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ミルクホール

朝早くから家を出て、尾山台にある大学で取材を二件。一件目が終わった後、構内の学食でおひるを食べる。学食で食事をするなんて、何年ぶりだろう。‥‥思い出せない(苦笑)。

僕が大学に通ってた頃、母校の古い校舎の一階には、とにかく安いけどそれ以外に長所を見つけにくい(笑)メニューを揃えた生協の学食があった。確かあれは、ミルクホールと呼ばれてたんじゃなかったかな。

そう思ってググってみると、母校のキャンパスにはものすごく豪華な学食が新設され、件のミルクホールはこじゃれたベーカリーショップに変わっていた。いいもん食ってるんだなあ、最近の学生さんは。

僕の学生時代は、正直、いい思い出を見つけることが難しいくらいの蹉跌の日々だった。ただ、そこで鬱屈したパワーを溜め込んだことが、その後社会に出てからのさらに苛酷な日々を乗り越える原動力になった気もする。

まあでも、もし、もう一度学生時代に戻れるとしたら、普通に遊びたいな。せめて人並みに(笑)。

生き方を選ぶ

昨日の夜は、渋谷のしまぶくろという沖縄居酒屋での飲み会。以前、ジュレーラダックの事務局で働いていた荒川さんが、カナダの農場でのWWOOF生活から一年ぶりに帰国したので、そのおかえりなさい会だったのだ。

僕がジュレーラダックの人たちと知り合ったのはかれこれ五年も前のことになるが、その頃からの顔なじみの面々もたくさん揃って、何だかとても懐かしい気分になった。五年の間に、仕事が変わった人、結婚した人、いろいろあったけれど、それぞれの人生が続いているのだなあ、と感じたり。

人生では往々にして、どういう道を進むか、誰とともに生きるか、生き方を選ばなければならないことがある。そういう選択を一度も誤らずに一生を終える人はまれで、ほとんどの人は、間違えたり、つまずいたり、踏み外したりする。感情に左右されて冷静な判断ができずに、時には誰かを傷つけてしまうこともあるかもしれない。僕自身、今まで何度も間違いを重ねてきた。

でも、最近になって思うのは、生き方を選ぶ時は、それを選ぶ自分自身を後からでも肯定できるような選び方をしたいな、ということ。あとで後悔するかもしれないけど、その時の自分自身まで否定したくはないから。

最後の最後に、「まあ、そんなにひどい人生でもなかったな」と思いながら終われたら、と思う。

一年が過ぎて

3月11日。東日本大震災が起こってから、一年が過ぎた。

一年前のこの日、凄惨な光景が映し出されるテレビの映像を見ながら感じていたのは、「またか」という思いだった。その半年ちょっと前の2010年8月に滞在していたラダックでは、集中豪雨による洪水で600人以上の命が奪われていた。僕は、トレッキングで訪れていた山の中で、濁流に呑まれそうになりながらも命からがら生き延びたのだが、その後は土石流で変わり果てた被災現場の写真を撮って、日本に送ることくらいしかできなかった。自分にとってかけがえのない場所や人々を襲った悲劇を目の当たりにした時の無力感とやりきれなさ、情けなさは、胸の奥にこびりついたままだ。震災の映像を見た時、その感覚がまざまざと甦った。

東北や北関東の被災地に比べれば、当時の東京の状況はどうということはなかった。計画停電なんて、ラダックは無計画停電が当たり前だし(苦笑)、菓子パンを買い占めたところで、食べ切れずに腐らせるだけだし。自分自身については、必要な用心さえしていれば何とでもなる、と開き直っていた。ただ、自分が被災地の人々に対して何か効果的なことができるのかと考えると、ラダックの洪水の時と同じ無力感に苛まれて、暗澹とした気分になった。

