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「Sultan」

成田からデリーに向かうエアインディアの機内で二本目に観た映画は、「Sultan」。サルマン・カーンが主役のレスラー役、ヒロインはアヌシュカー・シャルマー。インド国内では大ヒットした作品だ。

総合格闘技プロモーターのアーカーシュは、強いインド人格闘家を求めて、インド式レスリングの元王者で、オリンピックのメダリストでもあるスルターンのもとを訪ねる。しかし彼が出会ったのは、かつての王者の片鱗のかけらもない、身体も心も緩み、疲れ切った男の姿だった。レスラーとして栄光を極めたはずのスルターンに、いったい何が起こったのか。親友ゴーヴィンドから語られたのは、スルターンとその妻アールファの身に降りかかった、悲しい運命の物語だった……。

好きになった女の子に自分の存在を認めてもらうために始めたレスリングで、世界の栄光の頂点に辿り着いてしまった男の、思いがけない挫折と、どん底からすべてを背負って這い上がる、再起の物語。映画の中では、スルターンとさまざまな選手との試合の模様が映し出されるのだが、結局、スルターンが戦っていたのは(途中で自分自身を見失いかけていた時期以外は)自分と自分の大切な人たちに降りかかった運命そのものに対してだったのだと思う。もう取り返しのつかない、失われてしまった大切な存在もあったけれど、でも、それでも、と。

あえて欲を言えば、スルターンの対戦相手たちにも、もっといろんな重い運命を背負ったライバルたちに出てきてもらって、しのぎを削ってほしかったな、とは思う。ともあれ、こういう役をやらせたら、インドではサルマン・カーン以上の役者はいないだろう。ヒロインのアヌシュカーは、序盤の気が強くて溌剌とした演技も、途中からの影のある演技も、どちらもしっくりハマっていた。王道といえば王道、お約束といえばお約束な作品だけど、素直に観れば十分に楽しめると思う。

「Dear Zindagi」

二カ月前、成田からインドに向かうエアインディアの機内で最初に観たのが、「Dear Zindagi」。主演はアーリヤー・バットで、シャールクががっちりと脇を固め、監督は「English Vinglish」のガウリ・シンデー。面白くないわけがない、と期待していたのだが、はたして、予想以上の出来だった。

シネマトグラファーのカイラは、いつの日か自分らしいオリジナルの作品を撮りたいと願いつつも、今は目の前の仕事に追われる日々。ボーイフレンドは入れ替わり立ち替わり何人かいるのだが、長続きしないというか、自分でも彼らを本当に好きなのかどうかわからない。自分自身の心の奥に潜む不安定な何かを理解できないでいたカイラは、ひょんなことから実家のあるゴアに一時的に戻り、そこで出会った精神科医のジャグからカウンセリングを受けることになる……。

ネタバレになるのであまり事細かには書けないのだけれど、とにかくまず、アーリヤーの演技が素晴らしい。超絶美人女優が居並ぶボリウッドの世界で彼女はけっして図抜けた美女というタイプではないと思うが、表情の豊かさと役に応じてめいっぱい振り切ることのできる演技力で、今や唯一無二の存在になりつつある。そのアーリヤーの熱演をほどよく力の抜けた穏やかさで受け止めるシャールクの役割も絶妙だった。けっして恋人同士ではない、でもやがて、かけがえのない絆を感じさせるようになる、カイラとジャグの関係。今、インドでこういう人間関係を描かせたら、ガウリ・シンデー監督の右に出る者はいない。

日本での劇場公開が待ち遠しいこの作品、とりあえず今はNetflixで観ることができるようだ。とても良い作品なので、ぜひ。

かりそめの時間

すべての人間の死亡率は100パーセントだし、あらゆる生物の死亡率も100パーセントで、地球という惑星が消滅する確率も100パーセント。そしてたぶん、宇宙や時間そのものが消え去ってしまう確率も100パーセント。

ずいぶん昔、子供の頃に、そんな考えが浮かんで、ずっと頭から離れなくなった。今もそうだ。

僕たちは、ほんのまたたきのような、かりそめの時間の中を生きている。与えられたわずかな時間の中で、何かの意味を見つけようと、あがいている。

腹黒くてヘタレな男

知り合って間もない人から、「ヤマモトさんて、いい人ですよね」というニュアンスのことを言われることがある。ほぼ間違いなく社交辞令だと思うのだが、そんな風に言われた時は「いや、僕は基本的に腹黒いですから」と返すことにしている。

似たようなシチュエーションで、「ヤマモトさんて、すごい冒険をしてらっしゃいますね!」みたいなことを言われることもある。そういう時には「いや、僕は基本的に一人では何にもできない、ヘタレなんですよ」と返すことにしている。

どちらも謙遜でも何でもなく、自分自身、かなり本気でそういう人間だと思っている。基本的に、腹黒くて、ヘタレな男。自分の中にあるどうしようもなく邪な部分、情けない部分を認めてしまうと、何だか楽になれるのだ。

そんな僕は、本当に穏やかで優しい人や、はちきれんばかりの勇気に満ちあふれている人に出会うと、眩しくて目も合わせられない気持になる。けれど僕は、腹黒くてヘタレななりに、どうにかこうにか、しぶとく生き抜いてやろうと、今日も地べたを這いずりながら、あがいている。

「チャーリー」

昨年秋のキネカ大森での公開時、僕はタイ取材の真っ只中だったので観れないでいた、インドのマラヤーラム語映画「チャーリー」。昨日、ユジク阿佐ヶ谷での上映にようやく行くことができた。

都会で自由気ままに生きるテッサは、親が決めようとした縁談に反発して、コーチンにある古いアパートを借りて、しばらく身を潜めようとする。鍵も壊れているその部屋には、前の住人が置き去りにしたままの家財道具と、無数の奇妙な絵画やスケッチ、写真、オブジェがひしめいていた。チャーリーという名のその持ち主に興味を抱くようになったテッサは、一人、また一人と、彼を知る人物から、まだ会ったこともない彼についての物語を聞くことになる……。

いい映画だった。豪放磊落なのに超がつくほどのおせっかいのチャーリーはぐいぐいと物語を引っ張っていくし、ヒロインのテッサは本当に表情豊かでチャーミング。医師のカーニをはじめ、登場人物の中には心に深い傷を抱えている人も少なくないのだが、それでもみな、前を向いて再び歩き出そうとしている。ケーララ州の美しい風景が、そんな彼らを穏やかに包み込んでいく。

物語は、普通に考えるとありえないような確率での偶然の連鎖でつながっていくように見える。でも、偶然を偶然任せにしているだけでは、きっとあんな風には人と人は出会えないのだ。その人が勇気を持って踏み出す一歩が、偶然を必然に変え、人と人とを結びつけるのだと思う。

観終わった後、みんなで「いい映画だったね!」と笑い合いながら映画館を出られる映画は、間違いなく、いい映画だ。