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原稿は愉し

一昨日の夜に仕事を再開して以来、毎日、せっせと原稿を書いている。ラフを描き、字数を計算し、写真を選び‥‥。傍から見ればどうしようもなく地味な作業だろうが、当の本人は、もう、愉しくって仕方がない。

だって、今書いているのは、ラダックについての本だから。自分が好きなことを思いのままに書けるというのは、本当に愉しい。テレビでやってるどんな新春特番よりも、原稿を書く方が面白い。もうすっかりビョーキだ(笑)。

もちろん、これからきつい局面もたくさんあるだろうけど、大丈夫、きっと乗り切れる。絶対にいい本にしてみせる。

飲んだくれの会

昼、電車に乗って埼玉の西川口へ。ジュレーラダックの運営委員の方のお宅で、忘年会ならぬ「飲んだくれの会」。昼間から飲む酒は、背徳感と相まって格別。昼の二時から夜の十一時まで、ビールにワインに日本酒に焼酎と、ひたすらだらだらと飲み続けた。「飲んだくれの会」とはよくも名付けたものだ(笑)。

飲み会の話の流れで、「僕、女の子の方から好きって言われたこと、今までほとんどないですねー」と言うと、「そうやってぼけっとして気付かないでいるから、今まで何人も逃してるんじゃないですか! まったく!」と、女性陣から猛烈な剣幕で怒られた(苦笑)。いや、本当にそんなはずはないのだが‥‥すみません。

戦いの火蓋

午後、メールで吉報が届く。今、準備を進めているラダックに関する本の企画が、出版社内で承認されたという。

この本の企画は、今年の初め頃に出版社に持ち込んで、すぐに担当編集者さんについてもらえるなど、割と順調な滑り出し。五月頃までには新刊会議での承認を経て予算を付けてもらって、夏にラダックに取材に行く計画だった。ところが、三月の東日本大震災の影響で、その出版社内での企画の検討がストップ。編集者さんからは「取材は来年にしたらどうか」とも言われたのだが、そうすると、本を出すのが再来年になってしまう。僕はしばらく考えた末、新刊会議での承認を待たず、取材費を自腹で一時立て替える形にして、ラダックに取材に行くことにした。

正式な予算がついていないのに、見切り発車で海外取材。他の人から見たら、相当に無謀に思われるかもしれない(苦笑)。でも、僕としては十分に勝算があったし、前に「ラダックの風息」を書くために、出版社のアテも何もない状態で取材をした時の方がはるかに大きな博打だったから、それほど心配はしていなかった。

正式承認までずいぶん時間がかかってしまったが、発売予定の来夏までには、まだまだ時間がある。戦いの火蓋が、いよいよ切って落とされた。

オリヴィエ・フェルミ「凍れる河」

ラダックやザンスカールをテーマに撮影に取り組んでいるフォトグラファーは大勢いるが、オリヴィエ・フェルミはその中でも間違いなく第一人者だと思う。レーの書店の一番目立つ場所には彼の写真集が平積みにされているし、毎年夏になると大勢のフランス人がザンスカールを訪れるのは、ひとえに彼の写真の影響によるものだ。

この「凍れる河」は、1990年にワールド・プレス・フォト賞を受賞した写真集の邦訳。ずっと前から絶版になっていたのだが、状態のいい古本をようやく手に入れることができた。

ザンスカールのタハンという村で生まれ育った幼い兄妹、モトゥプとディスキット。フェルミたちの援助で、二人はレーにある寄宿学校に行くことになった。兄妹は父親のロブザンとともに、氷の河チャダルを辿る旅に出る——。

A5サイズの上製、150ページ足らずの小さな写真集。だが、この「凍れる河」の中には、ザンスカールの自然と人々に対するフェルミの想いが、あふれんばかりに詰まっている。ダイナミックな構図で切り取られた、鮮烈なコントラストの写真の数々。短くシンプルだが、寄り添うような情感を感じる文章。途方もなく寒いはずのチャダルの写真ばかりなのに、ページをめくるたび、心がふわっと暖かくなるのは何故だろう。

フェルミは若い頃、登山家を目指していたそうだが、山の頂に登るより、谷間に暮らす人々の穏やかな微笑みに惹かれるようになったのだという。自分が惚れ込んだ場所を、とことん時間をかけて取材し、その地に生きる人々との心の絆を深めていく。だからこそ、フェルミはこういう写真と文章をものにできたのだと思う。僕自身、取材に対する彼の真摯な姿勢には、学ぶべきところが多いと感じている。

余談だが、この本の主人公の一人、モトゥプは僕の大切な友人でもある。レーの街のフォート・ロード沿い、チョップスティックスというレストランの隣にある、オリヴィエ・フェルミ・フォトギャラリーに行けば、大人になった彼が笑顔で出迎えてくれるはずだ。

移動か、それとも沈没か

昨日は、日帰りで鎌倉に遊びに行った。前から行ってみたかったカフェ・ヴィヴモン・ディモンシュでオムライスとマンデリンを堪能し、晩秋の海辺をぶらぶら歩き、夜は旅音の林澄里さんと本田あまねさんのトーク&スライドショーに参加。写真と絵と音楽と楽しいおしゃべりで、異国の安宿のロビーでくつろいでいるような気分になった。

そのトークの中で、旅人の行動パターンが「移動型」と「滞在型」(またの名を沈没型)の二つに大きく分かれるという話が出た。林さんは移動型で、気に入った街でもだいたい三日で次の街に移動するのだという。

で、自分はどうかなあ、と思い返してみると‥‥やっぱり僕も移動型で、二、三日で次の街に向かってしまうことが多かった。ただ、いったんその街が気に入ってしまうと、一、二週間くらいは平気で居座ってしまうこともあった。見どころが多いか少ないかは関係なく、おいしいごはんが食べられる場所と、気持よく散歩したりできる場所があれば、僕にとっては十分だった。

そういう意味では、ラダックを気に入って足かけ一年半も居座り続けてしまった日々は、壮大な沈没だったと言えなくもない(笑)。