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佐々涼子「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」

「紙つなげ!」2011年3月11日に起こった東日本大震災で、宮城県石巻市にある日本製紙石巻工場は津波による壊滅的な打撃を受けた。日本製紙は、国内で流通する出版用紙の約4割の生産を担っているという。その中核となる石巻工場の被災は、大げさでも何でもなく、日本の出版業界の行末をも左右しかねない一大事だった。

この「紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている」は、そうした絶望的な状況に追い込まれた石巻工場の従業員たちが、途方もない努力と工夫の積み重ねで、ついに工場の復興を果たすまでを描いたノンフィクションだ。著者の佐々さんは、徹底した取材と検証に基づく冷静な筆致で、けっして綺麗ごとだけではない当時の石巻工場の様子をぐいぐいと追っていく。

本づくりを生業としている僕も、震災が起こった当時、仕事についてはまったく先の見えない状態だった。それまで順調に準備を進めていた「ラダック ザンスカール トラベルガイド」は、新刊会議での企画承認を経て取材費などの予算がつくのを待つばかりの状態だったのに、震災のために企画承認プロセスが一時凍結されてしまった。「紙とインキがやばいらしいんです。どちらかが供給されなくなれば、本は作れませんからね‥‥」と、担当の編集者さんが弱ったように呟いていたのを憶えている。紙とインキがなければ、本は作れない。そんな当たり前のことさえ、それまでの僕には本当にはわかっていなかったのだ。石巻工場をはじめとする被災した製紙工場やインキ工場の動向によっては、本づくりの仕事で生活していけなくなる可能性すらあった。

だから、その後被災からの復興を果たしたそれらの工場の人々には、本当に頭が下がる。復興のためのさまざまな努力はもちろん、日々確実に紙やインキを作り続けてくれる、その不断の努力にも。一冊の本には、たくさんの人々の見えない努力が詰まっているのだ。

先日上梓した「撮り・旅! 地球を撮り歩く旅人たち」に使っている本文用紙は、b7トラネクスト。日本製紙が誇る嵩高微塗工紙は、軽さと風合いと印刷の美しさを兼ね備えていて、あの本にうってつけだった。素晴らしい紙を作ってくれて、ありがとう。

八方尾根にて

happo
二泊三日の日程で、安曇野で実家の人間たちと会ってきた。本来は妹の一家もほぼ全員来る予定だったのだが、台風の影響で姪っ子のブラスバンド部の発表会が順延されて日程がかぶってしまったので、結局、安曇野まで来たのは母と甥っ子1号だけだった。

両親の監視もなく、ライバル(?)の姉と弟もおらず、母と僕に甘え放題の自由を謳歌できるはずだった甥っ子1号だが、安曇野に到着したとたん、成長痛なのか何なのか、朝になると「あしがいたい、おなかがいたい」とぐずぐず泣き出す。昼を過ぎるとある程度痛みはひくようなのだが、翌朝になるとまた同じ状態のくりかえし。本人がやりたいと言っていた僕とのキャッチボールやサッカーも、結局できずじまいだった。

滞在二日目の朝、母はそんなパワーダウン状態の1号と僕を車に乗せ、白馬連峰の八方尾根まで連れていった。ゴンドラを三つ乗り継いで八方池山荘まで上がり、そこから片道1時間ちょっと歩いて八方池まで行くというのが母のプラン。でもゴンドラを降りた後、1号は明らかに気が進まなさそうだったので、「歩きたいの、歩きたくないの、どっち?」と聞くと、「あるきたくない」と。それなら仕方ない。そのままゴンドラで引き返すことにした。

昔、姪っ子が小学校低学年だった頃、僕の父と母と一緒に八方池まで歩いて往復したと聞かされた1号は、くやしそうに「ねーちゃんはリュックをしょってなかったからじゃ。ぼくもリュックなしであしがいたくなかったら、らくしょうじゃ」と言っていた。そんな僕たち三人の頭上を、ふわり、とパラグライダーに乗った人が舞い上がっていった。

立ち止まる冷静さ

これは、自分自身もやってしまうかもしれないことなので、自戒の意味も込めて書くのだけれど。

今の世の中では、あらゆる情報がいとも簡単に拡散していく。一昔前はテレビや新聞などのメディアによる拡散がほとんどだったが、今はFacebookやTwitterやLINEによって、それが劇的に加速している。もともとワンクリックで広まるような構造のツールだから当然なのかもしれないが、それは時に、えげつないほどの破壊力を伴う。

