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「Khoobsurat」

khoobsurat先日の南アフリカ取材、東京から香港に向かう飛行機の機内では、例によってインド映画を観た。だって、これから先日本で公開されるかどうかも定かでない(むしろ確率は低い)インド映画が、英語や日本語の字幕付きで観られるのだもの。使える機会は最大限利用しなければ‥‥。今回観たのは「Khoobsurat」。昨年、ディズニーが制作したインド映画だ。

インドのプロクリケットチームでトレーナーを務める理学療法士のミリーは、車椅子生活を送っているラージャスターンの貴族シェーカルの脚を治療するため、彼とその家族が暮らす邸宅に住み込みで働くことになった。しかし、シェーカルは自身のリハビリにまったく興味を示さず、妻のニルマラーは息の詰まるような厳格さで邸宅内を管理。息子のヴィクラムはビジネスのことしか頭になく、娘のディヴィヤは密かな夢を胸の奥に隠したまま。そんな中に飛び込んだ破天荒であけっぴろげなミリーの行動が、少しずつ彼らの心を動かしていく‥‥。

ディズニーの名を冠するにふさわしい、ロマンチックですんなりわかりやすいストーリー。主演のソーナム・カプールにとって、ミリーは彼女の美貌と身体のしなやかさを最大限に活かせるハマり役だと思うし、ヴィクラム役のファワード・アフザル・カーンの風格漂う物腰も見事にハマっている。物語の展開はお約束通りと言えばそれまでだけど、こういう映画は、そのまま素直に観て楽しめばいいと思うのだ。僕自身も、観ていて単純に面白かった。

この作品、日本で一般公開しても、ちゃんと受け入れてもらえるのではと思うのだが。ディズニーだし。ぜひご一考を。

一時帰宅の終わり

先週インドから日本に戻ってきて、合計3社からの仕事の〆切をどうにかこうにかクリアし、ほっとしたのもつかの間、日曜からはまた旅に出る。南アフリカへのプレスツアー取材に10日間。あっという間に一時帰宅の期間が終わってしまった。

この間、大学案件の主任さんから「何だかもう、一年の半分くらいは海外で生活してるみたいな感じですね」というメールを受け取ったのだが、いやいやさすがにそこまでは、と今年の海外滞在日数を計算してみたら、10月からのタイ取材の分を含めると3カ月半に達することに気付いて、ちょっと愕然とした。半年なんてそんなまさか、みたいに言えるほどの差はない。

来年も仕事でインドとタイに行くことはほぼ確定しているし、個人的にはアラスカもまた組み込みたいと思っているので、日数的には今年と同じかそれ以上になるかもしれない。こうなってくると、日本での仕事の種類の割合とか、タイミングの調整とか、いろいろ見直した方がいい面も出てくる。何より、自分自身がどういう方向に進んでいきたいのか、もう一度ちゃんと考えた方がいいような気がしている。

ともあれ、まずは南アフリカへ。ライオンやチーターやワニのおやつにならないように気をつけます。帰国は9月16日(水)夜の予定です。では。

「PK」

pk
今年インドまで往復するエアインディアの機内で、一番観たかったのが「PK」。「3 Idiots」以来のアーミル・カーンとラージクマール・ヒラニ監督のコンビで、ヒロインはアヌシュカー・シャルマーとくれば、絶対面白いに決まってる。成田からデリーに向かう機内ではまだ入ってなかったのだが、2カ月後に帰る時には、満を持してたっぷり堪能することができた。

この作品、あらすじに触れようとすると‥‥スタート直後からいきなり、まじか!の展開なので、そのとんでもない衝撃をネタバレしないように説明するのは、ものすごく難しい(苦笑)。なので、どんなストーリーなのかはあえて書かないでおこうと思う。

この作品で重要なテーマとなっているのは、「神」だ。国内に多種多様な宗教がひしめくインドが主な舞台だからこそ活きるテーマだが、ともするとセンシティブで扱いにくいとみなされがちな「信仰」について、PKが素朴でまっすぐな視線で捉えていくプロセスが、観ていてなるほどと腑に落ちたり、そういえばそうだなと気付かされたりで、さすがヒラニ監督、さすがアーミル、と唸らされた。それでいて、説教臭さは微塵もなく、ちゃんとした極上のエンターテインメント作品に仕上がっているのだ。えーっ!と度肝を抜かれる衝撃の展開も、クライマックスから伏線を回収しまくりながらラストになだれ込む際の爽快感も、存分に楽しめる。この作品がそれまでのインド映画の歴代興収記録を軽々と塗り替えたのも、当然の結果だと思う。