震災から数カ月後、父が急に逝ったことも、僕と家族にとっては大きな打撃だった。去年の初め頃から実現を目指していたラダックのガイドブック企画も、こうした想定外の出来事でたびたび頓挫し、ほとんど諦めかけた時期もある。そんな僕を奮い立たせてくれたのは、日本で、ラダックで、僕を支えてくれたたくさんの友人たちだった。

ラダックの洪水や東日本大震災の時から感じていたあの無力感は今も消えないけれど、自分が選んだ生き方の中で、自分にできること、やるべきことを一つずつ積み上げていこう、という気持にはなれた気がする。僕にとって、それは本を作ること。それしか能のない役立たずだけど(苦笑)、やるしかない、と。

みんながそれぞれの人生の中で、できることを精一杯やっていれば、きっと誰かに繋がる。今はそう信じている。

ラダックから学ぶ?

午後、茗荷谷にあるジュレーラダックの事務所へ。3月24日(土)に開催されるトークイベントにゲスト出演することになったので、その打ち合わせ。

イベントのテーマは「ポスト3.11 持続可能な社会とは?ラダックから学ぶ」というもの。僕はラダックをある程度見続けてきた日本人としての立場で、写真を交えながらラダックの話をすることになった。

今回のように、日本でのラダック絡みのイベントや書籍では、「ラダックから学ぶ」といった感じの言葉がよく使われる。それは大いに結構なのだが、時々ほかの場所では、そもそもラダックとはどういう場所で、どういう人々が暮らしているのかをろくに把握しようとしないまま、ごく一部の事象だけを拾い上げて性急にラダックを論じている人を見かける。そのたびに、僕は違和感を覚えずにはいられない。「学ぶ」前にまず、ラダックそのものを「知る、知ろうとする」ことが大事だろう、と。

ラダックの良い部分と悪い部分をフラットな目線で捉えて、ラダックの人々の心の部分——苛酷な環境で生き抜く少数民族ゆえの絆の強さ、チベット仏教に根ざした精神性など——も踏まえて、いろんな角度から考えてみるべきだと僕は思う。異国を理解するというのは、そういうことではないだろうか。そのプロセスを端折って、都合よさげな部分だけつまみ食いするように「学んで」も、それは本質からズレているし、そのまま日本で活かせるとも思えない。

イベントで僕が伝えたいと思っていることの一部は、そんなところかな。

奥華子「good-bye」

奥華子のメジャー通算六枚目のアルバム、「good-bye」。このアルバムは本来なら、去年の秋くらいには出ているはずのものだったと思う。先行シングルの「シンデレラ」は、去年の六月に発売される予定だったが、半年以上延期された。その原因には、東日本大震災がある。

震災後、彼女はそれまで予定されていたリリースプランを変更し、被災地を支援するための活動に奔走した。「君の笑顔 -Smile selection-」というコンセプトアルバムを作り、全国各地でフリーライブを開催して支援金を募り、被災地にも何度も足を運んで、歌った。そんな中でも、たぶん、彼女は痛いほど感じていたと思う。想像を絶する現実と悲しみの前で、自分たちがどれほど無力なのかということを。

去年、彼女は南三陸町の避難所で出会った女性から、「頑張ろうとか、応援歌とかではなく、行き場のない思いに寄り添った曲を作ってほしい」というメールを受け取った。「頑張れと言われても、頑張りたくても、なかなか頑張れないんです」と。自分が経験したのではないあの悲劇について、何が歌えるのだろう。でも、その思いを教えてもらって歌にすることはできるかもしれない。そうしてメールのやりとりを重ねた中で生まれたのが「悲しみだけで生きないで」という曲だった。

本当に大きな悲しみの前では、どんな慰めも、励ましも、何の役にも立たない。その無力さも、やりきれなさも、いたたまれなさも、何もかも抱え込んだ上で、彼女は声を絞り出して歌う。「それでも生きて」と。

一人ひとりが、それぞれにできることをしながら、毎日を精一杯生きていくしかない。そうすれば、何かが、誰かに届く。明日に繋がっていく。彼女はきっと、そう伝えたかったのだと思う。