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東京五輪について

2020年のオリンピックの開催地に、東京が選ばれた。僕はもともとオリンピックというイベントにはあまり興味がなくて、北京五輪もロンドン五輪もまったく見ていない(開催期間中、ずっとインドの山奥にいたからなのだが)。なので、今回の決定についても、正直「ふーん、あ、そう」という反応しかできない(苦笑)。

この件についてネットでTwitterなどを見ていると、賛否両論、いろんな反応があるのがわかる。震災の被災地や原発のことをほったらかしにして能天気に浮かれてる人は正直どうかと思うし、日本の行末を悲観するあまりヒステリックに拒絶反応を示してる人も、もうちょっと冷静になればいいのにと思う。

原発事故の後処理(これは想像を絶する困難を伴うけど)と震災からの復興は、今の日本がもっとも優先して取り組むべき問題だ。その優先順位さえ取り違えないのであれば、東京でオリンピックをやれるというなら、やってもいいのではないかと思う。むしろ、オリンピックの開催を日本全体の復興に利用するしたたかさを持つくらいでもいい。

ただし、あくまで、日本が取り組むべき問題の優先順位を取り違えないのであれば、の話だ。どれだけオリンピックに人を感動させる力があるとしても、それよりもはるかに大切にすべきことが、世の中にはたくさんあるのだから。

「風立ちぬ」

「風立ちぬ」

宮崎駿監督の「風立ちぬ」は、観る人によって極端に評価が分かれる作品だと思う。男性と女性とでは受け止め方がまるで違うだろうし、夢見心地のファンタジーや血湧き肉踊るカタルシスを求める人には肩すかしだろう。「沈頭鋲」とか言われても、子供にはチンプンカンプンだろうし。今までのジブリ作品のように、100人中100人が「面白い」と思う映画ではない。

でも僕は、それでよかったんじゃないかなと思う。これは、宮崎監督自身も未だに答えを見出せない衝動に突き動かされて作られた作品だ。個人的な動機で生まれた作品にしか宿らない力のようなものは、確かにある。その力は、すべての人には届かないかもしれないが、届く人には、心の深いところを揺さぶることができる。

「美しい飛行機を作りたい」という幼い頃からの夢を抱いて成長した青年は、自分の設計する飛行機が人殺しのために使われると知りつつも、その矛盾を抱えたまま仕事に没頭する。最愛の妻が病の床に伏しても、彼は仕事から離れることができない。彼が設計した美しい飛行機、九試単戦が軽やかに空を舞った時、彼の脳裏をよぎったのは‥‥。

わかりやすい答えや救いは、何も示されない。青年は苦い思いを噛みしめながら、飛行機の墓場のような荒野に佇む。それでも彼は、生きていかなければならない。どれだけズタズタに引き裂かれたとしても。

それはたぶん、僕たちも同じだ。

当たり前の日常

朝起きて、メールをチェック。うどんを茹で、コーヒーをいれ、しばらく仕事。原稿をメールで送り、スーパーに食材の買い出しに行き、コンビニでちょっと立ち読み。当たり前の日常。

あれから、二年。

思い返してみると、あの年は本当に大変だった。世間は震災でてんやわんやで、夏には父が突然逝ってしまった。今も色々苦労はしているけれど、あの頃に比べればずっとましだ。それも、当たり前の日常があるからこそ。何気ない物事への感謝を、忘れないようにしたいと思う。

名古屋での再会

一昨日、岡山から東京に戻る途中、名古屋に立ち寄った。ラダックのティクセで旅行会社とゲストハウスを営む、ツェワン・チンレイさんと妻の裕子さん、娘のミラちゃんとお会いするために。

三人とは去年の夏のラダック以来、半年ぶりだったのだが、お元気そうで何より。「タカさん、日本にいるのが似合わないですね〜」と思いっきり言われてしまった(笑)。やっぱ似合わないんだろうな。

栄の地下街で味噌カツ定食を食べた後、裕子さんの提案で、熱田神宮に参拝に行く。古くからの立派なお社で、人出もすごくてびっくり。おみくじを引いてみたら、大吉。元旦に岡山の吉備津神社で引いたのは凶だったのだが‥‥。いい方を信じよう(笑)。

ツェワンさんたちは僕が新幹線に乗る直前まで付き合ってくれて、コメダ珈琲店でお茶を飲みながら、積もるよもやま話をした。裕子さんが「私たちは、ぼちぼちやっていこうと思ってます」と言っていたのが印象に残った。結果を求めて一足飛びに焦って取り組むのではなく、できる範囲で着実に歩を進めていく。僕も「ぼちぼち」を心がけなきゃな、と思った。

また、夏か冬に、ラダックで再会できるといいな。

選挙に思う

昼、近所の小学校に設けられた投票所へ。衆院選と都知事選の投票をしに行く。

今回の衆院選は、どういう投票をすべきか、最後の最後まで迷った。投票所で鉛筆を握るまで迷っていたくらいだ。正直に言えば、「この人を選びたい、この人なら大丈夫」と思える候補者は、一人もいなかった。「この政党なら任せられる」と思える政党もなかった。どの政党にも、明らかにネガティブな要素や頼りにならない面が感じられてしまう。どうしても譲れない政策を絞り込んで、消去法に近い形で選ばざるを得なかった。いっそ、白票を投じた方がよかったのかもしれない。

日本は、これからどうなっていくのだろう。投票所からの帰り道、暗澹とした気分になった。