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サインペン危機一髪

仕事だイベントだ引っ越しだ何だかんだと、最近ばたばたしてるせいで、今日は危うく致命的なミスをやらかすところだった。

夕方、雨が止んだ頃合いを見て、洗濯をしたのだが、洗い終えた洗濯物の中から、なぜかコロリと、黒のサインペンが出てきたのだ。先週金曜のトークイベントの時、お客さんへのサイン対応の際に半袖シャツの胸ポケットにペンを挿したのを忘れたまま、洗濯機に突っ込んでしまったらしい。

ペンによっては、洗濯機の中でインクがあふれて大惨事になっていた可能性もあったが、幸いなことに、洗濯物にはノーダメージ。脱水の時の遠心力でペンのキャップ内でインクが少しあふれていたが、キャップの密封性が高かったおかげで、外にはまったく漏れていなかった。ふう。危ない危ない。

しかしまあ、普通じゃ考えられないようなミスだよなあ……気をつけよう。

旅の記録

今月末の引越しに備えて、不用品の整理を続けている。

押入れにぎっしり詰め込んでいたダンボール箱を一つずつ開け、捨てるものは可燃物と不燃物と資源ごみに分け、それぞれの袋に突っ込んでいく。化石みたいなLANやUSBのケーブルの山が発掘されたり、とっくの昔に処分したと思い込んでたプレステ2が出てきたり(苦笑)。古本屋さんに引き取ってもらう本は、ダンボール4箱分もの量になった。

そんな中、これは捨てられないなあ、と思ったのは、昔の一人旅の日記と、それぞれの旅で撮った主な写真を綴じたアルバム。22歳の時の最初の旅の日記は、リングノートの金具が錆びて粉々になりかけてたので、ジップロックに入れて保管することに。その後の個人的な旅の日記も、ほぼすべて残っている。ぱらぱらめくってみると、我ながら、几帳面に、こまごまと書いてあるなあ、と思う。

アルバムも、たぶんほとんど人に見せたことのないものまで残っている。大半がリコーのコンパクトフィルムカメラ、GR1Sで撮った写真だ。なまじデジタルで管理できないから、昔は写真をセレクトした後、キャビネ判で焼いてもらって、アルバムに綴じていたのだった。今見ると、まあ、ヘタクソだけど(苦笑)。

あの頃の僕の旅では、日記も、写真も、自分のためだけに残していた。ラダックでの長逗留の日々を一冊の本に書いたのをきっかけに、人に伝えることを目的にした旅の文章と写真を手がけるようになったけど、自分の中の根本的な部分は、もしかすると何も変わっていないのかもしれない、とも思う。

かけがえのない、旅の記録。さて、新居のどこに置けばいいだろうか。

澱を捨てる

月末の引越しに備えて、途方に暮れながらも着手しはじめたのは、不用品の整理。今度の転居先にはそんなにたくさんのものは持ち込めない。クローゼットや押入れ、その他あちこちに積み上がっているものを仕分けし、要らないと感じたら容赦なく、武蔵野市の有料ゴミ袋に突っ込んでいく。

この十年間でずいぶん増えたと思っていた持ち物の大半は、実は、なければないで別に困らないものだったことに、あらためて気付く。「あれ? こんなのまだ持ってたっけ?」と、存在すらとっくに忘れていたものも多い。自分でも気付かないうちに、いつのまにか、澱のように積もり積もっていたのだなあ、と思う。

もちろん、知り合いに譲ったら喜ばれるようなものは積極的に引き取り手を探してはいるのだが、この機会に一度、自分の生活をシェイプアップしてみようと思う。澱を捨てて、すっきりと。

十年ぶりの引越し

六月の終わりに、引越しをすることになった。

引越し先はそんなに遠くではなく、隣の杉並区、最寄駅は西荻窪。二十代の頃はしばらく荻窪に住んでいたから、再び杉並区民に戻るということになるが、正直、まだあまりピンと来ていない。

今住んでいるマンションに越してきたのは、ほぼ十年前。三鷹に住みはじめたのは、そこからさらに五、六年ほど遡る。途中、ラダック取材で日本にいなかった時期も結構長いので単純比較はできないが、高校卒業まで住んでいた岡山の実家と同じくらい、三鷹で暮らしてきた計算になる。

三鷹にはリトスタやまほろば珈琲店をはじめ、馴染みの店がたくさんあるから、これからも月に何度かは来るとは思う。それでも、やっぱりここを離れるとなると、それなりにいろいろ思い出してしまう。

今まで生きてきた時間と、これから訪れる時間の、割と大きな節目となるタイミングなのだろうな。とりあえず今は、引越し当日までに必要な準備と手続きが膨大すぎて、気が遠くなってる(苦笑)。

誰がための冒険ではなく

僕はよく、面と向かって、あるいは人づてに、「ヤマモトさんは、冒険家なんですか?」と聞かれる。「ワセダの探検部出身ですか?」と経歴を確かめられたり(まったく関わりはない)、「ひげもじゃでクマみたいにゴツい人だと思い込んでました」と言われたり(メガネでひょろっとしたヘタレのおっさんである)。たぶん、ラダック関係で書いた2冊の本や、雑誌などに時々寄稿している記事から、そういうイメージを持たれているのだろう。

実際、僕は単に物書きと写真を生業にしているだけの男だ。今も昔も、写真や文章のネタとしての「冒険」はしていない。僕の仕事は、ある場所に行って、自ら見て聞いて感じた物事を、文章と写真で伝えること。その過程でくぐり抜けねばならないリスクがあれば挑む場合もあるかもしれないが、それ自体は目的ではない。犯さなくていいリスクは、極力避ける。人の助けが必要なら頼りまくるし、文明の利器が使えるならそれにも頼りまくる。だから僕は、冒険家ではまったくない。

もちろん、世の中には、前人未到のチャレンジを成し遂げることを目標に活動を続ける冒険家の方々がいることも承知している。周囲にも、直接あるいは間接的に存じ上げている著名な方々は多い。周到な準備と計画、頑強な身体と卓越した技術、そして目標達成への執念。けっして無謀ではなく、紙一重のリスクを冷静に見極めつつ、時には撤退する勇気も持つ。どれも自分には真似のできないものばかりだし、彼らが書いたり語ったりする言葉には、それぞれ唯一無二の価値があるのだろうとも思う。

ほとんどの冒険家は、誰のためとかではなく、自分自身の目標を達成するために、冒険に挑む。それは当然のことだ。冒険に挑む理由を自分の外に求めてしまったら、そのしがらみがギリギリのところで判断を誤らせるかもしれない。ファンの期待や、スポンサーの支援。あるいはアンチに対する反発。それらを背負いすぎると、つらいことになる。

登山家の栗城史多さんが8度目のエベレストへの挑戦中に亡くなったというニュースを知って、頭に浮かんだのが、そんなもやもやした思いだった。登山の実況中継という「冒険の共有」にこだわりすぎて、リスクの見極めに無理が生じてはいなかったか。もし、何よりも自分自身のための登山であったなら、実力に合ったルートや酸素ボンベの携行という選択も含めて、登頂して帰ってこられる可能性は、ずっと高かったはずだ。仮にそうしても、その後に彼が語る言葉には、十分すぎるくらい人の心を動かすものが宿っていただろうに。

誰がための冒険ではなく、自分自身のための冒険をしてほしかった。