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写真を選ぶ

終日、部屋で仕事。先日依頼を受けたスピティとラダックについての雑誌向け記事に使う写真のセレクトに没頭する。

今回の記事が掲載される雑誌は、判型がA4サイズよりもさらに幅2センチほど大きいし、8ページも使えるので、写真の載せがいがある。去年から撮影し続けて以来、まだほとんど外部に発表していない写真をようやくちゃんとした形で発表できる最初のチャンスだから、いやがうえにもセレクトに力が入る。あれも載せたい、これも載せたい‥‥そしてはたと気付く。8ページも使える、ではない。8ページしか使えない、のだ。載せたくても載せられない写真の、なんと多いことか。

この記事が完成した後、これを目にした人たちは、どんな風に思うのだろう。自分が「これはいい」と思っている写真でも他人にはそうでもなかったり、そうかと思えばその逆の場合もあるから、正直、どうなることやらわからない。でも、どうにかして、届けたいのだ。あのスピティの谷を吹き抜けていた、乾いた風の感触を。

「C-magazine」2013年夏号

「C-magazine」2013年夏号キヤノンマーケティングジャパングループ発行のPR誌「C-magazine」2013年夏号に掲載された特集企画の中で、「北欧、暮らしの道具店」を運営するクラシコムの青木耕平さんと河野武さんの対談記事などを取材・執筆しました。リンク先のページからPDFで読むこともできます。

「おこぼれ」は嫌だ

フリーランスのライターとして活動を始めてから、僕の主戦場はしばらくの間、広告やデザインなどクリエイティブ系の雑誌だった。そこでの主な任務は、クリエイターへのインタビュー。今ふりかえってみても、結構な本数をがむしゃらに捌いていた。

当時も今もクリエイティブ系の雑誌でよく見られるのが、一種のスター・システム。大御所や売れっ子の若手など、著名なクリエイターを華々しく取り上げて、そのポートフォリオで誌面を盛り上げるというやり方。それはそれで、雑誌の一つの切り口としてありだったとは思うし、僕自身、普通ならとてもお会いできなかった錚々たる面々(思い返してみても、いやほんとに)にインタビューさせていただけたのは、恵まれていたなと思う。また、ほとんど無名の頃に取材したクリエイターが、その後みるみるうちに有名になっていくのを見守るのも、ライター冥利に尽きるものだった。

でも、しばらく経ってから思うようになった。これはこれでいい。だが、これ「だけ」じゃいかんだろ、と。

スターを華々しく紹介する記事を書くことは、それを求める読者がいる以上、必要なことなのかもしれない。だが、あまりにもそれに依存しすぎるのは、まるで、その人たちの輝きの「おこぼれ」をコバンザメみたく待ち構えてるようなものじゃないか‥‥。そんな風に感じるようになったのだ。

本づくり、雑誌づくりを生業に選んだなら、「おこぼれ」だけでなく、自分自身の目線と言葉でも勝負できるようになりたい。それは作り手のエゴなのかもしれないが、それくらいでなければ、この仕事を選んだ甲斐がない。だからその後は、自分で企画・執筆・編集する書籍を主戦場にした。それには、壮絶なやせ我慢を伴ったが‥‥(苦笑)。

僕は、自分にとって大切に思えることを、自分らしい形で伝えていきたい。せいぜい、六等星くらいの輝きでしかないのかもしれないけれど。

編集部の雰囲気

午後、新橋に向かう。ある雑誌からラダックガイドブックの書評を載せたいとの打診をいただいたので、見本誌を持ってその編集部へ。最近はメールのやりとりでたいていのことが済んでしまうから、知らない雑誌の編集部を訪れるのはひさしぶりだ。

僕も以前は、雑誌の編集にどっぷり関わっていた時期があったし、ライターとしていくつかの雑誌に出入りしてきたから、それなりにいろんな雑誌の編集部を見てきた。仕事がうまく回ってる編集部は、ぴりっとした緊張感の中にも、たまに軽口が飛び交うような、和気あいあいとした雰囲気がある。逆にうまく回ってない編集部は‥‥そうだなあ、妙にだらだらしてたり、編集長のご機嫌を窺ってびくびくしてたり、そんな感じ。自分自身は、うまく回ってる編集部に所属していた記憶は、あまりないかも(苦笑)。

雑誌作りは好きだけど、また編集部の中に入ってがっつりやってくれと言われたら、躊躇する。自分が作りたい本を好きなように作ってる方が、幸せかな、今は。

進行管理という仕事

本や雑誌の編集者というと、企画を練ったり、著者やデザイナーと打ち合わせをしたり、実際の編集作業で手を動かしたり‥‥と、ものづくり的な仕事というイメージを持っている人が多いと思う。でも、編集者には、そういった作業と同じくらい大切な仕事がある。それは、進行管理。企画のスタートから下版して印刷工程に入るまで、各工程のスタッフのスケジュールを管理して、制作が破綻なく進むようにする仕事だ。

この進行管理が甘いと、作業が遅れて後へ後へとしわよせが来て、スタッフが想定外のタイミングで無茶な量の作業を強いられることになる。その結果、印刷した本や雑誌に大きなミスが残ってしまったり、ひどい場合は本自体の刊行が遅れてしまったりする。いつ出してもいいという本なら構わないが、ほとんどの場合、販売などの関係でそういうわけにはいかない。

進行が遅れる原因はいろいろある。作業のスタートそのものが遅すぎたり、作業量に比べて各工程に設定した作業時間の見込みが甘すぎたり、どこかの工程の作業が何らかの理由で大幅に長引いたり。こうしたことが起こると、とたんに全体の進行が滞ってしまう。進行の遅れを防ぐには、遅れている工程のスタッフにびしびし催促したり(あまりやりたくない)する前に、まず最初にスケジュールを設定する時に、各工程が無理なく回るようにスタッフ全員としっかり打ち合わせをして、制作途中でもちょくちょく確認しながら微調整をしていくことが大事だ。

大変な作業をしなければならないのなら、その分スタートを前倒しすることを考えるべきだし、前倒しする時間がないなら、臨時にでも人手を増やすことを考えるべき。時間も人手もないのなら、そもそもその体制でその企画をやるべきなのかというところから考える必要がある。

進行管理をしっかりやって、多少でもゆとりのあるスケジュールで制作を進められれば、掲載内容の急な差し替えや、スタッフの急病など、不測の事態が起こったとしても、それほど慌てずに対処できる。でも、進行管理とは、そういう安全面への配慮のためだけのものではない。ぎりぎりまで細部を煮詰め、ミスを減らし、品質を向上させるための作業に使う「余裕」を各工程が持てることが、進行管理の一番の目的だと思う。

猛烈に忙しくて進行が破綻してしまった‥‥と嘆く同業者が時々いるが、お気の毒と思う反面、もったいないなあ、とも思う。それだけ忙しいなら優秀な編集者なのだろうし、きっといい本や雑誌も作っているのだろうけど、その人が進行管理をきっちりできる状況にあれば、そこで生まれる「余裕」を使って、もっといい本や雑誌を作れたに違いないからだ。ほんと、もったいないと思う。

時代を先取るセンスとか、天才的な企画のヒラメキとか、読者の心をつかむ文才とか、そういった才能はあるに越したことはない。でも、進行管理をきっちりやるための几帳面さと誠実さは、すべての編集者にとって必要な能力だ。そしてその二つは、そんなに努力しなくても身につけられる能力でもある。きらめくような才能がなくても、その時々にやるべきことをコツコツと積み上げていけば、いい本を作ることはできる、と僕は思う。