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「Newton」

タイ取材のために羽田を飛び立って、台風24号の暴風の余波に揺れる機内で観たのは、インド映画「Newton」。「クイーン」などで独特のトボけた味の演技を見せている個性派俳優、ラージクマール・ラーオの主演作。海外の映画祭などでも話題になっていた作品だったので、観てみることにした。

舞台はインド中部チャッティースガル州のジャングル地帯。毛沢東派の武装勢力が支配するこの一帯には、わずかながら先住民が暮らす村々がある。公務員で生真面目な性格のニュートンは、このジャングル地帯で実施される選挙管理員に自ら志願する。何かにつけて非協力的なインド軍の護衛を受けつつ、現地に赴いたニュートンは、同僚や現地の協力者とともにどうにか投票を実施させようとするが……。

インドの、それも辺境中の辺境での選挙という、かなり特殊なテーマの作品。ミニマルな世界ゆえに、インドの政治や社会の実態(主にダメな部分)がよ〜く表れていたように思う。頑ななまでに杓子定規な主人公ニュートンのふるまいは、時に滑稽ですらあるのだが、それがかえって現実の異様さ、滑稽さ、そしてむなしさを際立たせている。

いつ、どこからゲリラが出没するかわからない、というチリチリした緊迫感をはらみつつ、物語は小さな笑いを交えながら淡々と進んでいく。このまますーっと終わるのかな……というところで、思いがけない展開が、どん、さらにどん、と。何とも言えない後味の残る、不思議な映画だった。

「同意」

キネカ大森でのインディアン・シネマ・ウィーク(ICW)、3本目に観たのは「同意 Raazi」。2018年夏に公開された、アーリヤー・バット主演のスパイ・サスペンス。

1971年、東ベンガル(後のバングラデシュ)の独立運動に伴って、インドとパキスタンとの間では急激に緊張が高まっていた。カシミール生まれの大学生サフマトは、余命わずかな父の願いを聞き入れ、彼の友人であるパキスタン軍人の末息子のもとへ嫁ぐ。だが、その真の目的は、諜報員だった父の跡を継いで、パキスタンの軍事作戦を探るという危険な任務だった……。

スリリングな映画だった。何しろ1970年代初頭なので、スパイが情報伝達に利用できるのは固定電話やモールス信号機のみ。そのアナログなまだるっこしさで、さらにハラハラさせられる。奇抜な仕掛けはないのだが、最後の最後まで読めない展開で、あっという間の140分だった。

この作品でとにかく痛ましいのは、主な登場人物がほぼ全員、善人であるという点だと思う。本当の意味での悪人は一人もいないのに、国と国との軋轢に巻き込まれ、ある者は命を落とし、残された者は悲しみに突き落とされ、サフマトはあまりにも理不尽な運命を背負わされてしまう。「私は他の何者よりも、祖国を愛する」という彼女の信念は、人として、本当に正しかったのか。つくづく考えさせられる。

ちなみに、この映画の原作の小説にはモデルとなった実在の女性諜報員がいて、劇中のいくつかの出来事は、実際に彼女の身に起こったことを基にしているのだそうだ。そういう話を聞くと、なおさら、やるせない。

「マジック」

キネカ大森でのインディアン・シネマ・ウィーク(ICW)、僕が2本目に観たのは、タミル映画、ヴィジャイ主演の「マジック(Mersal)」。この作品は昨年暮れにインドで公開されて以来、後述する話題などもあって、大ヒットを記録している。

チェンナイで、どんなに貧しい患者でも5ルピーで診察する医師、通称「5ルピー先生」のマーランは、パリの国際会議で表彰されるほどの人徳者。そんな折、とある事故に関わった4人の医療関係者が誘拐されて行方不明になり、マーランは容疑者として逮捕されてしまう。彼と瓜二つの顔を持つ謎のマジシャン、ヴェトリとは何者なのか。その過去に秘められた悲劇、真の巨悪とは……。

インド映画では主演が一人二役とかいうのはさほど珍しくないのだが、この作品でのヴィジャイは、なんと一人三役。序盤から息もつかせぬ展開で、マーラン/ヴェトリの正体をめぐる謎にグイグイ引き込まれていく。極彩色のダンスシーンと、ぬらぬらした血飛沫の舞う過激なアクション。映画館の大画面とはらわたに響く爆音でこの作品を堪能できたのは、本当にありがたかった。この映画の重要なテーマであるインドの医療問題について、込み入った台詞の内容を日本語字幕で正確に追えたのも助かった。

