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「スケッチ・オブ・ミャーク」

沖縄の宮古諸島には、古くから受け継がれてきた独特の歌の文化が残されている。重い人頭税に苦しめられた厳しい暮らしの中で生まれたアーグ(古謡)、そして祈りの場所である御嶽(うたき)で捧げられた神歌(かみうた)。それらを歌い継いできた宮古諸島の人々についてのドキュメンタリーが、この「スケッチ・オブ・ミャーク」だ。

映画の造りとしては、島の人々の暮らしぶりやインタビューが、彼らのコンサートの模様と絡めて構成されているあたり、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を彷彿とさせる。僕たちが暮らしている同じ日本の中に、こうした素晴らしい祈りの歌の文化が残されていたことは、本当に驚きだ。これ以上ないほど素朴で、どこか懐かしく、大いなるものへの畏敬の念に溢れていて、聴いていると名状しがたい何かが心に沁み渡ってくる。

昔から当たり前のように口承で受け継がれてきたこれらの歌は、今では次第に記憶する人々が減り、受け継いでいくことが困難になっているという。僕が以前訪れたラダックのダーで暮らす「花の民」ドクパの人々も、古くからの土着の信仰に根ざした歌の文化を持っているのだが、同じように口承で受け継ぐことが困難になっているという話を聞いた。おそらく、世界のさまざまな場所で、こうした希少な文化が近代化の波に呑まれて消えようとしているのだろう。そういう意味では、古くからの記憶を持つ宮古諸島の老人の方々の声を記録したこの映画は、大切な役割を果たしたのではないかと思う。

同じ日本人なら、この映画を見届けておくことをおすすめする。

春の宴

昨日は、前の日に予約を入れておいた歯医者へ朝イチで出かける。奥歯の詰め物が部分的に欠けてしまったので、その補修に。起き抜けでいきなり歯を削られるのはかなり憂鬱だったが、まあ仕方がない。

いったん家に戻り、出版社から配送されてきたラダックガイドブックの見本誌を受け取って、すぐに出かける。代官山蔦屋書店へ。旅行書コーナー担当の方に、出版社の編集者さんと営業担当さんとご挨拶。「もう、平積みスペースを用意して待ってますよ!」と言っていただいて、恐縮至極。一人でも多くの人の目に触れるといいのだけれど。

夜は、六本木のスイートベイジルで、畠山美由紀さんのライブ「春の宴」を観る。素晴らしかった! 穏やかで、朗らかで、たおやかで、時に悲しく、でも美しく‥‥。生まれてこのかた、今まで観てきた中でも、最高のライブだったと思う。間違いなく。

いろいろなことが報われて、ご褒美をもらっているような気分になった。

音楽のない人生なんて

欲しいCDが何枚か見つかったので、ひさしぶりに店に買いに行くことにした。最近は、アマゾンのアフィリエイト収入として送られてくるギフト券でオンライン購入することがほとんどだったので、かなり新鮮。

出かけたのは、某大手CD量販店。入口から中に入って感じたのは‥‥「あれ?」という違和感。昔はこういう店に入ると、すべてが鮮やかにきらきらと輝いていて、ぶらつきながら棚を眺めてるだけで、不思議にわくわくしたものだった。でも今は、そこかしこに貼られているパネルなどの宣材も、安っぽいというか、色褪せているというか、そこまで気を配る時間もお金もないという感じ。手描きのポップも、すっかり古びてしまってるものが多い印象だった。あくまで個人的な印象だが‥‥苦しいんだろうな、音楽業界も。

だからというわけではないけど、今日は高めのCDを二枚、大人買い。ちょっとは貢献できたかな。音楽のない人生なんて、考えられないし。

奥華子「good-bye」

奥華子のメジャー通算六枚目のアルバム、「good-bye」。このアルバムは本来なら、去年の秋くらいには出ているはずのものだったと思う。先行シングルの「シンデレラ」は、去年の六月に発売される予定だったが、半年以上延期された。その原因には、東日本大震災がある。

震災後、彼女はそれまで予定されていたリリースプランを変更し、被災地を支援するための活動に奔走した。「君の笑顔 -Smile selection-」というコンセプトアルバムを作り、全国各地でフリーライブを開催して支援金を募り、被災地にも何度も足を運んで、歌った。そんな中でも、たぶん、彼女は痛いほど感じていたと思う。想像を絶する現実と悲しみの前で、自分たちがどれほど無力なのかということを。

去年、彼女は南三陸町の避難所で出会った女性から、「頑張ろうとか、応援歌とかではなく、行き場のない思いに寄り添った曲を作ってほしい」というメールを受け取った。「頑張れと言われても、頑張りたくても、なかなか頑張れないんです」と。自分が経験したのではないあの悲劇について、何が歌えるのだろう。でも、その思いを教えてもらって歌にすることはできるかもしれない。そうしてメールのやりとりを重ねた中で生まれたのが「悲しみだけで生きないで」という曲だった。

本当に大きな悲しみの前では、どんな慰めも、励ましも、何の役にも立たない。その無力さも、やりきれなさも、いたたまれなさも、何もかも抱え込んだ上で、彼女は声を絞り出して歌う。「それでも生きて」と。

一人ひとりが、それぞれにできることをしながら、毎日を精一杯生きていくしかない。そうすれば、何かが、誰かに届く。明日に繋がっていく。彼女はきっと、そう伝えたかったのだと思う。

観客の役割

昨日の夜は、渋谷で開催された畠山美由紀のライブに行ってきた。

彼女の本格的なホールライブに足を運んだのは初めてだったが、圧倒的な歌唱力と盤石な演奏が見事に噛み合った、素晴らしいパフォーマンスだった。「わが美しき故郷よ」の詩の朗読と歌は本当に泣けたし、アンコール前の「What a Wonderful World」のパワフルな演奏には思わず叫び出したくなるほどだった。

ただ、その一方で残念だったのは、観客の側のマナー。平日の夜とはいえ、これだけ遅刻して入ってきた人の多いライブは初めてだったし、中盤にさしかかってからも、席を立って外と内とを行き来する人がすごく多かった。デリケートなバラードの歌声に集中しているさなかに前を行ったり来たりされると、まったく集中できなくなる。たぶん、ステージ上からもよく見えてたんじゃないかな。キース・ジャレットとかだったら、怒って演奏を中止して、帰っちゃったレベルかもしれない(苦笑)。

観客にも、ライブでともに素晴らしい時間を作り上げるために果たすべき役割がある。周囲の他の人に、できるだけ迷惑をかけないこと。ささやかな、当たり前のことだけど、なるべく守ってほしいなと思う。