Tag: Editing

本とブログの間を埋めるもの

最近考えていることを、まとまりのないまま、つらつらと書いてみる。

僕は、文章を書いたり写真を撮ったりして、それで本を作って世に送り出すことを仕事にしている。本以外では、ブログやSNSなどを使ったWeb上での情報発信もしている。僕の場合、本づくりとブログでの情報発信はまったく異質のもので、自分の中でもはっきりと区別している。ブログは、その時々の伝えたい情報や思うことを、わかりやすい形でタイミングよく発信していくためのもの。本は、自分が伝えたいことをきちんと突き詰め、徹底的に作り込んでいって、情報としても、モノとしても、ベストの形に仕上げ、ずっと後々まで残していくためのもの。そもそも、果たすべき役割がまったく違うのだ。

ただ、最近思うのは、この二つ以外の選択肢もあるんじゃないかな? ということ。ブログの気軽さと、本のモノとしてのよさとを併せ持ち、両者の間を埋めるような‥‥。最近、次第に注目されつつあるZINEやリトルプレスなどがそれに当たるのかもしれない。それで儲かるとはまったく思わないけれど、少なくとも赤字にならないような形で、ブログでも本でもない形の情報発信をすることの可能性は、検討する価値がある。実際、著名なフォトグラファーでもそうした取り組みをしている人はいるし。

一冊の本を仕上げるには、テーマによっては膨大な時間と手間がかかる。でも、その途上であっても、ブログ以外のきちんとまとまった形で情報を発信していくことはできる。来年以降の旅にまつわるプロジェクトは、もしかすると、そういう形になるかもしれない。

著者と編集者との関係

午後、六本木へ。「ラダックの風息」の担当編集の方とひさしぶりに会う。

仕事柄、編集者の知人は大勢いるけれど、本当の意味で互いの手の内をすべて晒して、あれこれぶっちゃけて話し合えるような編集者の知人は、たぶん数人しかいない。そういう信頼関係がないと、書き手あるいは撮り手としては、自分が大切にしている企画を委ねられないし、意見をぶつけあって質を高めていくこともできないと思っている。

今日のミーティングはすぐに何かにつながるというものではないのだが、僕が今抱えている悩みや葛藤について本当にざっくばらんに話し合うことができたので、それだけで何だか気持が軽くなった。いつかまた、こういう関係で本を作れたらいいなと思う。

ファクスに思う

近頃、仕事でファクスを使うことが、めっきり減った。

十年ほど前、フリーランスの編集者・ライターとして仕事を始めた頃、ファクスはなくてはならない機材だった。何しろ、毎月数十ページ分の雑誌記事を担当していたから、編集部やDTPスタッフとのゲラのやりとりだけで、えらい枚数を費やしていたのだ。ADF(自動給紙)機能は必須。一枚ずつ手差しなんてやってられない(笑)。

ところが、ラダックでの長期取材を終え、日本で再び編集の仕事をするようになってからは、ほとんどファクスを使わなくなった。書籍の仕事がメインになったからか、ファクスで送るには膨大すぎるゲラは紙に出力したものを宅配便で受け取るようになり、細かいやりとりはPDFやスキャン画像をメールで送受信するようになった。周囲でも、ファクスを仕事で頻繁に使ってるという話はとんと聞かない。時代は変わったなあ。

そんなわけで、ファクス機能付きの複合機はもういらないんじゃないかとは思うのだが、ごくたま〜に、いきなり資料をファクスで送ってくるクライアントもなくはないので、一応、まだ持っておいた方がいいのかもしれない。悩まし。

出版社と本の作り手

昨年暮れから編集作業を担当し、先月下旬に校了した書籍の見本誌が、今朝になって届いた。

通常、印刷所から出版社に見本誌が届いたら、版元の編集者は、著者はもちろん、制作に携わったスタッフや、取材に協力してくれた方々にそれを送付する。関係者に感謝の気持を伝えるという意味もあるが、万一何か問題が残っていたら、発売前に何かしらの手を打って(訂正紙を挟むなどして)対応するための最終チェックの役割も見本誌にはある。

この本の見本誌は、一月末日には出版社に届いていた。しかし版元の編集者は、僕のほか、デザイナーの事務所やDTPスタッフにも見本誌を送るのをうっかり忘れていたのだという。結局、制作スタッフによる見本誌の最終チェックを完全にすっ飛ばす形で、この本は世に出ることになってしまった。

出版社は、見本誌を制作スタッフに送るのは忘れていたのだが、制作とは何の関わりもない、外部のIT企業のお偉いさんや、好意的な書評をブログで書いてくれそうなクリエイターには、すでに積極的に見本誌をばらまいていた。そういう形で本の宣伝に力を入れるのは別に構わない。でも、その一方で、クリスマス連休も毎日休まず出社して作業してくれたデザイナーや、インフルエンザで熱を出しながらも作業してくれたDTPスタッフのことを、そんなに簡単に忘れてしまったのか‥‥と思うと、何だか虚しくなってしまう。

この出版社には、去年も別の編集者からかなりの迷惑を被った。仕事や会社の選り好みはあまりしたくないが、正直、もう自ら進んで関わろうという気にはなれない。残念ながら。

いい本だけど、売れない?

自分自身が作ってきた本も含めて、の話なのだけれど。

同業者と話をしていると、「あれ、いい本だと思うんだけど、売れないんだよねえ」といった話を時々聞く。僕自身、そんなことを口にした経験は何度もある。でも、あらためて考えてみると、それってどうなんだろう? と思わなくもない。「いい本だけど、売れない」のは、読者がそのよさを理解できないからではなく、企画から発売までの段階で、作り手が何かを読み違えたからではないだろうか?

「いい本で、しかも売れる」ための答えがはっきりわかっていれば、誰も何の苦労もしないのだが、もちろんそんなことはなく、結局、売れるかどうかは出してみなければわからない。ただ、ある程度経験のある編集者が関われば、その本の企画なら、全国的におよそどのくらい読者になりうる人がいて、どのくらいの数を刷ればその人たちに届くのか、いくらかは読めるようになる。たとえたいした冊数でなくても、そうして想定した数の読者にしっかりと届くように本を販売できたのであれば、僕はその本は役割を果たしたと思うし、「ちゃんと売れた、いい本」だと思う。ただ、そこからさらに読者が広がるかどうかは、ほんと、神のみぞ知る、だ(苦笑)。

付け加えるなら、個人的に「いい本」の条件だと感じているのは、「耐久力」だと思う。刊行から年月を経れば、細かい掲載情報が古びていくのは当然なのだが、それでも本質的な部分が劣化することのない本は、確かにある。ひっそりと、でも確実に読み継がれていく本。僕も、そういう本を作ることを目指したいと思う。