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「海炭市叙景」

観終わった後に残るのは、暗く、苦く、やりきれない思い。でも、たとえようもなく美しい映画だった。

小説家、佐藤泰志は、村上春樹や中上健次と並び評される才能の持ち主だったが、不遇の果て、1990年に自らの命を絶った。彼が生まれ故郷の函館をモデルにした「海炭市」を舞台に描いた未完の連作短編集をもとに生まれたのが、この「海炭市叙景」。映画の制作は函館市民の有志によって企画され、地元の人々の全面的な協力を受けて撮影が行われたという。

スクリーンに映し出される「海炭市」の空は、濡れ雑巾のような雲がたれ込め、雪混じりの風が吹き荒んでいる。造船所の仕事を失って途方に暮れる兄妹。豚小屋とそしられる古い家から立ち退きを迫られている老婆。水商売の仕事をしている妻の浮気を疑う夫。新しい事業も再婚相手ともうまくいかず苛立つガス屋の若社長。路面電車の運転手と、ひさびさに帰郷したのに会おうとしないその息子‥‥。幸せな人は、たぶん、一人もいない。誰もが何かに行き詰まり、涙や後悔や苦い思いを噛みしめている。カメラは淡々と、しかしどこか優しいまなざしで、彼らの姿を追う。

時代に取り残され、ひっそりと朽ちていく「海炭市」は、もしかすると、誰の心の中にもある故郷の姿なのかもしれない。そこにいても、いいことなんて、何一つない。できることなら、何もかも投げ出したい。だけど、それでも‥‥。

「わたしたちは、あの場所に戻るのだ」。その一言が、今も胸の裡に響いている。

「リトル・ミス・サンシャイン」

昨日のエントリーでも紹介したApple TVで、初めて映画をレンタルしてみた。選んだのは、「リトル・ミス・サンシャイン」。三年ほど前に映画館で観たことがあるのだが、その時も面白い映画だったという記憶があったので、iTunes Storeに字幕版がラインナップされているのを見つけて「これだ!」と思った次第。

アリゾナの田舎町に住む、ぽっこりおなかの女の子のオリーブが、ひょんなことからカリフォルニアで開催される全米美少女コンテストに出場することになった。お金のない一家の面々は、黄色いワーゲンのワゴンに乗り、1000キロ離れた美少女コンテスト会場を目指す。成功するための怪しげなメソッドを出版してひと儲けをたくらむ父親。料理も作らず家族にフライドチキンばかり食べさせる母親。ニーチェに心酔して誰とも口をきかない兄。ゲイの恋人にふられて自殺未遂を起こしたプルースト研究家の叔父。ヘロイン吸引がやめられないワルでエロいじいさん。揃いも揃って(世間的には)負け犬で、お互いバラバラでいがみあってばかりの人たちが、旅の途中で起こるいくつかの小さな、そして大きな事件をきっかけに、少しずつ変わっていく。

クラッチが壊れたオンボロワゴンを、家族みんなで押しがけしながら、一人、また一人と走りながら車に飛び乗っていくシーンが、本当にすばらしくて、何度観てもじーんとする。「リトル・ミス・サンシャイン」に携わった人たちは、このシーンを撮りたいがためにこの映画を作ったのではないかと勘ぐってしまいたくなる(笑)。三年ぶりに観ても、やっぱり、しみじみいい映画だった。Apple TVを買ってはみたものの、さて何をレンタルしようかと迷っている方には、この「リトル・ミス・サンシャイン」をおすすめしたい。

ちなみに僕は、Apple TV自体からレンタルできるHD画質版を選んだのだが、画質や音質は申し分ないクオリティで、快適に観ることができた。パソコンのiTunesからは100円ほど安いSD画質版もレンタルできる。それほど大きくないテレビなら、そちらでも十分だと思う。

「トスカーナの贋作」

「好きな映画監督を五人挙げなさい」と言われたら、僕は悩みに悩んで、次の名前を挙げると思う。ジョン・カサヴェテス、クシシュトフ・キェシロフスキ、レオス・カラックス、ジム・ジャームッシュ、そして、アッバス・キアロスタミ。彼らの作品を初めて観たのは二十代の頃だったが、「これが映画というものなのか!」と、それまでの自分の価値観を根底から揺さぶられるような衝撃を受けたのを憶えている。彼らのどの作品も、僕にとってかけがえのない、宝石のような存在だ。

