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選べたかもしれないもの

昨日は夕方から、阿佐ヶ谷にある小さなライブハウスへ。リトスタのokayanとミヤザキ店長、そして常連の方々のバンド「ナカマチテラス」の演奏を堪能させてもらった。ほとんどのお客さんはリトスタつながりで、とても和やかで、心の温まる時間だったように思う。

人間は、生まれた直後には、とてもたくさんの道の中から人生を選ぶことのできる可能性を与えられている。でも、時が過ぎ、年齢を重ねるにつれ、周囲の環境とか、人との関係とか、自分自身の意志とか、いろんな理由によって、そうした選択肢はだんだん少なくなっていく。

たとえば僕は、もうサッカー選手やボクサーには絶対になれない。絵描きにも、医者にも、それどころかたぶん普通の会社員ですら無理だ(苦笑)。昨日の夜の彼らのように、人前で歌を歌いながら演奏したりすることも、僕にはまったくできないし、それはずっと変わらないだろう。かつては選べたかもしれないけれど、今はもう選べないというものは、誰にとっても、きっとたくさんあるはずだ。

だから、今も選ぼうと思えば選べるものがある人には、それを大切にしてほしいと思う。歌を歌ったり、絵を描いたり、どんなことでも。やろうと思えばできることも、やらなければ、できないのと同じ。自分自身、あらためてそう思った。

戻ってきた音楽

オンキヨーのネットワークCDレシーバーCR-N765とスピーカーD-112EXTを自宅に導入して、三週間ほど経った。結論としては、思い切って買い替えてみて、本当によかったなと思う。

まず、CR-N765は単体でradikoが使えるので、その時の気分で好きなラジオ局をよりどりみどりに選んでノイズレスで聴けるようになったのが、うちの環境には本当に大きかった。おかげで、部屋にいる時は、ほぼずっとラジオをかけるようになった(執筆作業の時は無音にして集中するけど)。アルバムをちゃんと聴きたい気分の時はCDを、ちょっとものぐさな気分の時はApple TV経由のAirPlayでiTunesのプレイリストをかけ流しにする。いろんな方法を選べるようになったので、日々の時間の隙間にぴっちりと音楽が埋まっていった感じだ。

D-112EXTが出す音の解像感の高さは、音量をごく小さく絞った時にも際立って感じられる。夜の遅い時間に、近所迷惑にならないように本当にかすかな音で、おとなしめのジャズやボサノヴァをひっそりとかけると、心身がふわりと解きほぐれていく気がする。

何だかすっかり嬉しくなって、最近は、もう何年もご無沙汰だった、昔買ったCDを発掘してはかけてみて、「こんな音だったのか〜」と驚いたり、「うわ〜懐かしい〜」と和んだりしている。仕事以外の時間を、前よりもずっと豊かな気分で過ごせるようになったのは間違いない。

音楽が、生活の中に戻ってきた。

オンキヨー CR-N765

crn765自分の部屋で音楽を聴くのには、かれこれ14、5年くらい、ボーズのWave Radio/CDという一体型オーディオを使い続けてきた。古い割に音質は優秀だったし、ラジオを聴いたりする分には何の不満もなかったけれど、iTunesで購入したダウンロード音源を手軽に聴いたりはできないので、その辺、もうちょっとどうにかならないかなとは思っていた。

で、そのうち、ラジオを聴くのにも問題が出てきた。各社の放送がスカイツリーからの発信に移行した頃から、急にノイズがひどくなったのだ。うちの部屋の位置がスカイツリーと相性が悪かったのだろうが、執筆以外の仕事の時間にかけ流しておくラジオは僕にとってかなり大事なので、何とかしなければならなくなった。

自分に必要なオーディオの機能を挙げてみると、こんな感じになる。

間違えまくる店員

週明けにネットで注文した、オンキヨーのネットワークCDレシーバーが今日になって届いた。スピーカーは、ネットで買うよりもヨドバシの方がポイントの分だけ得のようだったので、夕方、歩いて吉祥寺のヨドバシに向かう。

今回はスピーカーの他に、MacのiTunesにある音源をApple TV経由で出力するための光デジタルケーブルと、ネットワークCDレシーバーのインターネットラジオ機能を使うためのWi-Fiアダプタを買うつもりだった。で、店内に入って、店員さんの一人を呼び止め、こういう用途でスピーカーと光デジタルケーブルとWi-Fiアダプタが欲しいと言うと、

「Apple TVには、光デジタルポートはないですよ。HDMIだけです!」
「いや、ありますよ(だって僕Apple TV持ってるし)」
「えっ? じゃ、ちょっと他の売り場で確認してきます!‥‥‥‥お待たせしました! 光、ありました!」

このあたりは序の口で、この店員さん、僕がApple TVとWi-Fiアダプタを併用する理由について、そもそもの仕組みがよく理解できていないようで、全然違う答えをくりかえしていた。Apple TV経由ではradikoなどの音声は飛ばせない(Macの全サウンドを飛ばす設定にすれば可能だが、そうするとたぶんメール着信音まで飛んでしまう)のだが、オンキヨーの製品にはインターネットラジオ機能がついてるから、それを活かすためにWi-Fiアダプタを使うのだけれど。

で、最後に店員さんがレジにスピーカーの箱を運ぼうとしていた時、

「店員さん、それ、型番同じだけど色が違う! 僕がほしいと言ったのはブラックの方!」

危ないところだった。ヨドバシは、たとえ店員のミスで商品を取り違えたとしても、客が自ら返品交換に持ち込まなければならないのだ。昔、イヤフォンのイヤーピースを買った時にそういう羽目に陥ったことがあるが、こんな重たいもので同じ目に遭うのはさすがに困る。

みんながみんな、こんな感じではないとは思うけど、職場が職場なだけに、もうちょっと、知識と慎重さを、よろしくです。

音楽の力

昨日の夜は、恵比寿ガーデンホールで開催された、アン・サリーさんと畠山美由紀さんの「ふたりのルーツ・ショー」へ。お二人がそれぞれのルーツにある曲、好きな曲、歌ってみたい曲を披露するこのライブ、去年観た時も素晴らしかったのだが、今年はさらにしっとりと深みを増した、聴き応えのある選曲だった。

司会の中原仁さんとお二人とが繰り広げる曲間のトークもこのライブの楽しいところなのだが、アンさんがさらっと何気なく話したエピソードが、とても深く印象に残った。

普段は医師として病院に勤めているアンさんは、時々、患者さんのお宅に往診に行く場合があるそうなのだが、あるお宅で患者さんの元気のない様子を見て、「蘇州夜曲を歌ってさしあげましょうか?」と聞いて、その場で歌ったことがあるのだという。医学的な治療でもそう簡単には結果を出せないような、患者さんの心に安らぎを与えたり、元気づけたりすることのできる力が音楽にはあると思う、という内容のことをアンさんは話していた。

本当に、その通りだと思う。今の時代、CDもだんだん売れなくなり、音楽は二束三文でつかの間消費されては忘れ去られていく存在と思われるようになっているのかもしれないけど、それでも音楽は、確かに人の心の中に残り続けて、時に支えになってくれる存在であることは、昔も今もきっと変わらないはずなのだ。

僕も、自分の生活の中の音楽のポジションを、あらためて見直してみよう、と思った。