昨夜はラダックをテーマにしたトークイベントにゲスト出演したりしていて、すっかりヘロヘロだったのだが、今日を逃すとゆっくり花見をする時間がないということで、眠い目をこすりつつ、出かけてきた。目指したのは国立。うららかな陽射しの下で、ずらりと並んだ桜並木が、細い枝の先までぷくぷくと白い花をつけていた。特にカメラは持って行かなかったのだが、iPhoneでもそれなりによく写る。
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震災の記憶
午後、吉祥寺へ。吉祥寺美術館で開催中の石川梵さんの写真展「The Days After 東日本大震災の記憶」を観る。
去年起こった震災の時、石川さんは翌日自らセスナをチャーターし、東北の被災地の空撮を行った。その後も陸路で被災地を回り、二カ月にも及ぶ現地取材に取り組んだ。取材は今も続けられていて、この写真展ではつい先月撮影されたばかりの、震災から一年後の被災地の写真も展示されていた。
それは、報道写真のような「記録」の写真ではなかった。一人の写真家が長い時間をかけて見つめ続けた、「記憶」の写真。たとえようもない悲しみと、虚無感と、そして‥‥雲間から微かに射す光。そこに光があるのかどうかさえ、わからないほどの。
人間は、忘れる動物だ。特に、自分と直接関係のない他人の悲しみについては、忘れるのが早い。悲しみだけに囚われて生きていくのは決していいことではないけれど、でも、あの震災の「記憶」は、すべての日本人が胸の奥に小さな痛みとして抱え続けていくべきものだと思う。でなければ、被災地の人々をこれから支えていくことなどできはしない。
石川さんの写真は、あらためてそのことを教えてくれた気がする。
一年が過ぎて
3月11日。東日本大震災が起こってから、一年が過ぎた。
一年前のこの日、凄惨な光景が映し出されるテレビの映像を見ながら感じていたのは、「またか」という思いだった。その半年ちょっと前の2010年8月に滞在していたラダックでは、集中豪雨による洪水で600人以上の命が奪われていた。僕は、トレッキングで訪れていた山の中で、濁流に呑まれそうになりながらも命からがら生き延びたのだが、その後は土石流で変わり果てた被災現場の写真を撮って、日本に送ることくらいしかできなかった。自分にとってかけがえのない場所や人々を襲った悲劇を目の当たりにした時の無力感とやりきれなさ、情けなさは、胸の奥にこびりついたままだ。震災の映像を見た時、その感覚がまざまざと甦った。
東北や北関東の被災地に比べれば、当時の東京の状況はどうということはなかった。計画停電なんて、ラダックは無計画停電が当たり前だし(苦笑)、菓子パンを買い占めたところで、食べ切れずに腐らせるだけだし。自分自身については、必要な用心さえしていれば何とでもなる、と開き直っていた。ただ、自分が被災地の人々に対して何か効果的なことができるのかと考えると、ラダックの洪水の時と同じ無力感に苛まれて、暗澹とした気分になった。
震災から数カ月後、父が急に逝ったことも、僕と家族にとっては大きな打撃だった。去年の初め頃から実現を目指していたラダックのガイドブック企画も、こうした想定外の出来事でたびたび頓挫し、ほとんど諦めかけた時期もある。そんな僕を奮い立たせてくれたのは、日本で、ラダックで、僕を支えてくれたたくさんの友人たちだった。
ラダックの洪水や東日本大震災の時から感じていたあの無力感は今も消えないけれど、自分が選んだ生き方の中で、自分にできること、やるべきことを一つずつ積み上げていこう、という気持にはなれた気がする。僕にとって、それは本を作ること。それしか能のない役立たずだけど(苦笑)、やるしかない、と。
みんながそれぞれの人生の中で、できることを精一杯やっていれば、きっと誰かに繋がる。今はそう信じている。
奥華子「good-bye」
奥華子のメジャー通算六枚目のアルバム、「good-bye」。このアルバムは本来なら、去年の秋くらいには出ているはずのものだったと思う。先行シングルの「シンデレラ」は、去年の六月に発売される予定だったが、半年以上延期された。その原因には、東日本大震災がある。
震災後、彼女はそれまで予定されていたリリースプランを変更し、被災地を支援するための活動に奔走した。「君の笑顔 -Smile selection-」というコンセプトアルバムを作り、全国各地でフリーライブを開催して支援金を募り、被災地にも何度も足を運んで、歌った。そんな中でも、たぶん、彼女は痛いほど感じていたと思う。想像を絶する現実と悲しみの前で、自分たちがどれほど無力なのかということを。
去年、彼女は南三陸町の避難所で出会った女性から、「頑張ろうとか、応援歌とかではなく、行き場のない思いに寄り添った曲を作ってほしい」というメールを受け取った。「頑張れと言われても、頑張りたくても、なかなか頑張れないんです」と。自分が経験したのではないあの悲劇について、何が歌えるのだろう。でも、その思いを教えてもらって歌にすることはできるかもしれない。そうしてメールのやりとりを重ねた中で生まれたのが「悲しみだけで生きないで」という曲だった。
本当に大きな悲しみの前では、どんな慰めも、励ましも、何の役にも立たない。その無力さも、やりきれなさも、いたたまれなさも、何もかも抱え込んだ上で、彼女は声を絞り出して歌う。「それでも生きて」と。
一人ひとりが、それぞれにできることをしながら、毎日を精一杯生きていくしかない。そうすれば、何かが、誰かに届く。明日に繋がっていく。彼女はきっと、そう伝えたかったのだと思う。
虹の向こうへ
朝から、みぞれ混じりの雪が降り続く。部屋でラーメンを作り、コーヒーを淹れ、今書いている本の次章のレイアウトラフを描く。夕方、雪が止んだ頃に身支度を整え(ヒートテック上下着用)、出かける。青山のスパイラルで開催される、畠山美由紀のトークイベント&ミニライブへ。
店舗内に椅子を並べた小さな会場に、たぶん100人以上の人が集まって、立見の人も大勢いた。トークイベントでは、畠山さんと、先日出たアルバムのアートワークを描かれた奥原しんこさんと、「SWITCH」編集部の川口さんが登場。畠山さんと奥原さんはともに気仙沼の出身。震災の頃のそれぞれの様子と、その後の被災地での取り組みの話を聞く。状況は未だに難しいことを忘れず、少しずつでもできることをしていかなければな、とあらためて思う。
その後のミニライブでは、笹子重治さんのギターにのせて、畠山さんがのびやかに歌う、歌う。特に、「わが美しき故郷よ」の詩の朗読から歌へとつながる流れでは、泣けて仕方なかった。演奏が終わった後も、なかなか鳴り止まない拍手。最後はボサノヴァ調の軽やかなアレンジで「Over the Rainbow」。短いけれど、素晴らしい時間だった。
越えていこう、虹の向こうへ。