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運命の巡り合わせ

運命の巡り合わせ、という言葉がある。その人にとって、偶然という一言で片付けるには不可思議に思えるような出来事がいくつか続いた時に、よく使われる言葉だ。

僕は数年前から、とても個人的な動機で、アラスカを取材をしている。その動機が生まれた背景には、いくつかの出来事があったのだが、それらについて近しい人に話すと、ほとんどの人が口を揃えて「それは運命の巡り合わせじゃないですか」と言う。確かに、そう言いたくなるのもわかるような、不可思議としか言いようのない符合が(20年以上前から)あった。でも僕自身は、それらの出来事を「運命の巡り合わせ」という言葉であっさり片付けてしまいたくはない、という気持でいる。

この世界は、目には見えない運命というものに支配されてなどいない。人が生きていく中で起こるたくさんの出来事の中から、何を感じ、何を選び、何をするのかは、その人自身が決めることだ。そうして選んだ道は、時には、もしかするとどん詰まりになるかもしれないけれど、そうなったとしても、僕は後悔はしない。自分で考えて、選んだ道だから。

運命なんか、アテにして、たまるものか。

運動に飽きないために

年明けから始めた、1日1度のエクササイズの習慣。今もまだ続いているのだが、毎晩まったく同じことのくりかえしだと、正直、ちょっと飽きてくる。なので、気が向いた時にちょっと変化をつけるようにしている。

少し前には、腕立て伏せ、腹筋、スクワットの回数を少し減らして、少し間を空けつつ3セットやるようにしてみた。しばらくはそれでいい感じでやれていたのだが、時間が長くなったので、それはそれで飽きてきた(苦笑)。なので最近はまた1セットに戻して、短い時間の中でそれぞれの負荷を上げる形にしている。

腹筋は一般的な上体起こし(シットアップ)から、V字腹筋(Vシット、ジャックナイフ)に変更。これは上体起こしより格段にきつく、やり慣れてない状態でいきなりやると腰を傷める可能性もあるが、今の自分の状態なら特に問題はない。負荷が高いので、その分、やるのに時間がかからなくて飽きにくいというメリットはある。

腕立て伏せは、今の時点で連続でまともにやれるだけやると、40回が限度。なので、とりあえず1セットで40回まで追い込んで、それに慣れてきたら50回を目指すという感じで考えている。学生の頃はそのくらいはできてたはずなので。スクワットは60回くらいまでは余裕なので、これも飽きてくる前に片足スクワットを組み合わせたりしてみようと思っている。

面白いのは、エクササイズの負荷を上げた後、翌朝に体重計に乗ると、何日間か、少し体重が増えるということだ。その後はまたストンと減る。そういうくりかえしで、身体の組成がちょっとずつ変わっていっているんだろうなと思う。

本を読むこと

本を作ることを仕事にしているというのに、本を読むのが好きと言えるほど本を読めているかというと、正直、全然、読めていない。まったくもって、冷や汗が出るほど。

原因(というか言い訳)はあるにはあって、書き仕事がつっかえてくると、書くのに使う言葉が脳内のバッファを占拠してしまって、本を読んで言葉を脳にインプットする余白がなくなってしまうのだ(それだけバッファがちっちゃいということなのだが……)。読む時はどっぷり耽読したいたちなので、それなりに余裕がないと、なかなか読み進められない。で、そんな余裕のある時期というのは、あまり多くはない(多かったらそれはそれで困る、働かないと)。読むなら旅先とかで、かな……そんなにたくさん持ち歩けないけど。

だから、自分は本を読むのが好きだ、と言い切れるほどの自信はない。僕なんかより、もっと読書好きな人は、世の中にたくさんいる。ただ、これまでの自分の人生をふりかえってみると、何かのターニング・ポイントにつながるきっかけや思いつき、目指すべき目標が生まれた時、そこにはいつも、本があったように思う。あの時、あの本に出会ったから、人生が少し変わった。僕はいろんな本に少しずつ後押しされながら、今の場所に辿り着いたのだと思う。

よし。連休中は、読みかけのこの本と、本棚にある、あれとあれとあれとあれを……で、できるだけ(汗)がんばって読もう。

もしも明日人生が終わるとしたら

飲み会の席で、こんなことを訊かれた。

「もしも明日人生が終わるとしたら、最後の日、何をしたいですか?」

さて、何をしよう‥‥と考えてみると、意外なほどすんなりと、自分の場合はこれだな、という答えが出た。

その時点で手元にある、未発表の写真や文章。それを残された24時間(せめてそのくらいの時間はもらいたい)を使って、できるだけ選んで整理して、何らかの形で発表できるようにまとめる。最低限の準備しかできないだろうけど、まあそれは仕方ない。まとめた素材は、信頼できる人に「すみませんが、これをお願いします」と託す。

その後、もし時間が少し残っていたら、ビールを飲みながら何かおいしいものが食べたい。営業時間内だったら、リトスタがいいな。家から近いし。飲み食いし終えたら、家に帰って、まあこんなものかな、と思いながら、その時を待つ。

「そうして発表されたものが読者にどんな風に受け取られるか、知ることができなくてもいいんですか?」と訊かれた。反応を知る時間がないのは確かに残念だけど、褒めてもらうのが目的ではないから。伝えられれば、それでいい。

実際に、そんな風に終えられたら、いいかもな、と思う。

社会人になりきれず

今朝、FacebookやTwitterのタイムラインを見ていると、「新社会人」という言葉がたくさん目についた。そういえば今日は、そういう日だったか。

自分が新社会人デビューした頃をふりかえってみると‥‥あれ? 記憶が‥‥まったくない‥‥。

考えてみれば、あの頃の僕は、やることなすことむちゃくちゃだった。大学4年の途中で授業を全部放棄して、1年半の自主休学。とある出版社でバイトをして金を貯め、4カ月間の旅に出て、帰国してからまたバイト。大学6年目にあたる年の春から学校には戻ったが、バイトに明け暮れてろくに授業にも出ないまま、ほうほうのていで卒業。その後も正社員として就職することは一度もなく(「正社員にならないか?」と言われても断っていた)、編プロや出版社でしばらく働いては旅に出る、というのをくりかえしていた。

だから僕の場合、学生から新社会人になった時の境界線が、ものすごくあいまいなのだ。ことによると、未だに真っ当な社会人には、なりきれていないのかもしれない。

でも、まあ、それはそれで、僕にとっては、よかったのかな、とも思う。社会に用意された型に嵌まらない、いびつな存在のままでいられたから。