そう、この作品には、現在のインドの医療が抱えている深刻な問題(公立病院の慢性的な不足、法外な医療費のかかる私立病院、蔓延する不正の数々)を痛烈に批判していて、その矛先は今のインド政府与党のBJPにも向けられている。作中には「シンガポールでは7%の物品サービス税(GST)によって医療を無償化している。インドは最大28%ものGSTを取っているのに、なぜ医療を無償化できないのか」という台詞も織り込まれていて、このシーンのカットを要求したとされるBJPに対して猛烈な抗議が寄せられたことも話題になった。

社会的なテーマをがっちり組み込んではいるが、この作品は正真正銘の娯楽大作。こういう映画づくりがちゃんと行われていて、大衆もそれを拍手喝采で受け入れているのが、タミル映画の奥深さなのだなあ、と実感した。

ヴィジャイの一人三役に合わせて登場するカージャル、サマンタ、ニティヤのトリプルヒロインがちょっと出番少なめかなあとか、ほぼ全部をCGで片付けようとしてるマジックシーンとか(苦笑)、細かく言いはじめたらまあいろいろあるにはあるが、この映画は、最初から最後までアドレナリン全開でどっぷり楽しめば、それでいいのだと思う。

「神が結び合わせた2人」

日本でのインド映画の上映企画というと、これまでは10月に開催されるインディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン(IFFJ)が有名だったが、去年あたりから、9月にもインディアン・シネマ・ウィーク・ジャパン(ICW Japan)という企画が始まった。このICW、今年は上映本数も一気に増えて、なかなかの良作が揃っている。中でもインド映画クラスタが歓喜しているのは、「神が結び合わせた2人(Rab Ne Bana di Jodi)」。シャールク・カーンと、この作品でデビューしたアヌシュカー・シャルマーのラブコメだ。

アムリトサルで電力会社に勤める生真面目なスーリは、恩師の娘ターニーの結婚式に招かれた夜、そのターニーに一目惚れ。ところが、ターニーの婚約者は交通事故で急死し、恩師もショックで心臓発作を起こしてしまう。死に際の恩師の願いに従い、スーリはターニーと結婚するが、ターニーは「もう誰も愛さない」と心を閉ざしたまま。暇つぶしと気晴らしにダンス教室に通いはじめたターニーを見守るべく、スーリはラージというチャラけた男に扮して、ダンス教室に潜入する……。

七三分けにメガネと口ひげのいなたいスーリと、グラサンにピチTとデニムといういろいろやりすぎのラージ。この二役(というか同一人物だけど)を演じ分けるシャールクが、何だか本当に楽しそうで(笑)。無敵でも不死身でもないけれど、ただただターニーを思い続けるそのひたむきさには、観ていて胸にぐっとくるものがあった。一方、デビュー当時のアヌシュカーの初々しい美しさは、文字通り眩しいほど。ちょっとズレてる日本絡みのネタや、「Dhoom」などのパロディネタも結構仕込まれていて、笑いどころも多かった。

喜怒哀楽の感情をそれぞれめいっぱい振り切って、最後は「あー、よかった! 面白かった!」とすっきりした気分で席を立つ。そう、こういうインド映画を観たかったんだ。

インド率増大

昨日の夜は、吉祥寺のレンガ館モールの地下にある中華料理屋でごはんを食べながらの打ち合わせ。来年から参画する新しい仕事について。

新しい仕事というのは、撮影と執筆を伴う取材で、インドにまつわる旅の本づくりをお手伝いするというもの。ラダックやスピティをはじめ、その他のインドの地域もいくつか担当することになった。それも一回限りではなく、たぶんほぼ毎年。つまり、一年のうちにインドに滞在する時間が、今まで以上に増えるということだ。

たとえば、来年は多くても合計で2カ月くらいのインド滞在になると考えていたのが、昨日の打ち合わせを踏まえると、少なくとも合計3カ月はいなければならなくなりそう。年の4分の1をインドに持ってかれるわけである(苦笑)。

まあ、新しい仕事自体はとても面白そうだし、一緒に組むスタッフも凄腕の方々ばかりなので、楽しみではあるのだが。残りの人生における予想以上のインド率の増大に、やや戦々恐々としている。