ここ数日、確定申告の準備作業に、時間も気力も奪われてしまって、すっかりやさぐれた気分になっている。
毎年この時期、日本全国津々浦々のフリーランサーたちが確定申告の不毛な作業に奪い去られている時間と労力と忍耐力を、それぞれの本業で果たすべきクリエイティブな仕事に振り替えられるなら、日本のGDPも結構上昇するんじゃないかと割と本気で思っているのだが、どうだろう。
いや、もう、ほんとに……早く全部終わらせて、楽になりたい……。
ここ数日、確定申告の準備作業に、時間も気力も奪われてしまって、すっかりやさぐれた気分になっている。
毎年この時期、日本全国津々浦々のフリーランサーたちが確定申告の不毛な作業に奪い去られている時間と労力と忍耐力を、それぞれの本業で果たすべきクリエイティブな仕事に振り替えられるなら、日本のGDPも結構上昇するんじゃないかと割と本気で思っているのだが、どうだろう。
いや、もう、ほんとに……早く全部終わらせて、楽になりたい……。
目を覚まして寝床から起き、居間の窓辺に行くと、やけに強い風が吹いている。春一番が吹いたらしい。もうそんな季節か、早いなあと思ったが、それでも去年よりは3日遅かったそうだ。外に出ると、もう4月かと思うくらい、空気がぬくい。
「春一番」と聞くと、今でも反射的にキャンディーズの歌が脳内にこだまするのは、一番脳がやわらかい小学校低学年の頃に、彼女たちの歌をたっぷり刷り込まれたからだと思う。でも、「春一番」で最初に浮かんでくるのは、このタイトルそのものの曲ではなく、「微笑がえし」の方だ。歌い出しが「春一番が〜♪」なので、そういう連想をしてしまうのだと思う。
……こういう文章を書いてみても、そもそも「キャンディーズ」をリアルタイムで知っている人がもはや周囲にあまりいないという現実……深まる孤立感……(苦笑)。
日本人は、世界でも他に類を見ないほどTwitterが好きな国民なのだそうだ。海外各国でTwitterが軒並み不振にあえいでいる中、日本での利用状況はずっと好調なのだという。
著名人やタレントの方などはともかく、人間の資質や魅力は、Twitterのフォロワー数が多いかどうかには別に関係ないと僕は思うのだが、世の中にはフォロワー数を稼ぐことに全精力を傾けている人もいるらしい。殊に、自分がフォローしている数の少なさに比べてフォロワーの数が桁違いに多いと、それは人気者の証だと考えている人が。
もちろん、実際に人気者なのでしぜんとそういうフォロー・フォロワー比率になった人も、世の中にはたくさんいる。だがその一方で、自分は人気者と見せかけているだけのイタイ人もちらほらいる。そういう人は、圧倒的なフォロワー数の多さに比べて、各ツイートへのリツイートやいいねの数が不自然なほど少ないので、すぐにわかる。フォロワーの大半が、以前フォローされたのでフォロー返し(フォロバ)はしたものの、その人に興味はないので読んでないし反応もしないという人か、金で買われた擬似的なフォロワーか、だからだ。
中にはさらにイタイ人もいて、特定の趣味のクラスタのユーザーにフォロバしてもらう目的で、いきなり5000人ほどもそのクラスタの人をフォローしまくり、ある程度フォロワーが集まった段階で、自分からのフォローを全部リムーブ。代わりにその趣味に関係する大手企業や有名ブランドの公式アカウントだけを100ほどフォローし、それらの公式アカウントにリプライを送って、自分はさも良心的なファンでそのクラスタの人気者でもあるかのように見せかけるという愚策に出た。
こんなやり方でフォロバしてくれた人を全員リムっても、自分のツイートには魅力があるからそれほどリムられないと思い込んでいたらしいのが、さらにイタイ。案の定、フォロワー数は半減してさらに減り続け、その趣味のクラスタ界隈では要注意人物としてたちどころに悪評が知れ渡り、高い代償を払うことになったという。
