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ごはんの記憶

夜、リトスタで今年最後の食べ納め。ブリと白菜のサラダ、カキフライ、菜の花とベーコンの塩炒めなど、たらふくいただく。

同じ時間帯に、小さな女の子たちのいる家族連れのお客さんが来ていたのだが、女の子のうちの一人が、ごはんを前にきゃいきゃいはしゃいだり、ちょっと何かあってむずがって泣いたりしていた。でも、なんだかそれもほのぼのなごむというか、リトスタらしい情景だよなあ、とあらためて思う。

きっとあの子の記憶の片隅には、今夜のことが、この先もちょこっと残り続けるのだ。古い雑居ビルの階上にあるお店で、みんなと一緒に「おいしいね〜」と言いながらごはんを食べたり、どうでもいいことで泣いたりした記憶が。そのちょこっとしたごはんの記憶は、ささやかだけど、かけがえのないものでもあると思う。

そういうごはんの記憶が宿る場所を、誰も見てないところで毎日一生懸命に準備しながら作り続けている、リトスタのスタッフのみなさん。今年もごちそうさまでした。来年もまたよろしくお願いします。

好かれる人

昨日は夕方から銀座へ。ジュレーラダックの元スタッフ、荒川さんの結婚パーティーの二次会に出席。

荒川さんは数年前にカナダの農場で働いていた時期があって、ご主人のグラントさんとはその頃に知り合ったそう。会場は銀座のど真ん中だけあってすごく華やいだ雰囲気で、そんな中に、普通に黒のタートルネックセーターにピーコートという格好で乗り込んでしまった(苦笑)。会場にはびっくりするくらい大勢の人が集まっていたのだけれど、とても和やかな雰囲気で、素朴で飾らない、誰からも好かれる荒川さんらしい、いいパーティーだったと思う。

終わった後は数人の知人と、近くのルノアールでお茶。みんなそれぞれ、いろんな人生があるのだな。

過程と結果

昨日から降り続く冷たい氷雨は、しばらく止みそうもない。

コーヒーをいれて仕事机に運び、パソコンを開いたら、何人かの人が「誕生日おめでとう」というメッセージを送ってくれていた。ありがとう。自分としては、また一つ年を取っておっさんになったというだけで(苦笑)、さして感慨もないのだが、この一年、特に病気にもならずに健康に過ごせたことは、ありがたいなと思っている。

次の一年は‥‥結果にこだわっていきたい、と思っている。今年もあれこれ努力はしていたけれど、いろんな事情が重なって、ずっと足踏み状態を続けることになった。過程としては、けっして手を抜いたりはしていない。むしろ、今まで以上に必死に努力をしてきたつもりだ。でも、その努力も、結果に繋げられなければ、誰にも何も伝わらない。努力してきた過程を言い訳や慰めにして、結果を残すことを途中であきらめたくはない。

どれだけ苦しい過程でも、必要な努力を一つずつ積み重ねていけば、どんな形であれ、いつかはその過程にふさわしい結果に繋がると信じている。そうして結果を残していくことが、僕の仕事であり、役割でもあると思う。

徹夜で観戦

今朝は5時からサッカーのベルギー対日本の生中継があった。昨日の夜の段階で、いったん寝てから早起きするか、それとも寝ずに夜明かしして試合を見るか迷ったのだが、寝てしまうと起きられなさそうな気がして、結局、寝ないままキックオフの時間を迎えた。

こういう時はよく、芳しくない試合結果にぐったりしながら次の日を過ごすパターンになりがちなのだが、今日は思いのほか面白い試合展開で、日本は敵地で格上相手の戦いながら、逆転して一点差で逃げ切った。ひさびさの快勝に溜飲を下げた人も多かったんじゃないだろうか。

試合が終わってからもにまにましながらネットのニュースを見てたりしたのだが、さすがに眠くなって、その後はばったり倒れて、昼まで寝ていた。来年のワールドカップ、開催地は地球の真裏にあるブラジル。こんな寝不足がえんえんと続く日々になるのだろうか。ああ眠い。

流浪の写真家

昼、電車に乗って都心へ。今日から東京国立近代美術館で始まった、ジョセフ・クーデルカ展を見に行く。

僕はそんなにたくさん写真集を買う方ではないが、二十代の初め頃に買ったクーデルカの仏語版「エグザイルス」は、今も手元にある。あの頃、何度この写真集のページをめくっただろう。モノクロームの写真に横溢する、孤独と虚無。僕にとっての写真にまつわる原体験の一つは、間違いなくクーデルカの写真だった。

1968年のワルシャワ条約機構軍によるプラハ侵攻を撮影した彼の写真は、マグナムを通じて匿名のまま世界中に配信され、大きな反響を呼んだ。だが、それをきっかけに彼は祖国を逃れ、17年もの間、無国籍のまま、さまざまな土地を彷徨うことになる。どこにも家を持たず、わずかな収入をもとに最低限に生活を切り詰めてまで、彼はなぜ旅を続けたのか。何を見て、何を撮り、何を伝えようとしたのか。彼の作品のオリジナル・プリントを間近で見るのは初めてだったのだけれど、見続けていると、胸の奥の一番深いところを、きゅううっと締めつけられるような気がする。その感情をどう形容していいのか、自分でもよくわからない。

ミュージアムショップで販売されていた瀟洒な装丁の図録を買い、家に帰ってから、ソファでぱらぱらめくる。章と章の間に、クーデルカへのインタビューが挿入されている。その冒頭に、彼のこんな言葉があった。

「ジョセフ、おまえはずいぶん長く旅をしてきたそうだな。どこにも腰を落ち着けることなく、いろんな人に会い、いろんな国であらゆる土地を見てきたんだろう。どこが一番だったか教えてくれ。どこになら腰を落ち着けてもいいと思うんだい?」私は何も答えなかった。そこを発つ時になって彼はまた訊ねた。私は答えたくなかった。でも彼はしつこく訊いてきて、最後にはこう言ったのだ。「ああ分かったぞ。おまえはまだ一番だと思える土地を見つけていないんだな。おまえが旅を続けるのは、まだそんな土地を探しているからなんだろう」「友よ」と私は答えた。「それはちがう。私はそんな場所を見つけないように必死になってがんばっているんだよ」

祖国を離れ、あまりにも長い旅を続けてきた彼の哀しみが、そこににじんでいるような気がした。