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たぶん準備万端

午前中のうちに、荷造りの続き。撮影機材はいつも、出発前日に防湿庫から出してバッグに詰めることにしている。それも割とすぐに終わり、おひるに近所でつけ麺を食べた後、午後は家でまったり。これで準備万端、なはず。

時間と精神状態に余裕が出てきたからか、来年の仕事の計画などもつらつらと考えてみる。これからしばらくは忙しい。年内に新しい本の草稿を書き上げなければならないし、春先までにその本を仕上げなければならない。それに合わせてイベントやら展示やらをやらねばだし、それが終わったらまた取材に、ガイドの仕事に……。なんだかもう、1、2年先まですっかり埋まってる感がある。茫然。

まあ、その前に、まずはこの夏のラダックでの仕事だ。ではしばらく、いってきます。

旅慣れて、油断

あさってからまた1カ月ほど、インドに行かなければならなくなった。主にラダックやザンスカールでのツアーガイドの仕事と、自分の取材も少々。例によって億劫な気分になっているのだが(苦笑)、重い腰を上げて、荷造りに着手。

年に3、4カ月も旅をして過ごすような生活をしていると、さすがにある程度は旅慣れてきているので、荷造りもシャッシャカ進むのだが、逆に旅慣れてきたが故の油断というものもあって。今日の今日まで海外旅行保険の申請をしていなかったり(苦笑)、いろいろ細かい見落としもあったりして、ほんのり冷や汗をかいたところ。

もともと、おっちょこちょいでチョロい性格だからなあ……いや、ガイドがそんなことではいかん(苦笑)。気を引き締め直さねば。

「ヒンディー・ミディアム」

2017年にインドで公開されてスマッシュヒットを記録し、海外でも高い評価を得た映画「ヒンディー・ミディアム」。日本でも9月6日(金)から公開されることになったのだが、ひと足先にマスコミ試写で拝見してきた。

デリーの下町育ちのラージは、身一つからの叩き上げで婦人服店の経営を成功させた。今は妻のミータと娘のピアとともに幸せに暮らしているが、目下の悩みは、ピアのお受験。経済的には問題ないけれど、学歴が低く英語も苦手な二人は、娘を英語教育の受けられる一流の私立校(イングリッシュ・ミディアム)に入学させたいと考えている。滑稽なほど熾烈なお受験競争に右往左往するラージは、とうとう書類を偽造までして、貧困層の子供向けの優先入学枠を狙うのだが……。

インドの学校は、全国津々浦々にある公立校のほか、大都市などにある私立校がある。特に有名私立の一貫校は、入学できれば将来が約束されたも同然になる(と考えられている)ので、ものすごい倍率での競争が繰り広げられる。この映画で描かれているお受験狂騒曲も、実はそこまで誇張された表現でもないのだという。現代インド特有の階層社会や教育制度のこじれた部分を浮かび上がらせつつ、それらを物語にうまく織り込んでコミカルに仕上げた脚本が秀逸。主演のイルファーン・カーンの力の抜けたトボけた演技(でもキメる時はキメる)も、作品全体に安定感をもたらしていた。

インド人と英語というテーマの作品だと、最近では「English Vinglish」(邦題「マダム・イン・ニューヨーク」)がすぐに思い浮かぶし、教育に関しては言わずもがなの「3 Idiots」(邦題「きっと、うまくいく」)や、同じくアーミル・カーンの「Taare Zameen Par」(邦題「地上の星たち」)など多くの作品がテーマとしている。人間一人ひとりの持つ本来の価値は、学歴や収入や社会的地位などに囚われないところにあるはずだ。この「ヒンディー・ミディアム」も、そうした当たり前のこと、でも多くの人々がともすれば見失いがちなことに、あらためて気付かせてくれる。

「SANJU/サンジュ」

2018年にインド映画国内興収第2位(1位はラジニカーント主演の「2.0」)を記録した、ラージクマール・ヒラニ監督の「SANJU/サンジュ」が、日本でも6月15日(土)から公開されはじめた。新宿武蔵野館では1日1回、1週間限定公開の予定。「きっと、うまくいく」や「PK」で日本でも結果を残しているヒラニ監督の最新作にしては、やや残念な扱われ方ではある。それはたぶん、この作品の特殊なコンセプトが日本の観客には馴染みにくそう、という判断からなのだろう。

