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夕焼けの色

午後、八王子で大学案件の取材。帰りの中央線の中で見た夕焼けの淡い色が、とても綺麗だった。冬になって、大気が乾いて澄んでくると、ああいう淡い色になるのかもしれない。そういえば、ラダックで見る夕焼けは、ほとんどが淡い色だったような気がする。色が変わったと思ったら、あっという間に夜になるような。

以前、夏のカンボジアを乗合のワゴン車で移動していた時に見た夕焼けは、すごかった。熟れに熟れたザクロのような真紅の夕焼けが、東西南北、空のすべてを覆い尽くすように広がっていた。東南アジアの湿気で潤んだ大気の中だと、空もあんな風に染まるのだろう。

極北の地、アラスカでは、夕焼けの色も淡いのかといえば、そうでもない。大気に湿気は感じないのだけれど、夕焼けの色は、時にはまるで超高温で燃える炎のように鮮やかで、自然のものとは思えないような色になる。しかも、日によって、天気によって、同じ場所でも空の表情はまるで違うのだ。

そんなことを考えていたら、そろそろまた、旅に出たくなってきた。

世界一のクリスマスツリー

午前中から夕方まで、八王子で取材。帰りにココイチでスープカレーを食べ、家まで戻ってくる頃には、すっかり日が暮れていた。

近所にあるキリスト教系の幼稚園のベランダが、この時期恒例の電飾で彩られている。この建物は教会でもあるので、電飾もおとなしく、品のようなものがある。同じ電飾でも、三鷹駅北口ロータリーで年末灯される電飾は、正直言ってあまり品がない。青や白のLEDを大木の枝にむやみに絡めつけていて、人間の身勝手さを感じてしまう。

神戸港に先日持ち込まれたという、「世界一のクリスマスツリー」とやらのことを思う。氷見の山から根ごと引っこ抜かれ、はるばる神戸まで運ばれ、震災の鎮魂とかいう被災者の感情をもろに逆撫でする惹句を後付けでまぶされ、クリスマスの後は切り刻まれて神社の鳥居にされる予定という、世界一のクリスマスツリーのことを。

そもそも、何が世界一なのかもよくわからない。高さなら、国内外にもっと大きな、しかも自生しているツリーがあるという。子供たちが願い事を書いたオーナメントをくくりつけた数で世界一ともいうが、つけたそばから風で割れてバラバラ落っこちて、ろくに回収もされていないという。あのプロジェクトに関わっている人間たちの愚かさという点では間違いなく世界一だが、それではそんな愚かな人間たちに無理やりツリーに仕立てられたあげく鳥居にされてしまう、樹齢150年のあすなろの木(かどうかも実ははっきりしない)が可哀想だ。

世界一、無残な、クリスマスツリー、なのだろうな。

ブームには乗らない

数日前に今年のボジョレー・ヌーボーが解禁されたのだが、世間がバブリーに大騒ぎしてたひと昔前に比べると、メディアでの扱いもめっきり少なくなった。なので、こちらとしてはすっかり安心して、ボジョレーを飲める(笑)。

たとえば酒に関してだと、ワインブームが来て、焼酎ブームが来て、ちょっと前にはウイスキーだったか。そのたびにその方面の酒は手に入りにくくなるし、店で注文するのも妙に気恥ずかしいしで、世間にそういうブームが来ると、ろくなことはなかった。女性の方だと、スイーツとかもブームの波に翻弄されがちなジャンルだろうか。

ほんと、ブームには、乗らないにかぎる。ほとぼりが冷めたところで、ゆっくり楽しむのがいい。

週末台風

先週末も今週末も、日本列島は台風に見舞われている。

先週は僕はまだ日本に戻ってなかったから、どんな具合だったかは知らないけれど、友人夫妻が住んでいる鎌倉の海沿いのマンションが浸水してえらいことになったという話を聞いたりしていたので、相当大変だったのだろうなと思う。今週末の台風は結構早足で通り過ぎていくようなので、ちょっとほっとしているのだが。

その台風の関係で、今日は朝からずっと雨。ついさっき、小止みになってきたか。昼頃まで寝た後、午後は一念発起して、タイ案件の編集作業にみっちり取り組んでいた。外に出かけたりする気にならないので、その分、集中できたとも言える。

明日からは、秋晴れの気持いい天気になりますように。それでも自分に関しては、部屋に閉じこもって仕事することに変わりはないけど。

棄権について思うこと

昼、近所の小学校へ、武蔵野市長選と市議補選の投票に行く。

今月行われるであろう衆院選には、僕は投票できない。明日からしばらくタイ取材で、帰国する頃には投票が終わっている。公示前に出発だから、期日前投票もできない。マイナンバー制度とか作るくらいなら、海外でもオンラインで認証して投票できるようにすればいいのに、と思う。

昨日散髪に行った時、店主さんが「自分は投票に行かない。棄権するのも意思表示の一つだと思う」と話していた。少し前にネット上でもそういう言説が話題になっていたと思う。確かに、有権者の8、9割が投票を棄権すれば、それはそれで政治家たちに対する意思表示にはなるのかもしれない。だが、現実にそうなる確率は非常に少ないのも確かだ。

今の日本で、投票を棄権するということは、国や社会の未来を選ぶ権利を自ら放棄して、すべて他人に委ねる、ということになってしまう。そうして、なしくずし的に国も社会もどんどん悪くなっていって、本当に国の政策に対して声を上げたいと思う頃には、「国民主権」という選ぶ権利すら奪われていることにもなりかねない。今、政治の世界にのさばりはじめている極右の連中は、僕らから権利を奪うことを本気で考えている。首相も都知事も府知事も、同じ穴のムジナだ。

自ら選ぶ権利のあるうちに、自らの意思を示しておくべきだ。奪われてからでは、遅すぎる。

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取材のため、しばらく更新をお休みします。帰国は10月24日(火)の予定です。では。