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滅びゆく職業

今の僕の仕事、ライターとか、写真家とか、そういう職業は、あと何十年か後には、滅んでいると思う。

つい最近、企業の決算サマリーを1日30本ものペースで自動的に量産できる人工知能「決算サマリー」が稼働し始めた。小説を書く人工知能の開発も進んでいる。少なくとも、昨年暮れに巷を騒がせたキュレーションメディアなどにパクリ記事を書いていたリライトライターの仕事は、あっという間に自動化されてしまうだろう。その方がコスパがいいから。

写真家の仕事の領域はしばらく前から狭まり続けているが、これからカメラの動画機能がさらに向上してくると、撮影という作業は動画がメインになって、写真は後で動画から静止画を切り出して作るもの、という扱いになるかもしれない。そうなると、撮り方も、捉え方も、見せ方も、何もかも変わってくる。撮影自体も、ドローンなどで完全に自動化されるかもしれない。

僕たちは、レッドリスト入りした、絶滅危惧種なのだ。黄昏の侘しさをひしひしと感じながら、それでも、人の書く言葉にしかできないこと、人の撮る写真にしか伝えられないことがあるんじゃないかと、一縷の望みをかけながら、あがいている。じたばたと、なりふり構わず。

IPA is Dead

昨日は午後から竹芝に行き、石塚元太良さんの写真展「Demarcation」を拝見して、竹芝桟橋をちょっとぶらついた。その後六本木に移動し、Brewdog Roppongiというビアバーへ。

この店はスコットランドでこのブリュワリーが醸造しているクラフトビールを主に扱っていて、その日飲める10種類のビールの中から4つを選べるセットがあったので、それを注文。「Hardcore IPA」とか「IPA is Dead Simcoe」とか、名前からしてアルコール度数が高い。ホップの苦味と、華やかな香り。IPA(インディア・ペールエール)は、普通のビールよりホップをたくさん使っているのが特徴だ。昔、英国からはるばるインドまでビールを輸出するのに、より日保ちさせるためにそうしたとも言われているが、定かではない。

しかしまあ、それにしても、3日ぶりに飲んだビールのうまさたるや。文字通り、五臓六腑に染み渡った。

コニカミノルタプラザ

午後、新宿へ。コニカミノルタプラザで開催中の小池英文さんの写真展「瀬戸内家族」へ。今日は小池さんと石川梵さんのギャラリートークがあった。台本なしの自然体なお二人のトーク、楽しかった。

小池さんたちの写真展は、コニカミノルタプラザでの最後の展示となる。来週1月23日で、このギャラリーは閉鎖となるのだ。ここの前身となるギャラリーができたのが1954年。コニカとミノルタは2003年に合併し、2006年にはカメラ関連の事業から撤退してしまったのだが、その後もコニカミノルタプラザは存続し続けた。このギャラリーでの展示をきっかけに、世に羽ばたいていった写真家は数知れない。僕も新宿でちょこっと時間のある時などに、ふらっと立ち寄ることの多い場所だった。

残念だけど、お疲れさまでした。いつか、またどこかで。

次の旅へ

去年の10月末にタイでの取材を終えて戻ってきてから、かれこれ2カ月半、日本にいる計算になる。散髪に行っても、コーヒー豆を買いに行っても、行く先々で「あれ、まだ日本にいるんですね」「次はいつ、どこにですか?」と聞かれる(苦笑)。

次の旅は、実はもう決まっている。必要な手配もほぼ済ませた。3月上旬に一週間。目的地は、アラスカ。原野の真っ只中にあるウィルダネスロッジに、数日間、滞在させてもらう。今回はキャンプではないので、幕営の装備や食糧を持っていかなくていいから、かなり楽だ。これまでに比べると、ちょっと甘ちゃんの計画(笑)。

とはいえ、まだ雪がたっぷり積もっているはずの極寒の原野。油断してると、間違いなく痛い目に遭うだろう。ぬかりなく準備して、気を引き締めて、あらゆるものを見て撮って感じて書いて、楽しんでこようと思う。

プロとアマチュア

撮り・旅!」という本を作ったのがきっかけになったと思うのだが、旅の写真を撮っている写真家の知り合いが増えた。プロとしてそれを仕事にしている人だけでなく、アマチュアの人も含めて。

ある人は、そんじょそこらの自称プロカメラマンよりずっとセンスの良い写真を撮っているのだが、「今の仕事が好きだから」と、プロになろうとはせず、フォトコンテストに応募したりもせず、ただ旅をして写真を撮るのを楽しんでいる。別の人は、フォトコンテストハンターと呼べるほどいろんな賞をもらっていて、一時は著名な写真家への弟子入りも検討したものの、悩んだ末、今の仕事を続けていくことを選んだという。

プロとして好きなことを仕事にして、それで生活していくことだけが正しい選択肢だとは、少なくとも僕は思わない。そもそも、「好きなことを仕事にして生活しているかどうか」は、その人の生み出すものの価値を判断する要素には含まれない。ただ、プロとして退路を断って覚悟を決めることが良い結果を出す原動力になる人もいるだろうし、「自分はプロじゃないから」という言い訳が詰めの甘さにつながっているアマチュアの人もいるだろう。

プロとアマチュアの違いは、仕事として引き受けてその報酬にお金をもらうのと引き換えに、自分の生み出したものに対して責任を負う、という点なのだと思う。僕自身、文章、写真、編集と、結果的に三足もの草鞋を履いてしまっているわけだが、どの分野でも絶対に言い訳はせず、プロとして責任を持っていきたいと思っている。自分自身に、甘えないように。