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「グレート・インディアン・キッチン」

ココナッツを削り、すりつぶしてチャトニにする。鉄板で生地を丸く伸ばして、ドーサを焼く。かまどで薪を焚いて、米を炊く。オクラを刻む。インゲンを刻む。トマトを刻む。タマネギを刻む。バナナを揚げる。魚を揚げる。食卓の上の食べかすを拭い取る。皿を洗う。コップを洗う。鍋を洗う。

ジョー・ベービ監督のマラヤーラム語映画「グレート・インディアン・キッチン」では、冒頭から、家の台所での何気ないカットが、ひたひたと積み重ねられていく。ナレーションもBGMも何もないが、刻々と鬱積していくその短いカットの連鎖からは、監督のある強い意図を感じ取ることができる。

インド人社会の頑迷な家父長制と、理不尽なまでの男尊女卑。現代では時代錯誤にも思えるこうした慣習は、宗教との関係もあってか、いまだに根深く残り続けている。男性だけでなく、女性たち自身の中にも、こういった慣習に囚われてしまっている人は少なくないという。しかし、それは、人としてどうなのか。我々は、目を覚ますべきなのではないか。人が人として、当たり前に生活しながら、互いをいたわりあって生きていけるように。

インドだけではない。世界の他の国々にも、日本にも、こうした男尊女卑の慣習は、さまざまに形を変えて、根深く存在する。あまりにも根深すぎて、誰もが当たり前と受け止め、あきらめてしまっているような慣習が。でも、あきらめてはいけないのだと、この映画を観て、あらためて思った。

都会の雪

一昨日は、東京でも昼頃から雪になった。朝の時点での天気予報の予測を大きく超えて、五センチくらいは積もったそうだ。

昨日の朝は、街の道路のあちこちで、雪が凍ってアイスバーンと化していて、転倒する人が続出したらしい。僕も、いつもなら西荻の自宅から吉祥寺のコワーキングスペースまで歩いて往復してるのだが、昨日はさすがに電車にした。それでも、朝、家から駅までのほんの5分くらいの道のりでさえ、かなりひやひやしながら歩いた。

「昨日の雪の凍り具合を見て、本で読んだチャダルの話を思い出しました。こんな感じなのかなあって」と、今日ある人に言われたのだが、東京のような都会の雪や氷の方が、ラダックやザンスカールのそれよりも、ある意味危ないような気がする。どこでどう滑るか、予想がしづらいというか。転んだら、地面も周囲も硬くて怪我しそうなものだらけだし。

初めてチャダルの旅をして、レーに戻ってきたら、レーの街のあちこちがつるつるに凍っていて、坂道で転んで手のひらをすりむいたことを、今になって思い出した。現地では、そろそろチャダルを行き来できるようになっている時期だ。あっちは今、どんな感じなのだろう。

今年の進歩


今日の晩飯は、チキンビリヤニを炊いた。ふわ、ぱら、しみ、と、ちょうど良い具合に香り高く炊き上がったのを、はふはふと無我夢中で頬張って、きれいさっぱり、たいらげた。

自分でビリヤニを作るようになったのは、今年に入ってから。最初のうちは分量や各工程の火加減がいまいちわからなくて、失敗したこともあったのだが、五月頃にコツみたいなのを自分なりにつかんでからは、ほとんど失敗せず、安定した炊き上がりで作れるようになった。まあ、これも作る分量やメインの具材が変わると、またゼロから調整し直さなければいけないとは思うが。来年は、フィッシュビリヤニにも挑戦してみたいなあ。

冷静に考えてみると、自分の家で、食べたいと思った時に、炊きたてのビリヤニが好きなだけ食べられるのって、結構すごいことなのかもしれない。だって、普通、そんなに家で作る料理じゃないし(笑)。僕自身に関して、今年一番進歩したのは、「ビリヤニを作れるようになったこと」なのかも、と思う。

じゃあ、本業に関しては何も進歩してないのかと言われると……ある意味、その通りかも(苦笑)。来年は、仕事でも精進します。

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スタニスワフ・レム『ソラリス』読了。今までなぜか未読だった、SF小説の不朽の名作。初めのうちは、とんでもなく怖い展開だな、と思っていたのだが、読み進めるうちに、恐怖とか愛情とかでなく、人間の知識や理性、あらゆる概念を超越する理解不能な存在と対峙する物語なのだとわかってきた。今の時代に読んでも、まったく古びていないどころか、さらなる未来を指し示してさえいる。凄い小説だった。

