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「カプール家の家族写真」

年末年始のキネカ大森でのインド映画鑑賞、2本目に観たのは「カプール家の家族写真」。観る前は、ポスタービジュアルのイメージから、明るい家族モノのコメディだと思い込んでいた。確かに笑わせどころは各所に散りばめられているものの、全体的にはかなりシリアスに、家族というテーマそのものについてがっちりと描いた作品だった。

南インドの美しい避暑地クーヌールに暮らすカプール一家は、祖父アマルジートと父ハルシュ、母スニーターの3人暮らし。ある時、心臓発作で倒れて入院した祖父を見舞いに、実家を離れていた2人の息子、ラーフルとアルジュンが戻ってくる。事業に失敗した上、女性の影もちらついているハルシュ。ケータリング事業のアイデアを夫に反対され、険悪な関係になっているスニーター。ベストセラー作家として成功しているものの、人に言えない苦悩を抱えるラーフル。何をやっても長続きせず、優秀な兄に引け目を感じているアルジュン。ひさしぶりに再会しても言い争いばかりの家族たちは、それでもアマルジートの90歳の誕生日を祝おうと、たくさんの人々を招いてのパーティーを企画したのだが……。

幸せになろうとして、それぞれがんばっているのに、うまくいかなくて。誰にも言えない秘密を抱え、でも自分を理解してもらいたいのに、気持はすれ違うばかりで。やがて家族は、ある日、床に落としたコップのように、粉々に砕けてしまう。それでも家族は、かけらを一つひとつ拾い集め、どうにかこうにかつなぎ合わせようとする。たとえ、もうどこにも見つけられないかけらがあったとしても。

家族というつながりは、ある意味、とてもめんどくさい。でも、ほかのどんな人とのつながりにも代えられない絆でもある。現実の世界はなかなかハッピーエンドにはならないけれど、それでも人は、家族は、ほんのいっときでも幸せでありたいと願うのだ。

「ボンベイ・ベルベット」

ありがたいことに年末年始の恒例となりつつある、キネカ大森でのインド映画特集上映。毎年10月に開催されるIFFJには、僕はタイ取材と重なる関係で参加できないので、大森方面には足を向けて寝られない(笑)。今回はまず、ランビール・カプールとアヌシュカー・シャルマが出演したギャング映画「ボンベイ・ベルベット」を観た。

物語の舞台は、独立後まだ間もないインドの魔都、ボンベイ。貧しい娼婦に育てられたチンピラのジョニーは、仲間のチマンとともに、スリや賭けボクシングでその日暮らしの日々を送っていた。ジョニーが酒場で一目惚れした歌手のロージーは、左翼系新聞社を経営するジミーの愛人となってしまう。「大物になる」ことを目指すジョニーたちは、裏社会に通じる資産家のカンバーターの手下となり、彼の野望の邪魔となる人物を次々と排除していく。殺したり、スキャンダルを盗撮したり、誘拐したり……。それらの見返りに、ジョニーはカンバーターの経営する高級クラブ「ボンベイ・ベルベット」のマネージャーとなる。そんな彼の前に、ジミーからカンバーター側へのスパイの役目を背負わされたロージーが現れる。ジョニーに雇われ、瞬く間に「ボンベイ・ベルベット」の花形歌手となったロージー。二人の関係、そして運命は……。

まるでアメリカのギャング映画を観ているような錯覚に陥るほど、細部まで凝った造りのスタイリッシュな映像と、ロージーの歌を中心としたジャジーな音楽。そういう要素は観ていてかなり楽しめたのだが、その一方で、ジョニーやロージーをはじめとする登場人物たちの内面描写が乏しい印象で、感情移入できる部分がなかなか見当たらず、「まあ、そういう末路を辿るのも仕方ないよね……」と思ってるうちに終わってしまった感がある。もうちょっと、何とかなったんじゃないかな、という。いろんな意味で惜しい映画だった。

ちなみにこの作品、インド国内では興行的にまったくふるわなかったそうだ。そこまでひどい出来とは感じなかったのだが、やっぱりかの国では、シンプルでわかりやすい映画が受け入れられやすいのかな、と思う。

