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寄り添う写真

昼、リトスタへ。写真展「Thailand 6 P.M.」に合わせて販売してもらうため、「ラダックの風息[新装版]」と「ラダック ザンスカール スピティ[増補改訂版]」を箱詰めして、家から両手で抱えて搬入。ちょうどランチの時間が始まったので、いわしの南蛮漬け定食とコーヒーをいただいて、本を読みつつ、しばし在廊。

地元の人や、この界隈でお勤めの人らしいお客さんが、30人弱ほどご来店。そこはかとなく耳をそばだてていると、「あら、写真が変わったわね! どこかしら?」「タイだって」「そういえば前にベトナムでさあ……」「誰それさんとカンボジアに行った時はね……」といった会話が、あちこちから聞こえてきた。何だか嬉しかった。今回の写真展は、ごはんを食べながらゆったりした気分で写真を眺めて、それぞれの旅の思い出話とかを楽しんでもらえたらなあ……というイメージで考えた企画だったからだ。

見る者を圧倒するのではなく、何気なく、寄り添うような写真。そういう写真も、あっていいと思う。

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アントニオ・タブッキ著、須賀敦子訳「島とクジラと女をめぐる断片」読了。小さくて悲しくて美しい「断片集」。個人的には「インド夜想曲」よりもこっちの方が好きだ。最後のクジラのひとことが、くっと胸に刺さった。僕もアラスカで、クジラにああ思われていたのかもしれない。

年相応の酒

昨日の夜は、吉祥寺にあるスコティッシュパブで、ひさしぶりにウイスキーを飲んだ。タリスカーと、マッカラン。それぞれロックでシンプルに。タリスカーの、鼻に抜けるスパイシーな香り。そしてマッカランの、舌を包み込むようにまろくて華やかな味。

僕は、肝臓の強さ的には、人並みかそれ以上に酒は飲める方だ。でもウイスキーは、ごくたまに飲むことがあったくらいで、普段はもっぱらビールにしてしまっていた。無駄にイキがってた二十代の頃も、せいぜいバーボンのジャック・ダニエルをロックで飲む程度だった。

ウイスキーに手が出なかったのは、もちろん値段的な理由もあったのだが、どこかで「自分にはまだ早い、似合わない」という意識があったのかな、と今になって思う。まあでも、僕も年齢だけはもうすっかりおっさんだ。バーカウンターでウイスキーをちびちび啜っても、誰も何も言わないだろう。

……いや、それでもまだ、貫禄不足か?(苦笑)

カオニャオ太り

約2週間のラオスの旅で、とにかく毎日最高に楽しめたのは、食事だった。

ラオスのレストランでは、隣国タイの料理とよく似たメニューも結構あるのだが、タイは取材で毎年行ってるし(苦笑)、できるだけラオスらしい料理を食べようと思っていた。すると、しぜんとほぼ毎晩、ラープとカオニャオを選ぶようになった。

ラープというのは、肉や魚を粗みじんにして炒め、香草やライムと和えた料理だ。カオニャオはもち米のこと。食べる時は、カオニャオを適当な大きさで手に取り、ラープと一緒に指で挟み込むようにして口に入れる。これがもう、抜群にうまい。それと一緒に飲むビアラオ・ダークもたまらない。ラープ、カオニャオ、ビアラオ・ダーク。毎晩どころか、毎食この3つの組み合わせでもいいくらいだった。

そんなこんなでラオスの食をエンジョイして、日本に戻ってきてみたら、2キロ近くも太っていた(苦笑)。そりゃそうだ。毎日たらふくもち米を食らって、暑くなった旅の後半はビールもがばがば飲んでたんだから。

さすがにちょっとまずいので、この3日間ほど節制して、ほぼ元の体重まで戻した。でもまあ、幸せな太り方だったなあ。カオニャオ太り(笑)。

シベリアの甘さ

午前中、出版社から書類が届く。3月に出す新しい本の初校ゲラ一式。これからしばらく、この本の編集作業にかかりっきりになるだろう。よりによって確定申告の時期ともろかぶりなのが、非常に頭の痛いところだが。

午後、近所のスーパーへ。数日前に積もった雪が、街のあちこちで凍りついたまま残っている。旅でしばらく留守にしていたので、家にはおかずになりそうなものが何もない。月曜には実家から野菜が届くので、とりあえず晩飯にするための惣菜を買う。あとは、これからデスクワークで疲れるであろう脳に糖分を補給できそうなものを……と物色していて、ふと見つけたのが、シベリア。羊羹をカステラで挟んだ、あの懐かしいお菓子だ。

一時期はすっかり絶滅したかと思われていたこのシベリア、何年か前にジブリの映画に登場したことで息を吹き返して、今もひっそり流通しているらしい。買って帰って、仕事の休憩時間にホットミルクと一緒にいただくと、何とも言えない、朴訥な甘さ。たまにはこういうのもいいなあ、と思った。

積み上げていくために

昨日はひさしぶりに、荻窪の潮州でおいしい中華料理をいただいた。おいしいというか、一品々々が本当に丁寧に、隅々まで気を配って作られていて、しみじみしてしまうほどだった。明日からまた頑張ろう、と勇気が出てくるような。

誰かに喜んでもらったり、感動してもらったりするためには、潮州のあの料理のように、本当にごく当たり前の基本的なことから、一つひとつ、きちんと丁寧に、そしてとことん突き詰めて、それらを積み上げていくしかないんだな、と思う。積み上げていくもののうち、一つでも雑でいいかげんだと、そこから全体が傾いてしまう。何から何まで雑だったら、そもそも積み上げようがない。

本づくりも同じだと思う。文章の一行々々、写真の一枚々々、隅々にまで、気を配らねば。