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気は抜けない

夕方、赤羽橋へ。来月発売される予定の本の色校のチェックと打ち合わせ。

何だかんだで、ほぼすべての写真の色味を調整し直すことになり、デザイナーさんと相談しながら、120ページ分の写真の一枚々々に修正指示を加えていく。印刷所にとってはまた面倒な作業になると思うが、ここで妥協したら元も子もない。明日の色校の引き渡しにも立ち会って、僕からも要望を印刷所に直接伝えることにした。

最後の最後まで、何一つ、気を抜けない。それが本づくりの大変さであり、醍醐味でもある。

本を作る時間

来月下旬に出す予定の本の制作が、どうにか印刷所に入稿できる段階にまでこぎ着けた。あとは色校の段階で慎重にチェックすれば、ほぼ問題なく完成させることができるだろう。

肩の荷が一つ下りて、かなりほっとした気分になっているけど、正直、ちょっとさみしくもある。

自分自身の本を作る時間は、なんだかんだで、楽しいのだ。スケジュールに追われて気は焦っていらいらするし、目は疲れるし、肩は凝るし、寝不足にもなるし、しんどいことだらけなんだけど、でも楽しい。人それぞれに天職と呼べる仕事があるのなら、僕にとっては本づくりがそうなのだと思う。

しんどくも楽しい時間が過ぎていく。そして一冊の本ができあがり、誰かのもとへと旅立っていく。

編集者が守るべきもの

編集者、特にフリーランスの人が、何よりも守らなければならないのは、他のスタッフの立場なんじゃないかな、と思う。

ずっと以前、ある出版社から本の編集の実作業の仕事を請け負った。著者とのやりとりは出版社側の編集者が仕切っていたのだが、うまくスケジュール管理できていなかったようで、原稿が揃うのが大幅に遅れた。すると出版社側はその遅れを、全部こちらの編集とDTP作業のスケジュールを切り詰めることで埋め合わせようとした。折しも年の瀬で、それに従うと、クリスマスも年末年始もまったく休めないというスケジュールになる。僕はともかく、他のスタッフにそんな理不尽なことを無理強いするわけにはいかない。僕はその指示を拒否して、関係者が多少なりとも休めるように交渉し、それを通した。

プロならクライアントの利益を守るのを最優先すべきなのでは、という意見もあると思う。でもそれは、関係者に「それならひと肌ぬぎましょう」と意気に感じて言ってもらえるようなちゃんとした理由があればのことだ。明らかに理不尽な理由で他のスタッフにスケジュールや作業負担やギャラのしわよせが及びそうな時、彼らを守れる立場にいるのは、間に立っている編集者しかいないし、それでも無理な場合にはスタッフに対して「本当にすみません!」と必死で頭を下げるのも編集者しかいない。

そんなことを考えながらやっているので、僕は今までに少なくとも1社、クライアントを失っているが、そんな取引先とはどのみち長くは続かないし、いい仕事もできないので、まったく、1ミリも気にしていない。その会社自体、なくなっちゃったし。世の中そんなものである。

比較対象外

今の自分の仕事に関して、別の誰かの仕事と比較された経験が、ほとんどない。

そもそも、編集とライティングに写真まで、三足もの草鞋を履く人は今でも稀だ。その上、一番の専門分野がインドの山奥。比べようにも対象となるような仕事の仕方をしてる人が誰もいない、というのが実際のところだ。

文章も写真も編集力も、どれも取り立てて人より秀でてるわけではない。せいぜい並の能力だと自覚している。でも、争う相手が誰もいない場所で、並の能力をあれこれやりくりしていけば、僕みたいなのでも、どうにかこうにか生き残っていける。狙ってこうなったわけではないけれど、結果的に選ぶべくして選んだ道だったのかなと思う。

誰かと無理に争わなくても、自分自身との戦いにさえ勝てば、やっていける場所はいくらでもある。

「プロ意識」の基準

「プロ意識」という言葉には、職人や専門職の人たちが持つその分野ならではの考えという意味合いがあるが、最近では比較的一般的な職業の人たちでも、担当領域で持つべき意識という感じで使われている印象がある。僕自身は、もともと編集者でありライターであり、最近は写真もやっているが、いずれもプロ意識なるものを持ってなければ食べていくこともままならない立場なので、自分なりに意識してきた基準めいたものはある。

それは、自分自身の担当領域に対する「責任」と、他人の担当領域に対する「敬意」、そして何か判断を下さなければならない時の「論理性」だ。

自分の担当領域への「責任」というのは、当たり前すぎるように思えるかもしれないけど、それがどのような結果をもたらすかを見通した上で責任を持てるような取り組みをするには、結構な覚悟がいる。結果というのは必ずしも経済的な数字だけとは限らないので、なおさらだ。

同時に、他人の担当領域に対して「敬意」を持つことも大事だと思う。これは他に問題があってもナアナアの馴れ合いでスルーしていいということではない。きちんと敬意を持って接し、互いに理解に努めた上で、問題があればフォローし合う関係を築けなければ、まともなチームワークは期待できないからだ。

その上で、仕事を進めていく上で何らかの判断を下さなければならない時は、好きとか嫌いとか他人との関係とか、そういうものには左右されず、「論理性」を持つ根拠に基づいて判断できるようでなければならない、と思う。

まあでも、仕事の種類にもよるけれど、関わる人が増えれば増えるほど、理想通りに仕事に取り組むのは難しくなっていくんだよな……。かといって、そこで「プロ意識」を譲って妥協してしまうのは、絶対にしてはいけないことだとも思う。たとえ立場的にやせ我慢だとしても、どれだけ矜持を保っていられるのかは、プロであるか否かの基準だ。