試写室で

昼、東銀座にある松竹本社の試写室へ。写真家の石川梵さんが作ったドキュメンタリー映画「世界でいちばん美しい村」の試写を拝見する。

2015年にネパールを襲った大震災で壊滅的な打撃を受けた山間部の村、ラプラック。その村の人々を、足掛け1年以上の歳月を費やして撮影された映像には、悲しみと、美しさと、微笑と、目には見えない何かの力がみなぎっているように感じられた。撮影が進むにつれ、撮り手である石川さんの気持が村の人たちに近づいていくのが、映像を見ていてもわかる。感情移入とかではないのだけれど、目の前の人や風景に、そっと寄り添うような。だから、映画を観る人の気持も、しぜんとそこに近づいていく。

自分も一人の書き手として、そして撮り手として、読者にそう感じてもらえるような本を作りたい。まだまだだけど。良い勉強になった。

「君の名は。」

予想以上の大ヒットで映画館がずっと混雑していたのと、ここしばらくのせわしなさで、なかなか見られないでいた新海誠監督の「君の名は。」を、ようやく観に行くことができた。

千年ぶりに現れた彗星が近づきつつある日本。とある山奥の田舎町に住む高校生、三葉は、不思議な夢を見るようになった。東京にいる見知らぬ少年となって、彼の生活をまるで現実のことのように体験する夢。一方、東京で暮らしている高校生、瀧も、山奥の町にいる見知らぬ少女になってしまう夢を見るようになった。やがて二人は、実際に互いが入れ替わる現象がくりかえされていると気付く。まだ出会ったことのない、出会うはずもなかった二人が、不思議な形で結びつけられた意味は……。

新海監督はもともと独自の世界観と個性的な作風を持っていた方で、これまでの作品は必ずしも万人受けするものとは言い切れないところがあった。SF寄りの作品でも、現実世界寄りの作品でも、大切にしていたのに失ってしまったものを取り戻せない切なさ、やりきれなさのような後味を残す作品が多かった。でも、この「君の名は。」は、そこから立ち上がって、運命に抗ってさえ、大切なものを取り戻すためになりふり構わず駆け出していくような、そんな作品になっていたと思う。

作中には、これまでの新海監督の作品(CMも含めて)のセルフオマージュとも言える要素が数多く盛り込まれている。逆に言えば、過去のそうした蓄積がリブートされてエンターテインメント作品として最適なバランスで昇華されたのが「君の名は。」と言えるのかもしれない。

とりあえず、このピュアで王道なストーリーを素直に楽しめるくらいには、自分に人並みにノーマルな感情が残っていることにほっとしている(笑)。観客は圧倒的に10代、20代が多いのだそうだ。ティーンエイジャーのうちにこういう映画を観ることのできる人は、幸せだと思う。まだの人は、ぜひ映画館へ。

「Bajirao Mastani」

この間、アラスカに行く時に乗ったデルタ航空の機内で観たインド映画「Bajirao Mastani」。年末年始に観た「銃弾の饗宴 ラームとリーラ」と同じく、監督はサンジャイ・リーラー・バンサーリーで、ランヴィール・シンとディーピカ・パードゥコーン、そしてプリヤンカー・チョープラーが揃い踏みという、華麗で濃密な歴史絵巻。

時は18世紀のインド。当時のマラーター王国で絶大な権力を持つペーシュワー(宰相)に若くして任命されたバージーラーオは、自ら軍を率いて各地への遠征をくりかえしていた。ある時、遠征中のバージーラーオを、ブンデルカンド王の娘マスターニーが援軍を要請するために訪ねてくる。ムガル帝国軍に包囲されていたブンデルカンド城の窮地を救ったバージーラーオは、マスターニーと恋に落ちる。自国に戻ったバージーラーオを追って嫁入りすることになるマスターニー。しかし周囲の人々は、ムスリムであるマスターニーの存在を頑なに受け入れようとしない。そして、それまでバージーラーオと仲睦まじかった第一夫人のカーシーバーイも、内心深く傷ついていた……。

この作品、ミュージカルシーンのいくつかはYouTubeで観ていたのだが、作品全体を通じても映像の緻密さと美しさは本当に圧倒的で、口をあんぐり開けて見入ってしまうほど。ストーリーは史実にある程度基づいた悲恋の物語なのだが、個人的にはマスターニーと同じかそれ以上に、カーシーバーイに感情移入してしまったというか、不憫でならなかった。この役柄にプリヤンカーを起用したのは大正解だったと思う。でなければディーピカの存在感に負けてしまっていただろう。

これはやっぱり、飛行機の座席の小さなモニタではどうにも物足りない。映画館のスクリーンで、どっぷり浸りたいと思ってしまった。