こういう作品こそ、日本に上陸してほしい‥‥。もちろん、ノーカットで。

「Finding Fanny」

Finding Fannyデリーから成田までの機内では、2時間以上の大作ばかり観ようとすると時間が足りなくなるので、短めの作品も一つ入れた。それが「Finding Fanny」。インド映画にしては一風変わった作品という前評判は聞いていた。

物語の舞台はゴアの田舎町。若き未亡人アンジーの隣の家に住む老人ファーディーの元に、40年以上前に投函した手紙が未開封のまま返送されてくる。それは当時、ファーディーが愛していたファニーという女性に結婚を申し込んだ手紙だった。アンジーはファーディーに、ファニーを探しに旅に出ることを提案する。その旅には、アンジーの亡き夫の母親ロージー、かつてアンジーに振られたことを未だに引きずるサヴィオ、ロージーを追い回す芸術家ドン・ペドロが加わり、オンボロ車に乗っての珍道中が始まる‥‥。

この作品、舞台が異国情緒豊かなゴアの田舎で、登場人物たちの台詞も大半が英語なので、いわゆるインド映画としての特徴は薄く、どちらかというとかつてゴアを植民地にしていたポルトガルなど南欧で撮られた映画のような雰囲気を湛えている。ディーピカやアルジュンをはじめ、俳優陣の演技も自然体でいい感じなのだが、作中至るところに埋め込まれたブラックユーモアが、僕にはどうにも笑えなくて、引っかかるものを感じてしまった。旅に出た意味があったの? それで納得するの? それでもってその結末? うーん、どうなんだろ、というのが正直な感想。確かに、インド映画とは思えないほど洒落た雰囲気の映画なのは間違いないのだが。

今までになく自然体で艶めかしいディーピカの演技を観たいという方にはいいかもしれないけれど、少なくとも猫好きの人は、やめておいた方がいいんじゃないかと思う(苦笑)。

「Highway」

Highwayデリーから成田に戻るエアインディアの機内で観ようと決めていたのは「Highway」。劇中歌のミュージックビデオをYouTubeで観て、この映画がキナウルとスピティでも撮影されていると知ってしまっては、見逃すわけにはいかない(笑)。

結婚式を目前に控えたヴィーラは、ある夜、家をこっそり抜け出してつかの間のドライブを楽しんでいた時、偶然ガソリンスタンドで遭遇した強盗団に拉致されてしまう。ヴィーラが有力な実業家の娘と知った強盗たちは彼女の処遇について言い争うが、一味の一人のマハービールはヴィーラを利用しようと、わずかな仲間とともに彼女を連れて逃亡の旅に出る。ある時、一行は警察の検問に引っかかってしまうが、ヴィーラはなぜか、トラックの荷台で警察から身を隠した‥‥。

誘拐された娘と誘拐した側の犯人が、逃亡を続けるうちにいつしか‥‥という筋書きは、割と予想しやすい展開なのかなとも思ったのだが、この「Highway」に関しては、ヴィーラがマハービールとともに逃げることを選ぶ、ある必然的な理由が隠されている。トラックで、バスで、そして徒歩で、インド各地を経巡る旅の中で、二人は互いをいたわりながら、徐々に心を通わせていく。だがその先には‥‥。

この映画、音楽もなかなか旅情を誘う素晴らしさで、キナウルからスピティへと抜けるバスの旅の時に使われていた「Kahaan Hoon Main」という曲は、僕が今年スピティで車に乗っている時もよくかかっていた。まあでも、ろくな装備も持たずにスピティから徒歩で山を越えて一気にカシミールまで行くのは絶対ムリ、というツッコミは一応入れておきたい。その山越えの道、自分で歩いたことがあるので(笑)。

やりきれない哀しみに満ちたロードムービーだけれど、車窓を流れるインド各地の風景と、アーリヤー・バットの迫真の演技を含め、一見に値する作品だと思う。