「SANJU/サンジュ」は、インド映画界の実在のスター俳優、サンジャイ・ダットの半生を辿った映画だ。父スニール・ダットと母ナルギスという名優の両親の息子に生まれた彼は、薬物中毒や数多くの女優たちとの噂、そして武器の不法所持に端を発したテロリストとの関与の嫌疑など、インド映画界でもとりわけスキャンダルにまみれた「札付きのワル」とみなされてきた。にもかかわらず、インド映画界では彼を敬愛する者は数多く、スター俳優としてのインド国内での人気も非常に高い。それはいったい、なぜなのか。

ヒラニ監督は、この物語を語らせるのに必要な架空の人物を何人か設定し、逆に実在の関係者各位(苦笑)にはあらぬ迷惑がかからないように配慮しながら、巧みにフィクションを織り交ぜて、サンジュと彼の家族たちの生き様を鮮やかに描き出している。サンジュを演じたランビール・カプール(カプール家との過去の因縁を考えると、運命的な配役ではある)の役作りには文字通り鬼気迫るものがあったし、脇を固める俳優陣も素晴らしかった(ソーナム・カプールやボーマン・イラニの出番が少なくてちょっともったいなかったけど、笑)。サンジャイ・ダットの日本での知名度云々に関わらず、どんな人の心にも届く普遍的なメッセージが、この作品には込められていると僕は思う。

こわもてだけど、弱虫で、でも、どこまでも自分に正直な人。この作品だけでなく、サンジャイ・ダットの次の出演作も日本で観られる日が来ることを願っている。

「シークレット・スーパースター」

アーミル・カーン・プロダクションが「ダンガル」の次に制作した映画「シークレット・スーパースター」。前作に引き続き、インド国内だけでなく中国などでも大ヒットを記録したのだが、日本でも8月9日(金)からいよいよ公開されることになった。それに先駆けてマスコミ試写のご案内をいただいたので、ひと足先に拝見させていただいた。

グジャラート州ヴァドーダラーに住む15歳の少女インシアは、幼い頃に母親に買ってもらったギターを弾きながら歌を歌うのが大好きで、いつの日か歌手になることを夢見ている。しかし、妻に頻繁に暴力を振るうほど過剰に厳格な父親は、彼女に勉学に専念すること以外の選択肢をいっさい認めようとしない。そこでインシアは、黒いブルカ(イスラーム教徒の女性がかぶるヴェール)で顔を隠した「シークレット・スーパースター」として、弾き語りで歌った動画をYouTubeにアップ。彼女の歌声はたちどころに大評判となり、有名だが素行に問題ありの音楽プロデューサー、シャクティ・クマールの目にも留まるのだが……。

追い詰められた境遇の主人公たちが、YouTubeやFacebookで圧倒的な支持を集めて一発逆転という展開は、インド映画でもしばらく前からかなり多くの作品に取り入れられていて、そこまで目新しい仕掛けではない。インシア扮する「シークレット・スーパースター」も、YouTubeによってトントン拍子に人気者になる。しかし、彼女がスターダムを駆け上がる過程自体は、実はこの作品が伝えようとしているテーマのほんの一部でしかない。本当の「シークレット・スーパースター」は誰なのか。このタイトルには、想像以上に深い意味が込められている。

アーミル・カーンは以前から、インド国内のさまざまな社会問題に関して批判的な発言を厭わないことで知られている。彼が司会を務めたドキュメンタリー番組シリーズ「Satyamev Jayate」でも、インド社会に根強くはびこる女性蔑視の問題を取り上げていた。そうした彼の視点が「ダンガル」や「シークレット・スーパースター」のような作品を生み出すことにもつながっている。そしてそれはインドだけでなく、未だにひどい男女格差を抱えている日本社会にも向けられるべき批判だと僕は思う。

……と、そこまで深いテーマを織り込んでいながらも、笑って楽しめるエンターテインメントとしてしっかり仕上げているところもまた、アーミルらしい。ていうか、あの人、ダメ人間を演じさせると、ものすごくイキイキしてて楽しそうだな(笑)。