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運命の巡り合わせ

運命の巡り合わせ、という言葉がある。その人にとって、偶然という一言で片付けるには不可思議に思えるような出来事がいくつか続いた時に、よく使われる言葉だ。

僕は数年前から、とても個人的な動機で、アラスカを取材をしている。その動機が生まれた背景には、いくつかの出来事があったのだが、それらについて近しい人に話すと、ほとんどの人が口を揃えて「それは運命の巡り合わせじゃないですか」と言う。確かに、そう言いたくなるのもわかるような、不可思議としか言いようのない符合が(20年以上前から)あった。でも僕自身は、それらの出来事を「運命の巡り合わせ」という言葉であっさり片付けてしまいたくはない、という気持でいる。

この世界は、目には見えない運命というものに支配されてなどいない。人が生きていく中で起こるたくさんの出来事の中から、何を感じ、何を選び、何をするのかは、その人自身が決めることだ。そうして選んだ道は、時には、もしかするとどん詰まりになるかもしれないけれど、そうなったとしても、僕は後悔はしない。自分で考えて、選んだ道だから。

運命なんか、アテにして、たまるものか。

ランダム表示

このサイトのヘッダに表示される写真を、アクセスのたびにランダムに表示が切り替わる形に変更してみた。特に深い理由はなく、単なる気まぐれで。

写真は今のところ、合計で6枚。いずれもアラスカで撮影した写真。気が向けば、また何の前触れもなく、しれっと追加するかもしれない。それもまた、気まぐれで。

アラスカの写真と、そして文章。いつか、納得のできる形で、まとめられるといいなと思っている。それがいつになるのか、今はまだ皆目見当もつかないけれど。

もしも明日人生が終わるとしたら

飲み会の席で、こんなことを訊かれた。

「もしも明日人生が終わるとしたら、最後の日、何をしたいですか?」

さて、何をしよう‥‥と考えてみると、意外なほどすんなりと、自分の場合はこれだな、という答えが出た。

その時点で手元にある、未発表の写真や文章。それを残された24時間(せめてそのくらいの時間はもらいたい)を使って、できるだけ選んで整理して、何らかの形で発表できるようにまとめる。最低限の準備しかできないだろうけど、まあそれは仕方ない。まとめた素材は、信頼できる人に「すみませんが、これをお願いします」と託す。

その後、もし時間が少し残っていたら、ビールを飲みながら何かおいしいものが食べたい。営業時間内だったら、リトスタがいいな。家から近いし。飲み食いし終えたら、家に帰って、まあこんなものかな、と思いながら、その時を待つ。

「そうして発表されたものが読者にどんな風に受け取られるか、知ることができなくてもいいんですか?」と訊かれた。反応を知る時間がないのは確かに残念だけど、褒めてもらうのが目的ではないから。伝えられれば、それでいい。

実際に、そんな風に終えられたら、いいかもな、と思う。

悪気はなかった

たとえば、の話である。

ある人が善意で募金活動をしていた。その人が配っている手製のチラシに、なぜか、僕が昔撮った写真が使われていた。どうやら、その人がネットで画像検索してどこからか見つけたものを、チラシにするのに具合がいいからと、そのまま使ってしまったらしい。

「それは僕の写真です」と僕はその人に言う。善意の募金活動でもあるし、掲載料を払えとは言えないが、それでも「無断で使用するのは困ります」とは言わなければならない。その写真を撮影した者として。

「すみませんでした。悪気はなかったんです」とその人は言う。別の写真に差し替えます、とも。僕には何だかもやもやした気持ちが残る。細かいことにツッコミを入れて、意地悪な仕打ちをしてしまったような。

そういう場合の、そもそもの解決策。

たとえ善意の目的だろうと、無償の奉仕だろうと、ネットで拾った画像を使って何かを作ろうなんて発想をするな。必要な素材は、それを所有する人間に「使わせてください」と、頼め。

考えてみれば、当たり前のことだ。その当たり前の手順を踏めない人が、世の中には多すぎる。

道しるべ

昨日はモンベル御徒町店で、写真家の関健作さんとのトークイベント。昼に会場入りして、椅子やプロジェクターの設営と、書籍販売の準備。会場はほぼ満席。いざ本番……となると、毎度のことながら緊張して、何をしゃべったかあまり覚えてない(苦笑)。関さんの軽妙なトークに助けてもらいながら、どうにかこうにか乗り切った。

終了後は希望者の型に本へのサインなどをさせていただいて、その後はあたふたと撤収作業をして、曙橋へ移動。チベットレストランタシデレでの懇親会。こちらも満席で、みなさん楽しそうに歓談されていて、良かった。しかしまあ、自分で企画しておいて何だが、イベントからサイン対応から懇親会まで、全部ひとつながりのイベントみたいなもので、気を抜く暇がまったくなかったから、さすがに、こてんぱんに疲れた。

お客さんにも、いろんな人がいる。気軽に足を運んでもらってワイワイ楽しんでもらうのも、もちろん嬉しい。自身も写真や文章に携わっていて、何かのヒントをつかみ取ろうとしている人も、もちろん歓迎。時には、何かで思い悩んでいて、心の深いところから取り出してきた質問を投げかけてくる人もいる。そういう質問には、こちらも真剣に応えなければいけない。

僕らが生きてきた中でたくわえてきたものが、誰かが生きていくための道しるべになるのかもしれないなら、喜んで差し出そうと思う。いつかまた、こういう機会があれば。