Tag: Editing

叶えられないこと

午後、目黒での打ち合わせに出かける。天気予報は今日も当たらず、降らないはずの雨が降っている。

今日の打ち合わせは初対面の編集者の方とだったのだが、自分の中でほぼ完全に固まっていると感じていた企画に、別の角度からの可能性を示唆してもらえた。この方向でうまくいくかどうかはわからないし、分の悪い勝負であることに変わりはないが、人と話をすることで初めて見えてくる可能性があるということを、あらためて感じた。

ありったけの熱意と努力を注ぎ込んでも、叶えられないことは世の中にたくさんある。けれど、熱意と努力を注ぎ込むことをしなければ、絶対に何一つ叶えられない。きついけど、やるしかない、と思う。

いつのまにか

朝からたくさんのメールが着信。今週金曜に渋谷で開催するトークイベント関係の連絡や、まったく新規のクライアントからの仕事の打診とか。それに返事を書いたり、必要な修正作業をしたり、資料を用意したり、という感じで、慌ただしく時が過ぎていった。

文字通り死ぬほど忙しかった四月頃に比べて、先月と今月は正直、仕事はかなりヒマ。本当はこの時期に新企画の本の準備作業をやっておきたかったので空け気味にしておいたのだが、版元での検討作業がさっぱり進んでくれないので、待ちぼうけを食らってしまった。残念。

そうは言っても、このまま遊び続けているほどいいご身分でもない。この夏と秋には、それぞれ別の場所で一カ月ほどの取材を行うし、秋以降に作業を始めたい別の本の企画もある。他にも新しいクライアントの案件とか、まあ、いろいろ。たぶん、いつのまにか、気がついたらすっかり忙しくなってるのだろう。

その前に、目前に迫った大事なタスクをしっかりやり遂げねば、だな。

とてつもなく

「いい本」を作っても売れない、という話をよく聞く。

今の時代、「そこそこいい本」くらいでは、全然勝負にならないのだろう。「まあまあいい本」でも、たぶん厳しい。「かなりいい本」でも、報われるとはかぎらない。

でも、そこから完全に突き抜けた、「とてつもなくいい本」を作れたとしたら?

そんな簡単にはいかない、と突き放すのはたやすい。自分が持って生まれた才能の限界もわかっている。でも、自分は本当に、その限界のそのまた限界まで、全力を絞り尽くしているだろうか?

すべてを注ぎ込めば、作れるのかもしれない。とてつもなく、いい本を。もし、そんな本を作れたとしたら、その売れ行きなど、小さなことでしかないだろうけど。

仕事のスピード

自分のような職業に限ったことではないけれど、仕事において、スピードというのはすごく大切な要素だと思う。

僕の場合、原稿を書く速度が人より格段に速いわけではないし、編集や校正の作業速度にしても人並みかそれ以下だ。そういう作業をむやみにスピードアップすれば、肝心の精度が落ちてしまう。僕は作業そのもののスピードではなく、それをどのタイミングで開始し、どういう段取りで進めれば集中して取り組めて、その上で余裕を持ってフィニッシュできるかを考えている。

電話やメールなどの連絡業務も、スピードが大切だと思う。メールはなるべく即レスするように心がけているし、メールだけのやりとりだと余計な時間がかかりそうな時はすぐ電話を入れる。あと、日々の雑務‥‥請求書を作成したり、スケジュールを整理したりといった作業は、手を付けられる時にかたっぱしからやっつけておく。そうすれば、大事な作業に使える時間が増える。

ただ、自分一人がそれなりにテキパキ動いても、取引先の事情で作業が遅れることはよくある。やむを得ない事情があるなら仕方ないが、単に相手のルーズな対応が原因だった時には、正直いらっとくる時もある(苦笑)。大事なのだ、スピードは。よりよい本を作るためには。

編集者がつける道筋

一口に編集者といっても、いろんなタイプの人がいる。たとえば書籍の編集者なら、著者の企画や原稿をそのまま活かす形で仕上げる人もいれば、著者と侃々諤々やりあって書き直しを重ねながら仕上げていく人もいる。

僕の場合、自分が著者の立場の時に、書き上げた原稿の内容自体に編集者からダメ出しされたことはほとんどない。何でかなと思い返してみると、それはたぶん、「ダメ出しされての書き直し」という無駄な手戻りが起きないように、編集者が各段階に至るまでの道筋をわかりやすく示してくれていたからだと思う。

「どういう本にするか」という完成形のイメージを決め、全体の構成案を丁寧に詰めていって、試し書きをして文体やトーンを調整しながら、少しずつ書き上げていく。その各段階で編集者に細かく確認をしてもらって、イメージを共有するのが、無駄な手戻りを防ぐためには大切だと思う。もちろん、草稿が書き上がってからも、第二稿、第三稿と書き直しをしていく場合もあるが、それは「ダメ出しされての書き直し」ではなく、明らかに目的があって、さらに精度を上げていくための書き直しだ(込み入った表現をわかりやすくする、など)。無駄な手戻りをくりかえしていては、そういう精度の向上を検討する余裕もなくしてしまう。

著者と侃々諤々やりあうタイプの編集者を否定するつもりはないが、個人的には、そういう風になってしまうのは、著者と編集者の間で完成形のイメージをうまく共有できていないからではないか、と思う。著者が完成形のイメージに近づくための作業をスムーズに進められる道筋をつけてあげるのが、僕が理想とする編集者の役割。自分自身が編集者の立場の場合も、そうありたいと思う。‥‥まあ、それでもいろんな事情が絡んでくるので、なかなか一筋縄ではいかないのだけれど(苦笑)。