今年の東京フィルメックスで、キアロスタミ監督の最新作「トスカーナの贋作」が特別招待作品として上映されると聞いて、ひさびさに「観たい!」と脊髄反射的に思った。キアロスタミ監督の作品を映画館のスクリーンで観るのは、七年ほど前に公開された「10話」以来だ。これまで、フィクションとドキュメンタリーの垣根を軽々と飛び越え、観客をアッと言わせる作品を作り続けてきた彼は、今度はどんな魔術を見せてくれるのだろう。子供のようにわくわくしながら、暗いスクリーンにフィルムが投影されるのを待つ。

魔術は健在だった。やられた。想像を、はるかに超えていた。

銀杏と映画と生牡蠣と

明け方まで降っていた雨も止んだ。CAFE 246でランチを食べがてら、神宮外苑の銀杏並木を見に行く。すごい人の数だ。みんなケータイを宙に構えている。黄葉は八分くらいで、早い木からはもう、はらはらと葉が散りはじめていた。

地下鉄で移動して銀座へ。東京フィルメックスで特別招待作品として上映されるアッバス・キアロスタミ監督の最新作「トスカーナの贋作」を観るためだ。席で上映が始まるのを待っていると、すぐ近くのドアから入ってきた人が‥‥キアロスタミ監督だ! 心臓が止まりそうになる。自分が一番尊敬する映画監督と同じ空間で、最新作を観ることができるなんて‥‥。まるで、アイドルの追っかけにでもなったみたいにテンションが上がってしまった(笑)。映画の感想は、また別のエントリーで。

素晴らしい時間を過ごした後、テンションが上がりまくったそのイキオイで、丸の内にあるグランドセントラルオイスターバー&レストランに行き、今季初の生牡蠣を食べる。いい意味で、アメリカの大衆的なレストランの雰囲気があって、居心地がいい。数人で飲み食いすると楽しい店かも。

まったくもって申し分のない、秋の休日だった。明日からはまた、がっつり働こう。

「3 idiots」

今年の夏のラダックでは、インド人観光客の姿がやたらめったら目についた。どうしてこんなに多いのかとラダック人の知人に聞くと、去年インドで大ヒットしたアーミル・カーン制作・主演の「3 idiots」という映画のラストシーンが、ラダックのパンゴン・ツォという湖で撮影されていたからだという。その後、別のラダック人の友人夫妻の家に泊めてもらった時に、この映画の英語字幕入りDVDを観ることができた。

工科大学で「三バカトリオ」(3 idiots)と呼ばれていた、ランチョ、ファラン、ラジュの同級生三人。だが、卒業から十年、学年でも一番の天才だったランチョは消息不明のままだった。ところがある日、ファランとラジュを呼び出したかつての同級生チャトゥルは、ランチョの居場所を知っていると話す。十年前に交わした、彼とランチョのどっちが十年後に成功を収めているかという賭けの結果を確かめる時がきたというのだ。三人は一台の車に乗り、インド北部へとランチョを探す旅に出る——。

いやはや、面白い。これは予想以上にいい映画だ。

物語は、学生時代の三バカトリオのさまざまなエピソードと、ランチョ探しの旅とが並行して語られていく。コメディタッチの展開が続くのかと思いきや、ものづくりに携わることの素晴らしさを描いたり、偏狭な教育制度や自殺者の増加などの社会問題についてチクッと刺すところもあって、なかなか奥が深い。大切なのは、人が自分らしさを忘れずに生きていくこと。そして、大切な人を想い続けて生きていくこと。この映画のメッセージはそこに込められている。

三時間近くもある長い映画で、正直、学生時代のエピソードがありえない展開かつテンコ盛りすぎなのは否めないが、何だかんだでグイグイ引き込まれて、観終わった後はものすごくスッキリした気分になった。終盤に登場するラダックの学校(シェイにある学校の校舎で撮影された)の描写や、ラストシーンのパンゴン・ツォのターコイズ・ブルーの湖水も素晴らしかった。ラダックびいきとしては、もうちょっと長い尺をラダックに割いてほしかったけど(笑)。

アーミル・カーンは、最近のインド映画界の中では随一のヒットメーカーとして知られている。以前、ラダック滞在中にテレビで観た「Taare Zameen Par」は、発達障害を抱えながらたぐいまれな絵の才能を秘めた少年を主人公にした映画で、これもすごく面白かったのを憶えている(デチェンは「あたしは、この映画の男の子が大好きなんだよ!」と言ってたっけ)。日本のどこかの映画館で、アーミル・カーン作品の特集上映をやってくれたらいいのに。絶対にヒットすると思うのだが‥‥。