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変わっていく三鷹

先週取材した分の原稿は納品したし、来週待ち構えてる取材ラッシュのことはとりあえず忘れて、今日も一日、自分を甘やかして過ごす。たっぷり寝て、たっぷり食べて、何もしない。

午後、コーヒー豆の補充のため、三鷹南口へ。まほろば珈琲店の横では、今週末に移転オープンするこいけ菓子店がすっかりできあがって、奥の方でフカザワさんが忙しそうにしている姿がちらりと見えた。途中で通りがかったフルーツの一富士の改装工事もほぼ終わったようで、ずいぶんお洒落な雰囲気になりそうな様子だった。

ラダックに行っていた時期を除いても、三鷹で暮らすようになってから、十年。この街も、ずいぶん変わった。広い梅林が潰されて面食らうような高層マンションが建てられたり、いくつもの店がオープンしては、いつのまにか別の店に変わっていたり。街が変わるのにはいろんな理由があるけれど、そこで暮らしてる人間としては、変わってほしくない場所、なくなってほしくない店は、ちゃんと応援しなければ、と思う。

何だかんだで僕自身もすっかりなじんでしまった、住みやすい街なのだ、三鷹は。

トイレの修理

数日前から、家のトイレの配管がぽたぽたと水漏れするようになった。スーパーでシーリング剤を買ってきて塗ってみたりもしたのだが、構造的に常に水圧がかかる部分らしく、水漏れは防ぎきれない。この忙しい時期に、面倒なことになったと頭を抱える。

とりあえずマンションの管理人さんに電話すると、管理会社経由ですぐに水道修理の業者さんがチェックしてくれることになった。夕方になって来てくれたのは二人の男性で、とても丁寧に挨拶してくれた後、てきぱきとしたチームワークで修理に取りかかってくれた。チェックの結果、古くなっていた短めの管とパッキンなどを交換することになり、二時間後にはすっかり直ってしまった。片付けを終えて帰る時の挨拶まで、すごく感じのいい二人だった。

けっして楽な仕事ではないと思う。行く先々の家にもいろんな人がいるだろうし、煩わしいことも多いと思う。でも彼らは、地味かもしれないけど、この世の中になくてはならない役割を果たしている。いろんな人のいろんな仕事によって自分の暮らしが支えられていることを、あらためて思い出させてもらった気がする。

僕も、自分の役割をきちんと果たさなければ。

マニュアル通りの人生なんて

午後、高田馬場で取材。結構長丁場で、内容も難しくて大変だったが、どうにかやり遂げる。終わった後、さかえ通りの洋庖丁で晩飯を食べ、東西線で三鷹に戻る。

電車の隣の席で、大学生らしき男の子が、付箋やマーカーがびっしりの本を読み耽っている。終点の三鷹に着いて客が全員降りたのも気付かないくらい、一心不乱に。最初は勉強熱心だなあと感心していたのだが、ふと横目で本のページを見ると、それは就職面接のマニュアル本だった。

うーん、どうなんだろ。人それぞれいろんな考えがあるんだろうけど‥‥。就職の面接って、マニュアル本を読み込めばクリアできるようなものなの? ありのままの自分を出して、素直に会って話をしてくれば、それでいいんじゃないかと思ってしまうのだが。

少なくとも、僕は嫌だな。ただマニュアル通りに動くだけの人生なんて。

奥華子「君と僕の道」

「君と僕の道」約一年間の充電期間を経て、先日リリースされた奥華子の新しいアルバム「君と僕の道」。聴いてみて感じたのは、いい感じに肩の力が抜けた、等身大の彼女に近いアルバムだな、という印象だった。特に「ピリオド」と「10年」という曲は、初めて聴いた瞬間にぐっと胸に迫るものがあった。

暗い淵に佇むような曲もあれば、眩しさに目を細めたくなるような曲も、時を経ても変わらぬ絆をふりかえる曲も、傷だらけになりながらも前に進もうとする曲もある。そのどれもが、現時点での素の彼女自身から生まれた音楽だし、その曲たちを「今はこれでいいんだ」と彼女自身が肯定した上で、聴き手に差し出しているのがわかる気がする。それは、彼女自身があるがままの自分をポジティブな気持で捉え直したということでもあるのだろう。

今までに選んできた道が結果的に遠回りだったとしても、それを否定したり後悔したりする必要はない。大切なものを失った悲しみも、二度と立ち直れないと思えるほどの苦しみも、すべてはきっとこれからの道につながっていく。人間はしょっちゅう泣いたり笑ったり迷ったりしながら、それぞれの道を辿っていくのだと。

僕の道は、これからどこにつながっていくのかな。

去り行く人

午後、八丁堀で取材。今日は春の嵐が来ると天気予報に脅されていたが、取材がスムーズに終わったこともあって、行きも帰りもほとんど濡れずにすんだ。これを書いている今、窓には雨粒がひっきりなしに打ちつけている。

取材に行く電車の中で、友人のご家族の訃報を知った。僕自身は数回お見かけしたことがある程度なのだが、去り行く人の報せは、何ともやりきれない。それが、どんな人のもとにも等しく訪れるものであったとしても。

僕たちにできるのは、これからの日々の中で、自分にできる何かを、一つひとつ、丁寧に積み上げていくこと。そうして生きていけること自体の有難さを、あらためて感じておかねばと思う。