ある事件が起こった時、その渦中にある人に対して、ネットを介して強烈な罵倒や嘲笑が嵐のように浴びせられることがある。たとえば、それが犯罪の加害者であれば、社会に非難されるのもある程度仕方ないのかもしれない。でも、それが犯罪なのかどうかも判然としない段階で、まるで匿名の集団リンチのように、ネットを通じてとんでもない量の罵詈雑言が叩き付けられている場合もあるように思う。最近では、そうした人々を意図的に焚き付けるような報道をしているメディアも見受けられる。

ネット上で、時に匿名という安全な立場から、非難の対象となる人を罵倒し、嘲笑い、いっときの正義感を満喫し、そしてすぐに忘れる。そうしたネット上での罵詈雑言や心ない噂話に巻き込まれるのは、非難の対象となる張本人だけではない。事件によっては、その被害者も事を荒立ててほしくないと思っているかもしれないのだ。でも、ネットでの情報拡散はそうした思いさえ許さず、何も悪くない弱い立場の人を好奇の目に晒してしまったりする。

僕たちは、ワンクリックでシェアとかリツイートとかをしたりする前に、立ち止まって考えてみる冷静さを持つべきだと思うのだ。それは本当に正しい情報なのか。それを人に伝えることで、何がもたらされるのか。取り返しのつかないほど傷ついてしまう人はいないだろうか。自分自身の言葉で、責任を持って語れるだろうか。

もう一度、ネットに対して、自分自身に対して、冷静になってみるべきだと思う。

「DHOOM:3」の短縮版騒動に思う

日活と東宝東和が手を組んで、アジア映画を日本で紹介していくためのレーベル「GOLDEN ASIA」を立ち上げると発表された。で、そのレーベルから、以前から日本上陸が噂されていたインド映画史上ナンバーワンヒット作「DHOOM:3」と、ラダックのヌブラでも撮影されたヒット作「BHAAG MILKHA BHAAG」が、年末から来年にかけて公開されるという。喜ばしいニュースのはず、だったのだが‥‥。

この2つのインド映画、どちらもカットされた短縮版で上映されるというのだ。「DHOOM:3」は162分が147分に、「BHAAG MILKHA BHAAG」は186分が153分に。これを知ったインド映画ファンたちは、SNS上で猛反発。リアルタイム検索で見たかぎり、短縮版での上映になることについて、肯定的な意見は皆無だった。

特に、昨年大ヒットした「きっと、うまくいく」で日本でも有名になったアーミル・カーン出演のアクション超大作「DHOOM:3」は、日本への上陸を心待ちにしていたファンも多かったので、それがカットされてしまうことのショックも大きかったように思う(僕自身もそうだ。がっくりきた)。短縮版になることについては、配給会社や映画館の側にもいろんな事情があるのかもしれない。しかし‥‥162分を147分にしたところで、何か運営面で大幅に改善できる面がはたしてあるのだろうか。はなはだ疑問だ。

もし仮に、「短縮版を上映することで、より多くの層にインド映画のよさをアピールしていきたい」といった戦略による判断なのだとしたら、配給会社や映画館はそれと引き換えに、日本のインド映画支持層の中核を担っている熱心なファンの支持を失うことになる。インド映画がまだ全然マイナーだった頃から、熱心に何度も映画館に足を運び、クチコミやSNSで地道に評判を広げ、ヒットすると自分のことのように喜んでいたファンの支持を。彼らコアなファンたちは、上映される作品そのものに何よりも愛着を感じているのだから。

オリジナル版で上映されるのが一番望ましい選択肢だとは思うが、仮に短縮版での通常上映に固執するなら、レイトショーでも構わないから、どこかで字幕付きのオリジナル版を映画館で鑑賞できる機会を設けてほしい。オリジナル版はDVDだけで、というのはやめてほしい。「DHOOM:3」は、大きなスクリーンで堪能してこそ意味のある作品だ。

本当の意味でインド映画が日本で認められるのには、まだまだ時間がかかるのかな‥‥。

海の日の江ノ島

モーターボート乗り場
昨日は海の日だったからというわけではないのだが、長い時間を費やした大仕事も終わったし、いつのまにか夏だし、海でも見に行くか、と思って、ひさしぶりに江ノ島へ。泳いだりしたわけではなく、ただ、ぶらぶらと。