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灰色の兆し

終日、部屋で仕事。原稿を書こうにもなかなか調子が上がらず、こまごました連絡業務にも振り回されて、自炊する余裕もなく、近所の中華料理屋へ。

いつもよく食べるホイコーローのかけごはんを注文したら、いつのまにか値上がりしてることに気付いた。700円だったのが、750円に。ほかのメニューも軒並み値上げのようだ。消費税やら、急な円安やらに振り回されて、飲食店も大変なのだろう。

牛丼チェーン各社が200円台の牛丼を300円台にするとかで巷ではニュースになっているが、もともと価格競争で安くなりすぎてたものが元に戻っても、まあそんなものかなと思う。でも、なじみのごはん屋さんが、たぶん値上げしたくないのにこらえきれず値上げに踏み切ってるのを見ると、今の状況、これでいいのかと思わなくもない。

経済に限らず、今の日本の社会全体に、どんづまり感が漂っているような気がする。認めたくないものから目をそらし、都合の悪い指摘には耳を塞ぎ、理不尽な強要にも仕方ないとあきらめる。憂さ晴らしに他の国の人々を匿名のネット上で悪罵して、日本の国は美しいなどと持ち上げる記事や本を読み漁って悦に入る。くだらない。

世界から色が失われ、灰色に変わっていく兆しなのだろうか。

ママ友会

昨日の夜は、古民家を改装した静かで感じのいいレストランで、ちょっとぜいたくな晩ごはんを食べた。

たいていのお客さんは黙々と料理に集中して食べていた(つまりそれくらいおいしい)のだが、昨日はひと組、かなりにぎやかなグループがいた。大きなテーブルを囲んでいた女性ばかりのグループで、大きな声で漏れ伝わってくる内容によると、ママ友の方々の集まりらしい。「女子会」と言ってたけど、「ママ友会」の方が合ってるだろう。

とにかくにぎやかだったので(苦笑)、聞こうと思わなくても、いろいろ聞こえてきた。どこそこのナントカ君は少年野球で前途有望だとか。あそこのナントカちゃんはうちの子とああだこうだとか。夫と子供を朝送り出して、家事を一通り片付けても、時間が余ってしょうがないから、ネットでついつい買い物をしてしまうとか。

僕の知り合いにはまずいないタイプの人たちの会話だったので、ある意味新鮮だったのだが、何というか、まあ、世の中にはいろいろあるんだなあと。スケールの差こそあれ、いろんな人が、いろんな場面で、悩んだり、戦ったりしてるのだな。

まあ、それはともかく、もうちょっと周りの空気を読んで、静かにごはんを食べてほしかったな、というのはある(苦笑)。

仕事の価値

仕事というものの価値について考えてみる。世の中にはいろんな職業があるから、一概に言えることではないけど。

いい仕事、価値のある仕事って何だろう? たっぷりと報酬がもらえる仕事? そうとはかぎらない。昔頼まれたある仕事は、確かに報酬はよかったけれど、それをしても世の中に何ももたらさない、ただその依頼主が公的機関から金を吸い取るためだけの仕事だったと知った。あれほど無駄な時間はなかったかもしれない、と今でも思う。

逆に、報酬は正直ちょっぴりだけど、隅々までとても気持よく関わらせてもらえた仕事というのも、時々ある。それは結局、目指しているものの世の中における大切さとか、関わっている人たちの熱意とか、そういうものを感じられるから「やってよかった」と思えるのだろう。

とはいえ、いい仕事には相応の対価が支払われるべきだということも、僕は大切だと常々思っている。いくら熱心に依頼されても、たとえば1文字0.1円で文章を書いてくれと言われたら、断るしかない。そんな依頼をする人は、その仕事の価値や求められる能力をまったくわかっていないからだ。

文章を書く仕事、写真を撮る仕事、本を作る仕事。依頼してくれる人たちと気持が通じ合って、よいものを世の中に届けていけるような仕事に携わりたいな、と思う。

守られないマニフェスト

この年の瀬のせわしない時期に、総選挙があるらしい。たぶん誰もが「なんで今?」という気持だと思うが、各政党からマニフェストというか公約というものが発表されている。

日本でのマニフェストとは、言うまでもなく、当選したら実現させる政策をまとめたもの。有権者に対する約束である。でも、特に最近、このマニフェストは、まったくといっていいほど守られていない。野党はおろか、与党ですらまともに取り組まないどころか、反故にして正反対の政策を実行したりする。選挙の時は耳ざわりのいい言葉を並べておいて、当選したら、そんな約束事などどこ吹く風。そりゃ、誰もがげんなりして当然だ。

投票したくても、投票したいと思えるまともな政党が、正直、一つも見当たらない。投票率が下がるのもむべなるかな。というか、与党は自分たちが有利になるように投票率を低く抑えたいから、わざわざこのクソ忙しい時期に総選挙に持ち込んだふしもある。

行きますよ、投票には。国民の権利だし。行くけど‥‥誰に投票したらいいの? 消去法で選ぶしかないような選挙、いいかげん何とかしてほしい。

スープ割り

午後、南大沢で、ひさびさに大学案件の取材。帰りに吉祥寺で途中下車して、晩飯につけ麺を食べる。

つけ麺の麺を食べ終えた後につけ汁をスープで割ってもらう「スープ割り」というシステムを知ったのは、確か23歳くらいの時だった。今も荻窪の南口にあるはずの、丸長というお店。おひるにバイト先の社員の人たちに連れて行かれて、「ここではな、食べ終えた後につけ汁をスープで割ってもらうんだぞ」とちょっとうれしそうに教えてもらったのを憶えている。あの頃はまだ、つけ麺を出すお店はそんなに多くなかったんじゃないかな。丸長のつけ汁はとても濃厚で、スープで割ってもらったのをちびちび啜る時の充足感は格別だった。

あれから東京では、いや他の地方もか、つけ麺を出すラーメン屋さんがものすごく増えた。つけ麺専門店なんてのも当たり前。で、つけ麺のノウハウもこなれてきたのか、最近はスープ割り用のスープを魔法瓶に入れて、カウンターに並べて置いてある店ばかりになった。確かにお店側としては、いちいち客から器を受け取ってスープを足して返すより、客の側で好きに作ってもらった方が、オペレーション的には楽に違いない。客の側でも、その方が気楽でいいと思ってる人が多いのかもしれない。

でも‥‥ちょっと味気ないな、という気もする。麺を食べ終えた後、「すみませ〜ん。スープ割り、お願いします」と店員さんに声をかけるの、嫌いじゃなかったから。なじんできた儀式というか段取りが端折られてしまうのは、何だか少しさみしい。どうでもいいといえば、どうでもいいことなのかもしれないけれど。