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幸せな日々


月曜の朝、インドから日本に戻ってきた。ラダックのレーからデリーで乗り継いでの飛行機の旅は、今までになかったほど順調だったのだが、ちょうどいい時間に乗ったはずの成田から吉祥寺までのリムジンバスが都心で大渋滞につかまってしまい、それが一番疲れた(苦笑)。

一年ぶりのラダック。約4週間の滞在のうち、後半はガイドとしてのツアー添乗の仕事でほとんど埋まっていたし、自分自身の取材に割けた時間はほんのわずかだったのだが、それでも、ひさしぶりに手応えのある、自分自身でも納得のいく取材ができたような気がしている。自分本来のやり方が間違っていないことを、しっかり確認できたというか。

それらを差し引いても、今年のラダックで過ごした日々は、本当に幸せな日々だった。こんなにも穏やかな時間を過ごさせてもらっていいのかなと、ちょっと申し訳なくなるほどに。

その日々のことは、9月に予定している小さな写真展などでお見せできればと思う。お楽しみに。

写真とえこひいきについて

知り合いの写真家さんたちと話していると、撮影する時に「えこひいき」をするかどうか、という話題になることがある。

たとえば、アジアのどこかの国を旅していて、子供たちが5、6人いるような場面に遭遇して、仲良くなって、写真を撮ることになったとする。で、子供たちの中に、ものすごく写真映えのする表情の子がいたとしたら、どうするか。みんな平等に撮るか、それともその子だけちょっとえこひいきして撮って、狙ったカットをものにするか。

ほとんどの写真家さんは、「えこひいきはある程度します」と正直に言う。それは確かにそうだ。プロとしてよりよい写真を撮るためには、そういう選択をしなければならない時もあると思う。

ただ、自分の場合はどうだろう、と思い返してみると……えこひいきはしない、というか、できないと思ってしまう場合がほとんどだと思う。せいぜい子供たち全員集合のカットを撮った後、1人か2、3人ずつ個別に何枚か撮っていく中で、その写真映えする子も単独で撮る、くらいか。

なぜ、えこひいきできないと感じるのかと考えてみると、自分は何かの場面に遭遇した時、写真家としての目線ではなく、物書きとしての目線で対峙しているからだと思い当たった。写真家としてクオリティの高い写真をものにするなら、ある程度えこひいきをするべきなのかもしれない。でも、物書きとしては、その子供たちとどんな出会い方をして、どんな時間を過ごしたのかという事実の方が、時と場合によっては写真より大事になることもありうる。えこひいきすることでそれが微妙に崩れてしまうのは、僕の望む結果ではない。

文章は言葉の羅列だから、書こうと思えばどんな風にでも書ける。でも、だからこそ、僕は起こった出来事をありのままの形で書きたい。その結果、最善のクオリティの写真を撮り逃したとしても、それは仕方ないとあきらめる。

物書きの目線で、写真を撮る。プロの写真家の方々から見れば、まだるっこしいやり方なのかもしれない。でも、だからこそ撮れる写真、書ける文章もあるのかもしれない。最近はそんな風に思っている。

バングラデシュの記憶

バングラデシュの首都ダッカのレストランで、日本人を含む外国人20人が殺害されるテロ事件が起こった。バングラデシュでは去年から日本人や外国人が殺害される事件が時々起こっていたが、これほど大規模なテロは今までになかった。巻き込まれた方々のことを考えるとやりきれない思いがある。

僕がバングラデシュを訪れたのは、2年前の2月。ほんの10日ちょっとの旅で、自由時間もろくにないプレストリップだったが、それでもあの国の魅力は直に肌で感じることができた。膨大な数の人々がうごめくように暮らす巨大都市ダッカ、みずみずしい水田が広がる農村、霧に閉ざされたマングローブの密林、そして、穏やかでシャイで、人なつこい人々。彼らのはにかむような笑顔を思い出すと、なおさら胸が苦しくなる。

テロはもちろん絶対に許されない行為だし、今のような状況下でバングラデシュを旅したりするのは無謀だ。でも、「テロで日本人が殺された怖い人たちの国」という変なレッテルがバングラデシュに貼られてしまうのは、それはそれでよくないとも思う。いつかまた、いろんな物事が良い方向に動くようになるといいのだが……。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

つながっていくもの

昼、横浜へ。中華街で2週間ほどやらせてもらっていた、ラダック写真展の撤収作業。パネルを外し、テープをはがし、梱包し……という作業に、黙々と取り組む。

お店の方によると、僕が在廊していない日でも、結構いろんな人が展示を見に来てくださっていたのだそうだ。近隣の方はもとより、埼玉とか、大阪とか、はるばる遠方から来てくれたフットワークの軽い方々も。ありがたいことだなあと思う。

昨日の夜に来ていたお客さんたちで、初対面なのに、今年の夏にほぼ同じ時期にラダックに行くからと、お酒を飲みながらすっかり意気投合してしまった方々もいらっしゃったそうだ。そんな風にして、写真展をきっかけに出会いや縁がつながっていくというのも、面白い。飲食店内での展示ならではのめぐり合わせかもしれない。

伝えていくこと。つないでいくこと。僕の役割は、そういうことなのかな、と思う。

憧れの人

昨日の夜は、ラダック写真展開催中の横浜中華街のお店で、気のおけない何人かで集まっての飲み会。割と早めの時間から夜半前まで、のんびり飲んで、愉しかった。

その席上で、「それまでずっと憧れていて、実際に面と向かって会えて、感動した人は誰か」という話題になった。僕の場合は誰だろう……取材とかでは割といろんな人に会わせてもらってるけど……。で、今、あらためて思い返してみると、これまでに二人いたかな、と思う。

一人は、写真家のセバスチャン・サルガド。十数年前、渋谷で彼の大規模な写真展が開催されていた時、来日して会場に来ていた彼に、図録にサインしてもらったのだった。自分が二十代初めの頃からずっと尊敬していた人だったから、あの時は本当に気分が舞い上がったのを覚えている。

もう一人は、ダライ・ラマ法王。これも十数年前、両国国技館での講演のために来日された時、僕は講演会場でボランティアとしてお手伝いしていたのだが、ご帰国の直前、宿泊先のホテルでほかのボランティアのメンバーとともに謁見させていただく機会に恵まれた。あの時も尋常でないくらい緊張したなあ……。

二人に共通していたのは、握手していただいた手の、柔らかさと、温かさ。たぶん、一生忘れられない感触だと思う。