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ハズレくじ

午後、雨が吹き降る中、渋谷へ。カフェ・マメヒコでサンドイッチとコーヒーを食べて腹ごしらえをし、映画を観る。

今日観たのは、「ブンミおじさんの森」という映画。去年のカンヌ映画祭でパルムドールを獲った作品ということで、割と期待していたのだが‥‥。ひっさびさに、ハズレくじを引いた気分。映像的には美しい部分も多々あるものの、とにかく唐突で意味不明な要素が多すぎて、それがエンディングまで何一つ解き明かされない。登場人物たちも、ろくに感情移入ができないほど描き込みが浅い。これを高尚な芸術作品として評価する人もいるのかもしれないが、僕にとっては、ただひたすら困惑する映画でしかなかった。

週末、渋谷のど真ん中にある映画館なのに、あれだけガラガラに空いているという段階で、何かヤバいということに気づくべきだった‥‥(苦笑)。

本と映画と

天気予報は雨だったが、一向に降る気配なし。近所の公園では、子供たちがキャッキャと走り回っている。

先週から読んでいたル=グウィンの「ギフト 西のはての年代記 I」読了。強すぎる「ギフト」を持つ者として目を封印された少年の葛藤と成長の物語。自分にできること=ギフトとは何なのか、考えさせられる一冊だった。

夜はApple TVで「オーケストラ!」という映画をレンタルして観た。ロシア・ボリショイ交響楽団のかつての天才指揮者だった男が、ひょんなことから、昔の仲間を集めて偽のボリショイ交響楽団としてパリに乗り込むという映画。ストーリーの背景にはずしりと重いものがあるのだが、映画自体にはたっぷりとユーモアがちりばめられているし、ラストの演奏シーンはまさに圧巻。観終わった後の解放感は爽快そのもの。

一冊の本、一本の映画が、心を解きほぐしてくれた一日。

ジャンゴ・ラインハルト

この間、WordPress 3.1がリリースされたので、このブログのシステムをアップデート。テーマファイルも古いテンプレートと突き合わせつつ、ちまちまと修正する。

WordPressの各バージョンには、ジャズ・ミュージシャンにちなんだニックネームがつけられている。バージョン3.1の名前は「Reinhardt(ラインハルト)」。僕も大好きなギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトにちなんだ名前だ。

彼が生み出したマヌーシュ・スウィングと呼ばれる奏法には、時にうきうきと、時に物悲しい、ぎゅっと心をつかまれるような魅力がある。そういえば、以前、このマヌーシュ・スウィングを題材にした「僕のスウィング」という映画も観たことがあったっけ。甘酸っぱくて、どうにもならないほどせつない終わり方をする映画だった。

そんなわけで今、ひさびさにジャンゴのCDを引っ張り出して聴きながら、WordPress 3.1をいじっている。

自分の原点

夕方、渋谷へ。映画美学校で開催される「マイキー&ニッキー」という映画の試写会イベントに行く。まさか、2011年になって、ジョン・カサヴェテスの姿を日本の映画館のスクリーンでまた観ることができるとは‥‥。今日は彼の命日でもある。

上映前には、映画プロデューサーの松田広子さんによるトークショーが行われた。松田さんは当時、雑誌「Switch」の編集者として、当時日本ではほとんど知られていなかったカサヴェテス(59歳の若さでこの世を去ったばかりだった)を丸々一冊取り上げた特集号を編纂した方だ。トーク中は、松田さんが米国でピーター・フォークやサム・ショウ、ベン・ギャザラ、そしてジーナ・ローランズを取材で訪ねた時に撮影されていたビデオが上映された。それを観ていると、懐かしさとともに、いつのまにか忘れかけていた熱い気持がこみ上げてきた。

今から二十年近く前、僕は松田さんたちが在籍していた「Switch」の編集部で、使い走りのアルバイトをしていたことがある。まだ右も左もわからない青二才だった僕が、初めて本気で本作りの仕事を目指そうと決意したのは、このカサヴェテス特集号をはじめとする数々の素晴らしい記事を作り出した、松田さんたちの仕事ぶりを目の当たりにしたからだった。真のプロフェッショナルの仕事とは、ありったけの情熱と愛情を注ぎ込むものなのだということを、僕はそこで学んだ。今も手元にあるこの一冊は、僕にとっての原点であり、目標であり、ある意味で未だ越えられない壁なのだと思う。我ながら、最初からずいぶん高いハードルを設定してしまったものだ(笑)。

イベントが終わった後、たぶん十数年ぶりに松田さんにお会いして、ご挨拶をした。‥‥めっちゃ緊張した(苦笑)。松田さんは二年前に僕が勝手にお送りしたラダックの本のことを憶えてくださっていて、素直に嬉しかった。会場から外に出ても、熱い気持はまだ引かなくて、身体がカッカと火照っていた。渋谷駅まで、ダーッと一気に走っていきたいくらいだった。

今まで自分がやってきたことは、間違っていなかった。でも、やるべきこと、目指すべきものは、まだ遥か先にある。

「海炭市叙景」

観終わった後に残るのは、暗く、苦く、やりきれない思い。でも、たとえようもなく美しい映画だった。

小説家、佐藤泰志は、村上春樹や中上健次と並び評される才能の持ち主だったが、不遇の果て、1990年に自らの命を絶った。彼が生まれ故郷の函館をモデルにした「海炭市」を舞台に描いた未完の連作短編集をもとに生まれたのが、この「海炭市叙景」。映画の制作は函館市民の有志によって企画され、地元の人々の全面的な協力を受けて撮影が行われたという。

スクリーンに映し出される「海炭市」の空は、濡れ雑巾のような雲がたれ込め、雪混じりの風が吹き荒んでいる。造船所の仕事を失って途方に暮れる兄妹。豚小屋とそしられる古い家から立ち退きを迫られている老婆。水商売の仕事をしている妻の浮気を疑う夫。新しい事業も再婚相手ともうまくいかず苛立つガス屋の若社長。路面電車の運転手と、ひさびさに帰郷したのに会おうとしないその息子‥‥。幸せな人は、たぶん、一人もいない。誰もが何かに行き詰まり、涙や後悔や苦い思いを噛みしめている。カメラは淡々と、しかしどこか優しいまなざしで、彼らの姿を追う。

時代に取り残され、ひっそりと朽ちていく「海炭市」は、もしかすると、誰の心の中にもある故郷の姿なのかもしれない。そこにいても、いいことなんて、何一つない。できることなら、何もかも投げ出したい。だけど、それでも‥‥。

「わたしたちは、あの場所に戻るのだ」。その一言が、今も胸の裡に響いている。