Tag: India

関健作×山本高樹 トークイベント「僕たちはブータンとラダックで、撮って、書いて、生きてきた。」


毎年春の恒例行事となりつつある、ブータン写真家の関健作さんとのコラボトークイベント。今回は、お互いの旅と写真と文章のルーツ、それぞれのメインフィールドにこだわり続ける理由などについて、じっくり話してみようと思っています。ご来場、お待ちしています。

———

関健作×山本高樹 トークイベント
「僕たちはブータンとラダックで、撮って、書いて、生きてきた。」

旅に出て、ある場所に出会う。そこはもしかすると、あなたが訪れるのをずっと待ってくれていた場所かもしれません。ヒマラヤの東の小国ブータンに出会った関健作と、ヒマラヤの西外れの辺境ラダックに出会った山本高樹。彼らは何に惹かれ、何を求めて、それぞれの土地に関わり続けることを選んだのでしょうか。二人の写真家がこれまでに紡いできた写真と言葉の変遷をたどりながら、異国への旅、そして人生について、じっくりと考えてみるトークイベントです。

■日時:3月25日(土)14:30〜16:30(14:00開場)
■会場:モンベル 御徒町店 4F サロン
東京都台東区上野3-22-6 コムテラス御徒町
TEL03-5817-7891
http://www.montbell.jp/
■定員:80名(メールによる事前予約制)
■主催:GNHトラベル&サービス
http://gnhtravel.com/

「カプール家の家族写真」

年末年始のキネカ大森でのインド映画鑑賞、2本目に観たのは「カプール家の家族写真」。観る前は、ポスタービジュアルのイメージから、明るい家族モノのコメディだと思い込んでいた。確かに笑わせどころは各所に散りばめられているものの、全体的にはかなりシリアスに、家族というテーマそのものについてがっちりと描いた作品だった。

南インドの美しい避暑地クーヌールに暮らすカプール一家は、祖父アマルジートと父ハルシュ、母スニーターの3人暮らし。ある時、心臓発作で倒れて入院した祖父を見舞いに、実家を離れていた2人の息子、ラーフルとアルジュンが戻ってくる。事業に失敗した上、女性の影もちらついているハルシュ。ケータリング事業のアイデアを夫に反対され、険悪な関係になっているスニーター。ベストセラー作家として成功しているものの、人に言えない苦悩を抱えるラーフル。何をやっても長続きせず、優秀な兄に引け目を感じているアルジュン。ひさしぶりに再会しても言い争いばかりの家族たちは、それでもアマルジートの90歳の誕生日を祝おうと、たくさんの人々を招いてのパーティーを企画したのだが……。

幸せになろうとして、それぞれがんばっているのに、うまくいかなくて。誰にも言えない秘密を抱え、でも自分を理解してもらいたいのに、気持はすれ違うばかりで。やがて家族は、ある日、床に落としたコップのように、粉々に砕けてしまう。それでも家族は、かけらを一つひとつ拾い集め、どうにかこうにかつなぎ合わせようとする。たとえ、もうどこにも見つけられないかけらがあったとしても。

家族というつながりは、ある意味、とてもめんどくさい。でも、ほかのどんな人とのつながりにも代えられない絆でもある。現実の世界はなかなかハッピーエンドにはならないけれど、それでも人は、家族は、ほんのいっときでも幸せでありたいと願うのだ。

「ボンベイ・ベルベット」

ありがたいことに年末年始の恒例となりつつある、キネカ大森でのインド映画特集上映。毎年10月に開催されるIFFJには、僕はタイ取材と重なる関係で参加できないので、大森方面には足を向けて寝られない(笑)。今回はまず、ランビール・カプールとアヌシュカー・シャルマが出演したギャング映画「ボンベイ・ベルベット」を観た。

物語の舞台は、独立後まだ間もないインドの魔都、ボンベイ。貧しい娼婦に育てられたチンピラのジョニーは、仲間のチマンとともに、スリや賭けボクシングでその日暮らしの日々を送っていた。ジョニーが酒場で一目惚れした歌手のロージーは、左翼系新聞社を経営するジミーの愛人となってしまう。「大物になる」ことを目指すジョニーたちは、裏社会に通じる資産家のカンバーターの手下となり、彼の野望の邪魔となる人物を次々と排除していく。殺したり、スキャンダルを盗撮したり、誘拐したり……。それらの見返りに、ジョニーはカンバーターの経営する高級クラブ「ボンベイ・ベルベット」のマネージャーとなる。そんな彼の前に、ジミーからカンバーター側へのスパイの役目を背負わされたロージーが現れる。ジョニーに雇われ、瞬く間に「ボンベイ・ベルベット」の花形歌手となったロージー。二人の関係、そして運命は……。

