスな雰囲気もなく(笑)、ハムの串焼きをもぐもぐ食べながら、のんびりと桜や春の花々を眺めてきた。

桜の木を見ていると、時々、枝先ではなく幹からぴょこっと数輪の花が咲いていることがある。これは胴吹き桜と呼ぶそうなのだが、「あ、しまった。出るとこ間違っちゃった」感が何かいいなあと思う(笑)。