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一人と、誰かと

「ヤマタカさんは、旅先とかでずーっと一人でも、全然平気なタイプですよね?」

今までに何人かの人から、こういう指摘をされたことがある。そうかもしれない。ホームシックとか単に人恋しいとかいった気分になったことはついぞ記憶にないし、特に旅先では、異国で一人ぼっちでいる状況にこそ、ぞくぞくするような喜びを感じるタイプだ。日本にいる時でも、友達付き合いはたぶんかなり悪い方で、自分から積極的に「飲みに行こうよ!」なんてことはまず言い出さない。

じゃあ、一人でいられればそれで十分なのか、満足なのかと聞かれると、それはちょっと違う、とも思う。普段何も問題がない時は一人でも平気だけど、何か困ったことが持ち上がった時、自分一人ではどうにもならない苦しみに陥った時、へこたれそうな自分を支えてくれるのは、間違いなく周囲にいてくれる大切な人たちだ。今までだって、何度もそうして支えてもらってきた。

「ラダックの風息」の最終章に書いた言葉は、そうした経験から出てきたものだったと思う。

時には、大切にしていた絆が、どうにもならない強い風に引きちぎられてしまうこともある。でもそんな時は、きっとほかの絆が支えてくれる。つなぎ止めてくれる。そして人はまた立ち上がって、前を向くことができる。そう、できるはずなのだ、僕たちにも。

三年前の震災の時も、僕たちはともするとぽきっと折れてしまいそうな心を、一緒に集まってごはんを食べたり、メールやツイートをやりとりしたりして、支え合っていたんじゃないかと思う。自分の周囲にいてくれる大切な人たちのことを忘れないこと。そして、苦しんでいる誰かを支えてあげられる力を少しでも身につけること。あれから三年という節目の日を迎えて、あらためてそう思う。

キャッチボール

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

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年末年始の数日間は、岡山の実家で過ごした。近くに住む妹一家が泊まりに来たりしていたので、なかなか一人でくつろがせてはもらえなかったが(苦笑)。

大晦日の朝、母が僕に「ケン(上の甥っ子)とキャッチボールをしてきたら? あそこの公園で」と言った。その前の日、甥っ子は彼のパパに新しい子供用グローブとボールを買ってもらっていたのだ。

「いや、でも俺が使えるグローブないし」
「あるよ、外の物置に。お父さんのが」

そのグローブは、他界した父が少なくとも四十年前から使っていたものだった。元の色がわからないくらいに色褪せ、革ひもが切れてしまった部分は父が別の適当なひもで繕ってあった。へにゃへにゃで心許ないが、子供が相手なら使えなくはない。僕はそのグローブを手に、生まれて初めてのキャッチボールに舞い上がる甥っ子と、近くの公園へ歩いていった。

甥っ子くらいの年の子供を相手にキャッチボールをするのは、僕にとっても初めての経験だった。甥っ子が投げるボールはしょっちゅうとんでもない方向に飛んでいくし、こっちがゆるく投げ返しても怖がって逸らせてしまうしで、なかなかテンポよくとはいかなかった。それでも時々、スパン、とボールがグローブに収まる乾いた音を聞くと、僕は不思議な気分にならずにはいられなかった。

子供の頃、僕は父と、家の前の道路でキャッチボールをしていた。僕はそんなに運動神経がいい方ではないし、野球もあまり好きではなかったのだが、父とキャッチボールをするのは楽しかった。ピュッ、と投げたボールが、スパン、とグローブに収まる。ただそのくりかえし。でも、その時の感触は、今も記憶の深いところに残っている気がする。

あの時、子供の僕が投げたへなちょこボールを受け止めていた父のグローブを、今は僕が手にはめて、甥っ子のボールを受け止めている。ピュッ、スパン。ピュッ、スパン。甥っ子の心の中にも、このキャッチボールの感触は残っていくのだろうか。

ごはんの記憶

夜、リトスタで今年最後の食べ納め。ブリと白菜のサラダ、カキフライ、菜の花とベーコンの塩炒めなど、たらふくいただく。

同じ時間帯に、小さな女の子たちのいる家族連れのお客さんが来ていたのだが、女の子のうちの一人が、ごはんを前にきゃいきゃいはしゃいだり、ちょっと何かあってむずがって泣いたりしていた。でも、なんだかそれもほのぼのなごむというか、リトスタらしい情景だよなあ、とあらためて思う。

きっとあの子の記憶の片隅には、今夜のことが、この先もちょこっと残り続けるのだ。古い雑居ビルの階上にあるお店で、みんなと一緒に「おいしいね〜」と言いながらごはんを食べたり、どうでもいいことで泣いたりした記憶が。そのちょこっとしたごはんの記憶は、ささやかだけど、かけがえのないものでもあると思う。

そういうごはんの記憶が宿る場所を、誰も見てないところで毎日一生懸命に準備しながら作り続けている、リトスタのスタッフのみなさん。今年もごちそうさまでした。来年もまたよろしくお願いします。

好かれる人

昨日は夕方から銀座へ。ジュレーラダックの元スタッフ、荒川さんの結婚パーティーの二次会に出席。

荒川さんは数年前にカナダの農場で働いていた時期があって、ご主人のグラントさんとはその頃に知り合ったそう。会場は銀座のど真ん中だけあってすごく華やいだ雰囲気で、そんな中に、普通に黒のタートルネックセーターにピーコートという格好で乗り込んでしまった(苦笑)。会場にはびっくりするくらい大勢の人が集まっていたのだけれど、とても和やかな雰囲気で、素朴で飾らない、誰からも好かれる荒川さんらしい、いいパーティーだったと思う。

終わった後は数人の知人と、近くのルノアールでお茶。みんなそれぞれ、いろんな人生があるのだな。

過程と結果

昨日から降り続く冷たい氷雨は、しばらく止みそうもない。

コーヒーをいれて仕事机に運び、パソコンを開いたら、何人かの人が「誕生日おめでとう」というメッセージを送ってくれていた。ありがとう。自分としては、また一つ年を取っておっさんになったというだけで(苦笑)、さして感慨もないのだが、この一年、特に病気にもならずに健康に過ごせたことは、ありがたいなと思っている。

次の一年は‥‥結果にこだわっていきたい、と思っている。今年もあれこれ努力はしていたけれど、いろんな事情が重なって、ずっと足踏み状態を続けることになった。過程としては、けっして手を抜いたりはしていない。むしろ、今まで以上に必死に努力をしてきたつもりだ。でも、その努力も、結果に繋げられなければ、誰にも何も伝わらない。努力してきた過程を言い訳や慰めにして、結果を残すことを途中であきらめたくはない。

どれだけ苦しい過程でも、必要な努力を一つずつ積み重ねていけば、どんな形であれ、いつかはその過程にふさわしい結果に繋がると信じている。そうして結果を残していくことが、僕の仕事であり、役割でもあると思う。