そもそも、こうしたフォロワー数稼ぎのみが目的の大量フォロー&リムーブは、Twitterの利用規約に違反していて、Twitter側もシステム的に監視している。ただ、世の中にはそうした監視の目をくぐり抜けるための自動化ツールも出回っている。何とも不毛な、むなしいイタチごっこである。
このブログでも何度か書いているが、ソーシャルメディアは結局、今の時代のインフラの一つでしかないのだ。現実を現実以上のものにはできないし、自分を自分以上の存在にすることもできない。嘘と見栄で塗り固めても、おのずとどこかでボロが出る。逆に言えば、つかのまの嘘しかすがるもののない可哀想な人たちが、そういうむなしい行為に走るのかもしれない。
昨日は丸一日、松戸で取材。日に4連チャンというのは、さすがにしんどい。帰りに寄り道して、しばらく前からよく行っているインドカレーの店で、晩ごはんを食べていくことにした。
店内は、大勢のお客さんでにぎわっていた。この店のお客さんのほとんどは、1人か2人で、店のウリのミールスやビリヤニをじっくり味わいに来る。でも昨日は、一番奥のテーブル席に、明らかに系統の違うグループが座っていた。4人がけのテーブル席に5人で座って(おかげで通路が狭くなって店員さんが苦労していた)、フードのオーダーは数皿のサイドメニューだけで、卓上には何本ものワインボトルとビールのジョッキが並んでいた。要するに、飲み会に使っていたのだ。騒々しい声で職場の内輪ネタをしゃべりあい、ゲハハハハ、と笑っていた。
飲食店の使い方としては、間違ってはいない。お店も、ほかのお客さんも、彼らに何かを言う筋合いはない。でも、お店にとって、彼らが「いいお客さん」だったかというと、そうは言えないと思う。
お酒をたくさん飲んでワイワイ楽しく騒ぎたいなら、居酒屋に行けばいい。ほとんどのお客さんがゆったり気分でカレーを食べに来る店で、わざわざ居座って酔っ払って騒ぐ必要はない。居酒屋なら、彼らも「いいお客さん」になれるだろうに。
来月、「旅の本を作るという仕事」というテーマのトークイベントに出演することになったので、何を話そうかとあれこれ考えているうちに、ふと思い当たったこと。
たとえば、旅にまつわる文章を本や雑誌に書く仕事をしたいと志している人がいたとする。で、それに必要なスキルを身につける仕事としては、旅行関係の雑誌やムックやガイドブックを作っている会社や編プロで働くのが近道だ、と世の中の多くの人は考えると思う。僕も最初はそうなんだろうなーと考えていたのだが、あらためて、自分の知っている腕利きの旅行作家や旅写真家の方々の経歴を思い返してみると……そういうステップを踏んでいない人の方が、ずっと多かったのだ。
旅行関係の媒体を作っている会社に勤めると、独立した後も役立つ人脈を形成できるというメリットはある。でも、早い段階から仕事として課せられた旅をくりかえすことで、旅や異国に対する新鮮な感覚が磨耗してしまうかもしれないデメリットもある。実際、以前関わっていたある旅行関係の編プロにいた人は「もう取材に行きたくない……疲れた」と、うんざりした顔でぼやいていたし。
本や雑誌作り自体に必要なスキルは、別ジャンルの本や雑誌の仕事をしていても、まったく問題なく身につけられる。むしろ、若い時期ほど、行きたいと思った時に自分の好きなように旅をして、本当の意味で自分らしい経験を自分の中にたくわえていった方が、スキルと経験のバランスが取れた時に良い成果を生み出せるような気がする。あくまで僕個人の推測だけど。
仕事の旅は、自分自身の旅を満喫した後でも、いくらでもできる。自分の旅を楽しむ方が、ずっと糧になると思う。