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安心のための選択

夕方、かなり大きな地震。うちはマンションの一階だし、さほど揺れはしなかったが、揺れ続けた時間の長さに不安がよぎる。東北地方に津波警報。場所によっては、1メートルくらいの津波が観測されたらしい。大事には至らなくて、ほっとする。

東日本大震災の記憶が薄らぎかけている人もいる中での、この余震。来週末の選挙の結果にも、かなり影響するような気がする。少なくとも僕は、原発の維持を唱える政党には投票したくないし、その辺をむにゃむにゃ言ってごまかしたり、言ってることがコロコロ変わったりする政党にも投票したくない。まあ、反原発を唱えている政党でも、具体的なビジョンや方策を何も持たないまま、票集めのためだけにそう言いふらしてる輩も少なくないのが、頭の痛いところではあるが‥‥。

結局、安心できるかどうか、なのだと思う。安心して暮らしていくための選択をする機会は、今度の選挙を逃したらしばらくは訪れない。国民投票ができない以上、この際、原発について、イエス・ノーの意思表示をするための選挙と割り切ってもいいような気がしている。僕はそのつもりで、投票所に行く。

札幌で取材

昨日は取材のため、北海道の札幌に行った。今回、原稿の〆切がありえないくらいキビシイので、やむなく弾丸日帰り取材とあいなった。

朝七時に家を出て、吉祥寺から羽田空港行きのリムジンバスに乗る。10時過ぎの飛行機で新千歳空港に飛び、到着後すぐに電車に乗り換え札幌へ。取材前の打ち合わせなどもあったため、マクドナルドで急いでハンバーガーを頬張るのが精一杯(泣)。

ありがたいことに、取材自体はスムーズに終了したので、札幌駅界隈で二時間ほど自由時間が持てた。小雨がぱらつく中、時計台を見物しにぶらりと歩き、駅の地下の店で海鮮丼とビールの遅い昼食。いやー、うまい。北海道の思い出、以上(苦笑)。その後は電車で新千歳空港に向かい、七時の飛行機で羽田へ。家に帰りついたのは十時半頃だった。さすがに疲労困憊。

というわけで、ほとんどろくに見て回れなかった、初めての北海道。でも、ほんとによさげな土地だった。次回は思うぞんぶん観光して、うまいものを飲み食いして、ゆったりと過ごしたい。

交通費のモヤモヤ

仕事柄、関東周辺やたまに地方などの取材を依頼されることがある。その時、現地までの交通費はたいてい自腹で立て替えて、後で原稿料と交通費の明細を請求書にまとめ、依頼元に請求する形になる。

で、だいたい二カ月後くらいに報酬が支払われるわけだが、その際、依頼元によって報酬の内訳に違いが生じていた。原稿料と交通費の合計から一割が源泉徴収された金額の場合と、原稿料からだけ一割源泉徴収されて交通費は全額支払われる場合と。どっちがどうなんだか、以前からモヤモヤしていた。近場の取材なら交通費の一割といってもたかが知れてるが、地方まで飛行機や新幹線で往復するとなると、バカにできない金額になるからだ。それが確定申告の還付金で100パーセント戻ってくるわけでもないし。

この件についてググってみると、国税庁のサイトに、「旅費や宿泊費などの支払も原則的には報酬・料金等に含まれます。しかし、通常必要な範囲の金額で、報酬・料金等の支払者が直接ホテルや旅行会社等に支払った場合は、報酬・料金等に含めなくてもよいことになっています」とあった。つまり、宿泊費や交通費は源泉聴収の対象外ということでよさそうだ。

これから大きな金額の交通費が発生する場合は、めんどくさいので、なるべく依頼元に払ってもらおうと思う。

チベット問題と日本のメディア

昨日の朝、自宅の郵便受けに、購読していないはずの毎日新聞が入っていた。勧誘のために投函されたものらしい。何気なく広げてみると、なんと一面に、ダライ・ラマ法王とロブサン・センゲ首相のツーショット写真が載っているではないか。一面だけでなく、四面にも全面記事が載っている。担当はニューデリー支局の杉尾直哉記者。1960年代から現在に至るまでのチベット解放運動と、センゲ首相を中心としたチベットのこれからについてのルポルタージュ。精力的な取材に基づくフェアな視点で書かれた、読み応えのある記事だった。

中国が最も恐れる男 チベットの若き指導者

この記事、Webへの掲載予定はないらしい。よりによってこの日の新聞がうちに投函されてたというのは、我ながら、ツイてる(笑)。

こういう力の入った記事に比べると、最近巷で物議を醸している「TRANSIT」のチベット特集号は、偏った先入観による取材で作られた、底の浅い雑誌だと思えてしまう。もちろん、すべての記事がダメというわけではない。だが、本土でチベット人の尼僧の少女にダライ・ラマ法王のアクセサリーをプレゼントしたことを編集長自らが記事に書き、その尼僧の写真まででかでかと載せてしまう思慮のなさには、さすがに呆れた。この写真を基に当局がその尼僧を逮捕・投獄する可能性は十分すぎるくらいあるのだ。なにせ、日本で大人気の旅雑誌なのだから。

「チベット」を本気でメディアで取り上げるには、相応の準備と覚悟がいる。上っ面のイメージだけでやっつけたこの雑誌で、チベットが再び取り上げられることは、たぶんもうないだろうな。この特集号に関わったチベット関係の識者の大半を怒らせてしまったみたいだから。

「スケッチ・オブ・ミャーク」

沖縄の宮古諸島には、古くから受け継がれてきた独特の歌の文化が残されている。重い人頭税に苦しめられた厳しい暮らしの中で生まれたアーグ(古謡)、そして祈りの場所である御嶽(うたき)で捧げられた神歌(かみうた)。それらを歌い継いできた宮古諸島の人々についてのドキュメンタリーが、この「スケッチ・オブ・ミャーク」だ。

映画の造りとしては、島の人々の暮らしぶりやインタビューが、彼らのコンサートの模様と絡めて構成されているあたり、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」を彷彿とさせる。僕たちが暮らしている同じ日本の中に、こうした素晴らしい祈りの歌の文化が残されていたことは、本当に驚きだ。これ以上ないほど素朴で、どこか懐かしく、大いなるものへの畏敬の念に溢れていて、聴いていると名状しがたい何かが心に沁み渡ってくる。

昔から当たり前のように口承で受け継がれてきたこれらの歌は、今では次第に記憶する人々が減り、受け継いでいくことが困難になっているという。僕が以前訪れたラダックのダーで暮らす「花の民」ドクパの人々も、古くからの土着の信仰に根ざした歌の文化を持っているのだが、同じように口承で受け継ぐことが困難になっているという話を聞いた。おそらく、世界のさまざまな場所で、こうした希少な文化が近代化の波に呑まれて消えようとしているのだろう。そういう意味では、古くからの記憶を持つ宮古諸島の老人の方々の声を記録したこの映画は、大切な役割を果たしたのではないかと思う。

同じ日本人なら、この映画を見届けておくことをおすすめする。