「無職の大卒 ゼネコン対決編」

昨年10月に観た「無職の大卒」の続編「無職の大卒 ゼネコン対決編」が、年末年始のIMW2021で公開されることになった。今回はなんと、カージョルが敵役として登場。これは観ておかねば、である。

前作で、無職の身からアニタ建設へ就職し、スラム街の再開発プロジェクトで一躍名を上げたラグヴァラン。隣の家に住んでいたシャーリニともめでたく結婚するが、専業主婦となったシャーリニの鬼嫁ぶりに、ラグヴァランは尻に敷かれっぱなし。そんな中、ラグヴァランは、大手ゼネコンの女性社長ワスンダラから次第に敵視されるようになり、彼女の度重なる圧力によって、会社を辞め、無職に逆戻りしてしまう……。

前作に比べると、物語の展開が全体的にマイルドで、割と予想の範疇に収まってしまっていたな、という印象。ヒット作の続編特有の難しさではあるが、主人公とその味方である周囲の人々との関係がかなり安定してしまっていたので、スリリングさをやや削がれた印象はあった。カージョルが演じたワスンダラも、そこまで振り切った味付けのキャラクターではなかったし。あと、やっぱりこのシリーズでは、何かしらすごい建物を完成させて、カタルシスを感じさせてほしかったなあ、と。

それにしても、ダヌシュの演技は本当に楽しくて、安心して見ていられる。終盤の長広舌の台詞は、さすがのインパクトだった。もしかして、これ、また続編作るのかな……?

「鼓動を高鳴らせ!」

2021年の映画鑑賞は、元旦にゾーヤー・アクタル監督の「人生は二度とない」を観たのが最初だったのだが、年末になって再び、同監督の別の作品を観る機会に恵まれた。この「鼓動を高鳴らせ!」という作品、俳優陣がとにかく豪華。アニル・カプール、プリヤンカー・チョープラー、ランヴィール・シン、アヌシュカー・シャルマー、ファルハーン・アクタル……。あと、ナレーション役の犬の声で、アーミル・カーンまで(笑)。この錚々たる顔ぶれによる群像劇が、はたしてどうまとまるのか、興味があった。

会社経営者として一代で財を成したカマル・メヘラーは、妻のニーラムとの結婚30周年記念に、親戚や友人を地中海クルーズに招待する。クルーズには、結婚した後にオンライン旅行代理店を起業して成功した娘のアイシャや、カマルの会社の後継者と目されている息子のカビールも参加。表向きは仲睦まじく見えるメヘラー家だが、実は、カマルとニーラムの夫婦仲は冷え切っていて、カマルの会社も経営の危機に。アイシャは自分を認めてくれない夫や姑との折り合いに苦悩し、カビールも自身のビジネスへの適性のなさに、別の人生を模索していた。そんな一家を中心に、クルーズ船では、美しいダンサーのファラーや、アイシャの幼馴染のサニーなども絡んだ複雑な人間関係から、次から次へとハプニングが起こり……。

見事な作品だと思う。ボリウッド・ムービーならではのスラップスティックなファミリー・コメディの側面もあれば、インドの富裕層にさえ(いや、富裕層だからこそか)根強くはびこるミソジニー(女性蔑視)の問題を、特にアイシャに絡めて巧く織り込んでいる側面もある。クルーズ船でトルコ各地を巡るロード・ムービーでもあるので、「人生は二度とない」を彷彿とさせるリリカルな旅の描写も随所に挿入されていて、それがとてもいい(特に、カビールとファラーが、イスタンブールの街を自転車で疾走するシーンが最高!)。

とにかく登場人物がものすごく多いため、それぞれに相応なエンディングを用意して見せるのは無理だったと思うが、いろいろ行き違い、すれ違いはあれど、本質的な悪人は一人もいなかったので、みんな悩み惑いながらも、それぞれの道を歩んでいくのだろうな、と観終えた後に何となく思った。

いやあ、本当に、良い映画だった……。

ちなみにこの映画、劇中歌もなかなか秀逸なのだが、特にすごかったのが「Gallan Goodiyaan」。この大人数で、なんと、一発撮り!