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断捨離

先日から続いている、生活メンテナンス。今日は夕方にちょっと空いた時間を使って、吉祥寺の無印良品でポリプロピレン製の収納ケースを二個購入。両手に提げて、えっちらおっちら持ち帰る。

しばらく前からぐっちゃぐちゃになっていたクローゼットの中を見直し、アウトドア用や自転車用の服とグッズを買ってきた収納ケースに移すと、見違えるようにすっきり整理できた。「もう、これ絶対着ないだろ」というボロボロの服もひと通り断捨離できたし。やれやれ。

そういえば、断捨離という言葉は、古めかしい響きのような気もするが、実はつい最近出てきた造語で、登録商標にもなっているらしい。別に好んで使おうとも思わないけど。今回の自分の場合は、モノへの執着を捨て去るというより、単にボロボロのものを選り分けて捨てるのが今までメンドクサかっただけだな。

生活メンテナンス

今日は仕事で特に大きな動きがなさそうだったので、午後、吉祥寺へ買い出しに出かける。

今日買ったのは、ポータブルハードディスク、マウスパッド、スラックス用ハンガー、まくらとまくらカバーなど。どれも、「いつかは何とかしなきゃ‥‥」と思ってはいたものの、手つかずのままだった、普段の生活の中でのちょっとした問題を解決するためのもの。仕事環境を整えたり、クローゼットの中を整理したり、寝心地をよくしたり。特に、まくらなどはかさばるものだから、買って持ち帰るだけでも億劫だったのだが、思い切って買ってきてみると、気分がとてもすっきりした。

昨日のやかん磨きから始まった、生活メンテナンス。いい傾向だから、もうしばらく続けていこう。

まだまだやれる

2012年、最後のブログ更新。

毎年同じことを言ってるようだが、今年もいろいろあった一年だった。仕事の面では、前の年からじっくり準備していた「ラダック ザンスカール トラベルガイド」をようやく上梓。ラジオに何度も出演させてもらったり、パタゴニア大崎店で大規模なスライドトークイベントをさせてもらったり、それなりにいろいろやれたと思う。夏にひさしぶりに訪れたスピティで、たくさんの村を歩いて訪ねることができたのは得難い体験だったし、母の付き添いで訪れたアラスカでは、これからの自分が目指すべきもののヒントも得られた。

でも、そうした出来事をふりかえって感じるのは、自分はまだまだやれる、ということ。その時その時で力を出し惜しみしていたわけではない。しかしこれからは、自分が一番力を使うべき分野に、もっと集約するように心がけなければならないな、と思う。仕事を選り好みするのとはちょっと違うが、一番大切にすべきものがおろそかにならないよう、うまくバランスを取っていきたい。

そう、僕は、まだまだやれる。

一人で生きるという力

昨日の深夜は、J-WAVEで「沢木耕太郎 MIDNIGHT EXPRESS 天涯へ 2012」を聴いた。年に一度、クリスマスの夜に放送される恒例の番組。沢木さんの飾り気のない穏やかな言葉と、それに符合するような渋い選曲を今年も楽しませてもらった。

番組の最後に沢木さんが口にした言葉がある。「一人で生きるという力を身につけるために、人生から降りずに何かをし続ける」。沢木さんのお父様が、ご高齢になられても辞書を引きながら英語の本を読もうとされていた痕跡を見つけたというエピソードからの言葉だったのだが、心に沁みた。

人は、誰かと関わり続けながら生きている。だからといって、一人で生きる力がなくてもいい、というわけではない。一人でも生きられるけど、集団や社会に属している。一人でも生きられるけど、他の人と支え合っている。一人の人間としての生きる力、逞しさを高めるために、常に何かにトライし続けることの大切さ。沢木さんが言いたかったのはそういうことだったのかな、と僕は思った。

一人で生きるという力。僕がその大切さをまざまざと思い知らされたのは、ラダックで過ごした日々でのことだった。少数民族ならではの小さくて緊密なコミュニティで、ラダックの人々は互いに支え合って生きている。でも、これ以上ないほど苛酷な自然の中で暮らす彼ら一人ひとりの「生きる力」の強さは、僕の想像をはるかに上回る、とてつもないものだったのだ。それはいささかショックだったし、自分をさらに高めよう、少しずつでも一人でできることを増やしていこう、と思い直すきっかけにもなった。

で、今は‥‥どうなんだろ(苦笑)。とりあえず、自炊くらいはできるようになったけど。まだまだだな。

ごはんと味噌汁の配置

前々から、うすぼんやりと思っていたことなのだけれど。

外のお店で定食などを注文すると、ごはんが左、味噌汁が右、という配置で配膳される。これには由来がいくつかあるらしいが、遠い昔から食卓の作法として定まっていた配置なのだそうだ。

でも個人的には、この配置、何となく食べづらい。僕の場合、飯椀はたいてい左手で持ちながら食べ続けるし、右に汁碗があると、右手を主菜に伸ばす時に微妙に干渉しそうで。逆の方がよくない?とついつい思ってしまう。

似たような配膳の疑問は、ラーメン屋でつけめんを食べる時にも感じる。つけめんが出される時はたいてい、つけ汁が左、麺が入った器が右に置かれる。これがやっぱり、自分としては食べづらい。麺が左にあった方が、つけ汁に麺を浸して口に運ぶ時、右手が麺の器に干渉しないのでは?と思うのだ。なので毎回、自分で左右入れ替えている。

‥‥何だろう。ものすごくどうでもいいことを書いている気がする(笑)。