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スープ割り

午後、南大沢で、ひさびさに大学案件の取材。帰りに吉祥寺で途中下車して、晩飯につけ麺を食べる。

つけ麺の麺を食べ終えた後につけ汁をスープで割ってもらう「スープ割り」というシステムを知ったのは、確か23歳くらいの時だった。今も荻窪の南口にあるはずの、丸長というお店。おひるにバイト先の社員の人たちに連れて行かれて、「ここではな、食べ終えた後につけ汁をスープで割ってもらうんだぞ」とちょっとうれしそうに教えてもらったのを憶えている。あの頃はまだ、つけ麺を出すお店はそんなに多くなかったんじゃないかな。丸長のつけ汁はとても濃厚で、スープで割ってもらったのをちびちび啜る時の充足感は格別だった。

あれから東京では、いや他の地方もか、つけ麺を出すラーメン屋さんがものすごく増えた。つけ麺専門店なんてのも当たり前。で、つけ麺のノウハウもこなれてきたのか、最近はスープ割り用のスープを魔法瓶に入れて、カウンターに並べて置いてある店ばかりになった。確かにお店側としては、いちいち客から器を受け取ってスープを足して返すより、客の側で好きに作ってもらった方が、オペレーション的には楽に違いない。客の側でも、その方が気楽でいいと思ってる人が多いのかもしれない。

でも‥‥ちょっと味気ないな、という気もする。麺を食べ終えた後、「すみませ〜ん。スープ割り、お願いします」と店員さんに声をかけるの、嫌いじゃなかったから。なじんできた儀式というか段取りが端折られてしまうのは、何だか少しさみしい。どうでもいいといえば、どうでもいいことなのかもしれないけれど。

デング熱狂想曲

昼から夜まで、都心でいくつかの用事があり、出かける。

途中、代々木公園で今週末に開催されるナマステ・インディアへ。ここ数年来の盛況ぶりからすると、今年は同じイベントというのが信じられないくらい、さみしい印象だった。しばらく前に代々木公園で蚊に刺された人がデング熱にかかったらしいという件が影響して、かなりの出展者がキャンセルしたようだし、人出も少なかったように感じた。

デング熱は蚊が媒介する病気で、蚊に刺されないように気をつける以外、特に有効な予防手段がない。ただ、どこそこで蚊に刺された人が感染した云々の情報に、必要以上に踊らされる必要はないと思う。たぶん、そういう蚊はだいぶ昔から日本にもいたと思うし、一度くらい公園で駆除したからといって、来年また発生するかもしれない。今の時点で、代々木公園や上野公園以外にはそういう蚊は一切いないと考えるのも不自然だし、案外、窓を開ければ蚊だらけのうちのマンションの庭にもいるかもしれない。不用意にリスクを冒す必要はないけれど、不必要に怯える必要もないかな、と思う。

将来は日本でも、インドみたいに、テレビの画面の隅にデング熱アラートが出てくるような時代が来るのかな。来ないともかぎらないか。

道を訊かれる

午後、目黒で打ち合わせ。来月下旬から始まるタイ取材について。約四週間、再びあの暑い暑い日々が始まるわけだ。僕の夏はいつになったら終わるのだろう。

打ち合わせの後、用事で恵比寿から代官山に向かって歩いていると、前方から歩いてきた白いシャツの爽やかな青年に「すみません、代官山駅まではどう行けばいいですか?」と訊かれた。「逆方向ですよ。あっち行って、そこ曲がって、さらに曲がったところ」と言うと、「ありがとうございます!」と颯爽と歩き去っていった。

たぶん僕は、普通の人よりも街の中で道を訊かれたりする回数が多い方だと思う。家の近所を歩いていても、都心を歩いていても、時には自分自身もよくわからない異国の町を歩いていても。ラダックのレーにいた時とか、地方から出てきたラダック人にまで道を訊かれたし(苦笑)。

「こいつは与し易し」みたいな敷居の低い感じのオーラが出てるのかな。まあ別にいいけど。

紙一重

昨夜から今日未明にかけて、広島市で起こった豪雨による土砂災害。実は、広島在住の知人が、現場のすぐ近くに住んでいた。知人とそのご家族は無事だったが、災害現場ではまだ行方不明の方々の捜索が続いている。

こうしたニュースに接するたびにいつも思うのだが、僕たちはみんな、紙一重の差で、今を生きているのだと思う。僕たちがいつもと同じ毎日を過ごせているのは、たまたまだ。ほんのちょっとした不注意や、あるいは自分たちではどうにもならない成り行きで、そうした何気ない日々はたやすく失われてしまう。今回のような災害だと、本当にどうしようもない部分も大きいから、何ともやりきれない。

被害に遭われた方々に、少しでも早く平穏な日々が戻るように、願って止まない。

佐々涼子「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」

「紙つなげ!」2011年3月11日に起こった東日本大震災で、宮城県石巻市にある日本製紙石巻工場は津波による壊滅的な打撃を受けた。日本製紙は、国内で流通する出版用紙の約4割の生産を担っているという。その中核となる石巻工場の被災は、大げさでも何でもなく、日本の出版業界の行末をも左右しかねない一大事だった。

この「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」は、そうした絶望的な状況に追い込まれた石巻工場の従業員たちが、途方もない努力と工夫の積み重ねで、ついに工場の復興を果たすまでを描いたノンフィクションだ。著者の佐々さんは、徹底した取材と検証に基づく冷静な筆致で、けっして綺麗ごとだけではない当時の石巻工場の様子をぐいぐいと追っていく。

本づくりを生業としている僕も、震災が起こった当時、仕事についてはまったく先の見えない状態だった。それまで順調に準備を進めていた「ラダック ザンスカール トラベルガイド」は、新刊会議での企画承認を経て取材費などの予算がつくのを待つばかりの状態だったのに、震災のために企画承認プロセスが一時凍結されてしまった。「紙とインキがやばいらしいんです。どちらかが供給されなくなれば、本は作れませんからね‥‥」と、担当の編集者さんが弱ったように呟いていたのを憶えている。紙とインキがなければ、本は作れない。そんな当たり前のことさえ、それまでの僕には本当にはわかっていなかったのだ。石巻工場をはじめとする被災した製紙工場やインキ工場の動向によっては、本づくりの仕事で生活していけなくなる可能性すらあった。

だから、その後被災からの復興を果たしたそれらの工場の人々には、本当に頭が下がる。復興のためのさまざまな努力はもちろん、日々確実に紙やインキを作り続けてくれる、その不断の努力にも。一冊の本には、たくさんの人々の見えない努力が詰まっているのだ。

先日上梓した「撮り・旅! 地球を撮り歩く旅人たち」に使っている本文用紙は、b7トラネクスト。日本製紙が誇る嵩高微塗工紙は、軽さと風合いと印刷の美しさを兼ね備えていて、あの本にうってつけだった。素晴らしい紙を作ってくれて、ありがとう。