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足跡のない荒野

一昨日、昨日と、僕が仕事でいかにほかの人と競い合わないようにしてるかということについて書いたが、じゃあそれで毎日ラクに過ごせてるのかというと、まったくそんなことはない。むしろ、足跡のない荒野を突っ切ろうとしてる時点で、人よりしんどい思いをしてるのではないかと思う。

一冊の本に自分の思いの丈を込めて作り上げるという作業は、本当に、ものすごい量のエネルギーを消費する。そもそも本を出せるような状況に持っていくには、それだけで何カ月も、場合によっては一年以上もかけて、時に理不尽なことにも耐えながら粘り強く交渉し続けなければならない。いろんなものごととの戦いで、ほんと、ヨレヨレのボロボロになる。今も割とそういう状態に近い(苦笑)。

こんなにつらいなら、やめてしまえばいいじゃないか、と思う時もある。もっとラクな立ち位置に逃げてしまえばいいじゃないかと。でも、やっぱり、ここから逃げるのは、自分の心に背くことなのだ。心の底から作りたいと思える本を作ることのできる可能性があるのなら、それがゼロにならないかぎり、みっともなくてももがき続けるのが、自分の選んだ道なのだと思う。

だからこれからも、誰もいない、足跡のない荒野を歩く。

100人中、何人?

僕は基本的にアマノジャクなので、世の中で100人中100人が「いい!」と言ってるものには、怪しんで近寄ろうとしないところがある。百万部のベストセラーの本とか、大ヒット街道爆進中の映画とか、ヘビロテされまくりの歌とか、長い行列のできるパンケーキ屋とか。それは感覚的にひねくれてるところがあるからだろうな、と自覚している。

文章なり写真なりで本を作る側の立場からすると、ビジネスの視点だけで考えれば、100人中100人が「いい!」と喜んで買ってくれるような本づくりを目指すべきなのかもしれない。でも、そうしたアプローチはほぼ間違いなく、うまくいかない。何を伝えたいのかがぼやけて、結局、面白くも何ともないものになってしまう。少なくとも、ひねくれ者の僕は、そういう本を面白いとは思わない。

少なくとも本づくりに関しては、作り手自身が面白いと思えるものをぶれずに目指すのが一番いいと思う。それが、100人中1人にしか届かなかったとしても、その1人の心をほんの少しでも動かすことができたなら、その本には、この世界に存在すべき価値がある。

丑三つ時の妄想

新しいアイデアというのは、ふとしたはずみで出てくるものだが、僕の場合、どうもそのタイミングが丑三つ時に集中している。

そろそろ寝るかとパソコンを閉じ、歯を磨いて、布団をめくって中に潜り込み、スヤァ‥‥となりかけたとたん、文字通り、ぽん、と音を立てるようにしてアイデアが浮かんでくるのだ。それは、本や雑誌記事のテーマだったり、タイトルやキャッチコピーの具体的な文言だったり、その時々によっていろいろなのだが。

薄れゆく意識の中で浮かんできたこのアイデア、翌朝もまあ覚えてるだろうとそのまま寝入ってしまうと、僕はまず間違いなく忘れてしまう(苦笑)。なので、睡魔に抗うようにしてむくりと起き上がり、暗闇の中を居間のデスクまで歩いていって、ブロックメモにそのアイデアを殴り書き。それで安心して寝床に戻る。

で、翌朝、あらためてそのメモを見返してみると、なんでこんなのが珠玉のアイデアに思えたんだろう、という場合がほとんど(苦笑)。でも、昨日の丑三つ時に思いついたアイデアは、今朝になって見返しても、そんなに悪くない。うまく形にできるといいな。こんな風にして僕は本を作っている。

がむしゃらに

この間、とある会社から、まったく予想もしてなかったような打診を受けた。最終的にそれが仕事という形になるかどうかはわからない、というか、そうなる確率はけっして高くないのだが、少なくとも、そういう打診をもらえたこと自体、僕にとっては一種の励みになるものだった。

で、それをきっかけに、あらためて思ったのだが‥‥やっぱり、もっと撮らないと、もっと書かないと、ダメだなと。去年の秋にアラスカに行った時、自分の中で何となくリスタートを切れたような気もしていたのだが、それにしては、今はまだ、写真も、文章も、全然足りてない。もっといろんな土地にばんばん出かけていって、目に映るもの、聞こえてくるもの、心に刺さるもの、かたっぱしから撮って、書いて‥‥それを形にできるかどうかは、場合によっては後回しでも構わない。

いい意味で、もっと後先考えず、がむしゃらに。今だからできること、今しかできないことを。

モチベーションを上げる方法

今日、仕事で書いていた原稿の中に出てきた話題なのだけれど。

仕事や勉強に対するやる気、モチベーションを上げるには、二つの要因があるのだという。一つは、お金や名誉、社会的地位といった外発的報酬。もう一つは、やりがいや楽しさ、達成感といった内発的報酬。興味深いのは、外発的報酬に必要以上に依存するようになると、かえってモチベーションが下がってしまうという研究結果があるのだ。

つまり、ギャラはいいけど内容はつまらないと感じている仕事とか、世間的にはすごいと思われてるけど自分では納得できない仕事は、「ギャラがいいから」「世間的に注目されてるから」というだけではモチベーションが維持できなくなるのだ。お金がそれなりにもらえるルーティン・ワークは、日々の生活を維持するのに大事ではあるけれど、それだけではいずれモチベーションが底をついてしまう。

そこで、日々のルーティン・ワークを守りながらも、自分にとってチャレンジングな、でも面白くてやりがいのある仕事(ギャラは二の次)をうまく混ぜていくと、全体的なモチベーションを維持しやすいのだという。なるほどな、と思った。言われてみれば、自分も無意識のうちに、ハードルの高い仕事(企画から全部手がける書籍とか)とそれ以外の仕事を組み合わせて、自分の中でバランスを取っていた気がする。

そういえばこの間、クライアントの担当さんから「他のライターさんが、ギャラが安いからか取材や原稿も手抜き気味な感じで‥‥」と愚痴をこぼされたのだが、ギャラが安いからといって手を抜くのは論外。でも、だからってギャラが安すぎてもいいわけがない。実際安すぎるし(苦笑)。

やりがいはものすごく大事だけど、お金もそれなりに大事だよ、というシンプルな結論であった。