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届くべき人のところへ

この間観た映画「きっと、うまくいく」(3 Idiots)が、本当に大ヒットになっているらしい。一週目より二週目、そしてさらに三週目も動員数を伸ばしているそうで、上映館も大幅に増加。その影響で、映画のクライマックスが撮影された舞台のラダックに興味を持つ人も出てきているのか、「ラダックの風息」はアマゾンで補充が追いつかずに一時在庫切れ。「ラダック ザンスカール トラベルガイド」も在庫僅少な状態がずっと続いている。

今回のブームがどのくらい続くのかはわからないけれど、それに一喜一憂したりはしない。ただ、この二冊は、周りから「ラダック? 知らない」だの「そんなの誰も読まない」だの言われようと、自分が「これでいいんだ」と信じて、コツコツと作り上げた本だ。何十万冊もバカ売れするような本ではないけれど、たとえば今回の映画のようなきっかけでラダックに興味を持つ人が新たに現れたら、この二冊は、何かしらの役に立つかもしれない。ほんの少しだけ、その人の人生を動かすかもしれない。

信念を曲げずに、心を込めて本を作れば、いつか、届くべき人のところへ届く。そういう手応えを感じられることが、何より嬉しい。

人前で話をすること

昨日は午前中に、写真家の関さんと渋谷で打ち合わせ。来月二人でやることになったトークイベントについて。関さんはこの一週間、テレビ取材の仕事でブータンに行っていたそうで、その日の朝に羽田に戻ってきたばかり。疲れていただろうに、体力あるなあ。さすが。

関さんは、これまでに学校などで講演をした経験がたくさんあるし、僕もこれまで何度かトークイベントをしてきたので、お互い右も左もわからないという感じではなく、たぶん何とかなるだろうという心づもり。とはいえ、大勢の人の前であらたまって話をするというのは、やっぱり緊張する。できれば避けて通りたい(苦笑)。でも、そうして人前で話をすることで、聞きに来てくれた人の心の中で何かがパチッとつながったりするきっかけになるかもしれない。

僕たちが自分の中で大切にしていることを、本や、写真や、話をすることで、誰かに伝える。それにはきっと、ささやかながらも、何かしらの意味はあるはずだと思っている。

「きっと、うまくいく」

「きっと、うまくいく」(3 Idiots)

昨日は、映画「きっと、うまくいく」(3 Idiots)を観に行った。上映終了後にいとうせいこうさんとスチャダラパーのBOSEさんのトークショーがある午後の回を狙っていたのだが、先週末に公開されて以来のクチコミ人気の異様な盛り上がりに加え、上映館のシネマート新宿は月に一度の1000円サービスデー。うかうかしてると絶対に席が取れないと思ったので、午前中のうちに早めに家を出て、無事に狙った回の中央前よりの席をゲットした。案の定、その回も次の回も立見が出るほどの盛況だったとか。

この作品のレビューは以前ラダックの知人宅で英語字幕版を観た後にも書いたけれど、今回日本語字幕で観たことで細かい台詞にも張り巡らされた伏線を理解できて、あらためていろいろ腑に落ちた。台詞が(特に日本語字幕にすると)どぎついところや演出がベタすぎるところもあるのは確か。ケチをつけたくなる映画ファンがいるのもわかる。でも、そういうもろもろを含めての振り切ったイキオイのようなものが、この作品の魅力なのだと僕は思う。観客の喜怒哀楽の感情を上下左右ぐわんぐわんに揺さぶって、最後の最後にラダックの荒野からパンゴン・ツォの青へと突き抜けるのだから、観終えた後の爽快感も納得だ。

僕も、世間にとらわれず自分らしく生きることを、もう一度思い出そう。Aal Izz Well。

靴の新旧交代

昼、板橋で取材。一件だけで早めに終わったので、帰る途中で新宿に寄り、新しいトレッキングシューズを買う。キーンのタージーIIローカット。買うのはなんとこれで三代目。オーソドックスな造りの履きやすい靴で、僕のような使い方、つまり、ラダックのような土地でロングトレイルを踏破するのには適している。

今まで使っていたこの靴の二代目も、履けるのは履ける状態なのだが、底の突起はごっそりすり減り、クッションもへたってしまって、ソールがいつ割れはじめてもおかしくない状態。特に長旅の途中で割れてしまうと、どうにもならない。先週の山歩きでその限界を実感したので、意を決して買い替えて、二代目は普段の近所歩き用に退役してもらうことにした。

昔、陸上をやっていた頃、コーチに「靴を大切にして長く履き続けるのは美徳だと思う。だが、それで脚を壊したら元も子もない」と言われたことがある。あの頃履いていたランニングシューズは、練習での酷使で半年も保たなかった。だからといって、ぽいぽい捨てるのもどうかと思うけど。古びた靴は、それでも役立つ場面で使ってあげるようにしたいなと思う。