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徒歩15分

僕が住んでいる部屋は、三鷹駅から徒歩15分の場所にある。

部屋探し中に不動産屋さんでそう聞いた時、「ちょっと遠いかな」と思った。それまで一人暮らしをしてきたいくつかのアパートは、どこも最寄り駅から徒歩5分か10分の範囲内だったからだ。でも、実際に何年かここで暮らしてきて、徒歩15分というのは、結構絶妙な距離だなと思うようになった。

駅にもよるけど、徒歩5分とかだと、周辺の交通量や店の多さ(三鷹ならパチスロ店とか)が、住んでるうちにうっとうしくなる可能性がある。でも、徒歩15分の今の場所だと、完全に住宅街なので、駅周辺の喧騒から離れて暮らすことができる。かといって、不便に感じるほど遠すぎることもない。そもそも僕は、歩くのが無駄に速いし(苦笑)。

今日も、駅を通って反対側の南口にあるまほろばさんまでコーヒー豆を買いに行ったのだが、本屋に寄り道しつつ往復してくれば、1時間ほどの散歩になる。部屋に籠りっぱなしで運動不足になりがちな身には、ちょうどいい環境なのかもしれない。

次にどこか引っ越すとしても、また徒歩15分を基準にしてみようかな。

忘れてきたもの

ほんと、やたらめったら忙しい。

今日は午後から、三田と赤坂でそれぞれ打ち合わせ。終わった後、四ツ谷のたけだでカキフライ定食を食べてほっとしたのもつかの間、家に戻ってみたらメールの山で、夜半過ぎまでひたすらキーボードを叩いていた。

赤坂で、冬だけ登場するアイススケートリンクのそばを通りがかった。スケートなんて、いったい何年やってないだろう‥‥さっぱり思い出せない。とりあえず、普通に前に進んだり曲がったりする分には普通に滑れるけど。あれ、そういえばスキーは? 何年やってない? 大学の時以来?

年を経るにつれ、いろんなことを経験していく一方で、忘れてきたものもある。寂しいような気もしないではないし、またやってみようかと思わなくもないけれど、うーん、どうだろ‥‥。何かきっかけがあれば、なのかな。

とりあえず今は、いろんな意味で余裕がない(苦笑)。

灰色の兆し

終日、部屋で仕事。原稿を書こうにもなかなか調子が上がらず、こまごました連絡業務にも振り回されて、自炊する余裕もなく、近所の中華料理屋へ。

いつもよく食べるホイコーローのかけごはんを注文したら、いつのまにか値上がりしてることに気付いた。700円だったのが、750円に。ほかのメニューも軒並み値上げのようだ。消費税やら、急な円安やらに振り回されて、飲食店も大変なのだろう。

牛丼チェーン各社が200円台の牛丼を300円台にするとかで巷ではニュースになっているが、もともと価格競争で安くなりすぎてたものが元に戻っても、まあそんなものかなと思う。でも、なじみのごはん屋さんが、たぶん値上げしたくないのにこらえきれず値上げに踏み切ってるのを見ると、今の状況、これでいいのかと思わなくもない。

経済に限らず、今の日本の社会全体に、どんづまり感が漂っているような気がする。認めたくないものから目をそらし、都合の悪い指摘には耳を塞ぎ、理不尽な強要にも仕方ないとあきらめる。憂さ晴らしに他の国の人々を匿名のネット上で悪罵して、日本の国は美しいなどと持ち上げる記事や本を読み漁って悦に入る。くだらない。

世界から色が失われ、灰色に変わっていく兆しなのだろうか。

ヘアスタイル考察

僕のヘアスタイルは、多少の長短の差はあれど(そりゃそうか)、たぶん23歳くらいの頃から、ほとんど変わっていない。短髪、毛先やや梳き気味。理髪店でのオーダーも、いつも同じ。もともと自分の貧相な見てくれにさして興味はないし、何もしなくても維持できる状態が一番都合がいい。

なので、うちにはドライヤーも、ブラシも、整髪料もない。シャワーの時にせっけんシャンプーで洗って、タオルでごしごし拭いて、それで終わり。専門家に聞けばもっと真っ当なお手入れの仕方もあるのかもしれないけど、何しろ20年間ずっとこれでやってきて、まったく困っていないので、たぶん問題ないんじゃないかなと思う。

これくらい手のかからない無造作なヘアスタイルだと、旅をする時に、とても便利なのだ。シャンプーも現地で適当なのを買えばそれで済むし、ドライヤーを求めて右往左往する必要もない。夜行バスに乗った後、バスターミナルの水道の蛇口でささっと水洗いすることだってできる。

‥‥と、大多数の人に共感を持ってもらえないようなことを書いてみた(笑)。

後悔すること

この世の中に、本当に楽な人生を送っている人なんて、たぶん一人もいない。そうだとしても僕はたぶん、今の仕事で、しなくてもいい余計な苦労までわざわざ背負い込んでいるような気もする。

ほどほどのところであきらめたり、譲ったり、妥協したりしていれば、あるいはもっと楽に生きられるのかもしれない。夜も眠れないほど悩んだり、悔しさに歯噛みしたり、それでも気力を振り絞るのに必死になったりせずにすむのかもしれない。なのにどうして、傷だらけになることがわかってるところに、わざわざ突っ込んでいってしまうのか。

たぶん僕は、ぶつかりまくって傷を負うことよりも、後悔することの方が怖いのだと思う。作りたいものや、大切に思っているものを、あきらめたり、譲ったり、妥協したりして後悔することの方が。それがたとえ、この世でほんの一握りの人にしか理解されないようなものだとしても。傷の代償にしては圧倒的に割に合わないものだとしても。

そういう意味では、僕は臆病な人間だ。