まるでアメリカのギャング映画を観ているような錯覚に陥るほど、細部まで凝った造りのスタイリッシュな映像と、ロージーの歌を中心としたジャジーな音楽。そういう要素は観ていてかなり楽しめたのだが、その一方で、ジョニーやロージーをはじめとする登場人物たちの内面描写が乏しい印象で、感情移入できる部分がなかなか見当たらず、「まあ、そういう末路を辿るのも仕方ないよね……」と思ってるうちに終わってしまった感がある。もうちょっと、何とかなったんじゃないかな、という。いろんな意味で惜しい映画だった。

ちなみにこの作品、インド国内では興行的にまったくふるわなかったそうだ。そこまでひどい出来とは感じなかったのだが、やっぱりかの国では、シンプルでわかりやすい映画が受け入れられやすいのかな、と思う。

「好きだ」と言ってもらえる本を

生まれてこのかた、女性の方から先に「好きです」と言ってもらえた回数は、指折り数えてもたぶん片手で足りるほどしかない。だから、そんな風に言われるとどのくらい嬉しいと感じるのか、正直よく覚えていない(緊張するし、その時に相手のことをどう思ってたかもあるし)。

でも、自分の作った本を「この本が好きです」と言ってもらえた時の嬉しさは、本当によくわかる気がする。そういう機会がたま〜にあるのだが、面と向かってそう言ってもらえると、相手の顔も見れないくらい恥ずかしくて恐縮してしまう。同時に、その場で飛び上がりたくなるほど嬉しくもなる。まるで、校舎の裏に呼び出されて告白された中学生男子みたいに(笑)。もちろん相手の方は老若男女さまざまだし、伝わる手段も直接会うだけでなく、メールや手紙など、いろいろなのだけれど。

火曜日の打ち合わせの時、約5年前に書いた本のアンケートハガキの裏面のコピーをまとめたものをもらった。いろんなコメントがあったのだが、その本を、本来の機能や役割以上の部分で気に入ってくれていた方が思いのほか多くて、部屋の中で一人、校舎裏の中学生男子のようにもきゅもきゅしながら読ませていただいた。中には「今、入院中ですが、読んでとても気分が晴れやかになりました」という方からのハガキもあって、ありがたいなあ、としみじみ思った。

みなさん、本当に、ありがとうございます。感謝の気持を、次に作る本にがつっと込めるべく、がんばります。また、「この本が好きです」と言ってもらえるように。

にじみ出るもの

昼の間、部屋で原稿を書く。長めのインタビュー原稿をどうにか形にできたので、ほっとする。

夕方、都心へ。恵比寿でラーメンを食べ、ヴェルデでコーヒーを飲み、代官山蔦屋書店へ。竹沢うるまさんと旅行書コンシェルジュの荒木さんとのトークイベントを拝聴。途中で竹沢さんが急に僕の名を呼び、会場の全視線に急に振り向かれるという不測の事態に(苦笑)。僕の本を知っている方も何人か会場にいらっしゃって、終了後に声をかけていただいて、恐縮してしまった。

竹沢さんは、自分のメッセージや思いを込めようとして写真を撮ってはいないのだという。あくまで媒介者として、凪いだ水面のようにフラットな心で対峙し、何かに心が反応して波紋が浮かんだ瞬間にシャッターを切る。写真で捉えようとしているのは、自分自身の心の揺れ動きそのものなのだと。

メッセージや思い入れは、意図的に伝えようとしてもたいていうまく伝わらない。作り手や伝え手の個性というものも、意図的に出そうと思うとたいてい失敗する。そういうことを意識せず、自分自身の気持に素直に従って、前へ前へと進み続けていれば、個性や思いや伝えたいことというのは、しぜんとにじみ出てくるというか、見る人や読者がそれぞれに解釈して受け止めてくれる。そうやって委ねるべきものだとも思う。

レベルは大きく違うけれど、僕自身の文章や写真に対しても「ヤマタカさんらしいよね、ヤマタカ節だよね」とは周囲からよく言われる。僕自身は、いったいどのあたりがヤマタカらしいのか、未だにわかっていないのだけれど。笑われてるのかな(苦笑)。