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『流離人のノート』

『流離人のノート』
文・写真:山本高樹
価格:本体2200円+税
発行:金子書房
四六変形判 304ページ(カラー54ページ)
ISBN 978-4-7608-2700-8
配本:2025年10月16日

2023年夏から金子書房のnoteで2年弱ほど担当した連載エッセイが、書籍化されることになりました。連載分のほか、単発で執筆したエッセイと書き下ろしを加えています。収録している写真の約3分の1は、20年以上前にフィルムカメラで撮影したもので、カバーの写真もそのうちの1枚です。

これまでに書いてきた本の中でも、自分にとっての「旅」という行為に、もっとも真正面から向き合った一冊になっていると思います。ポルべニールブックストアでは、特典小冊子付きサイン本のオンライン予約を受付中です。よかったらぜひ。

一冊去って、また一冊

去年から作り続けていた『雪豹の大地 スピティ、冬に生きる』が、今週、無事に校了。『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』と同じ制作チームだったこともあって、編集作業自体はかつてないほどスムーズだったが、想定外のミスを見落としてしまいそうになった場面もあるにはあったので、うまく切り抜けられて、ほっとした。また一冊、愉しい本づくりの時間が終わってしまったのは、少し寂しくもあるけれど。

そんな余韻に浸る間もなく、秋頃に出す次の本の編集作業が、すでに始まっている。時間の猶予は、あまりない。来週明けには、ある程度の素材を揃えて提出せねば……。一冊去って、また一冊。

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ニコラス・シェイクスピア『ブルース・チャトウィン』読了。今年に入って、『4321』の次に就寝前の読書時間に少しずつ読んでいた、888ページの鈍器本。早逝によって半ば伝説と化している紀行作家チャトウィンの生涯が、膨大な量の証言と資料を基に克明に綴られている。美化もせず、貶めもせず、徹底して客観的な視点でチャトウィンの実像を詳らかにしていく、その一切の妥協のなさは、チャトウィン本人が少々気の毒に思えるほどだ。僕が死んだ後、伝記だけは勘弁してほしいと思った(苦笑)。とはいえ、この伝記を読んだ後に、あらためて『パタゴニア』『ソングライン』を読むと、また違った発見や面白さを感じられそうな気がする。

時間差同時進行

なんだかんだで、せわしない日々が続いている。

今春に刊行される予定の新刊その1は、初校を戻し終え、来週からは外部の校正者さんを交えての再校のチェック作業が始まる。印刷所に入稿するまでに、印刷で使う写真のデータや色見本も準備しなければならない。発売に合わせてのイベントや展示、フェア、ノベルティなどの準備もある。

新刊その1の作業が小康状態の隙間時間は、今秋に刊行される予定の新刊その2の作業。原稿はほぼ仕上がっていて、全体を通してのリライト作業に移っているが、推敲にはもう少し時間をかけたい。こちらも台割の策定や写真の準備(データだけでなく紙焼きも印刷原稿に使う)など、いろいろやらねばならないことがある。でも、残された時間はそれほどない……。

その他にも、今夏のラダックツアーの準備や、企業案件や大学案件の書き仕事などが入ってきていて、いろんなものが時間差で同時進行している状態。スケジュールやTO DOをうまく管理しないと、うっかり何かを忘れてしまいそうな気がする。用心せねば……。

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ポール・オースター『4321』読了。毎晩、寝る前に少しずつ読み進めて、途中二度ほどフヅクエでも集中して読んだけれど、800ページ、88万字もあるこの大作、じっくり読んでいくと、やはり時間がかかった……。

ささやかな偶然の連鎖によって枝分かれしていく、アーチボルト・ファーガソンの四つの人生。どれもありえたかもしれないそれらの人生は、濃密な筆致で描き出される1960年代のアメリカ社会を舞台に、滔々と語られてゆく。この本の主人公は、四つのバージョンのファーガソンであると同時に、今も数多くの宿痾を抱えるアメリカという国の現実そのものでもあったのかなと思う。

抜かりなく、前へ

先週の月曜と、今週の月曜は、来年出す本についての打ち合わせがあった。それぞれ別の出版社から出す、別の本の。

そう、来年は、前半に一冊、後半にもう一冊、合計二冊の新刊を出す。前半の本は、今まさに原稿の推敲作業中で、年明けから春頃までかけて編集作業をして、連休前くらいには世に出す。後半に出す本は、すでにある程度は書けているのだが、これから一冊目の本の作業の合間に、足りない分を書き足して、六月頃から編集作業に入り、秋頃に出す。つまり2025年は、ほとんど息つく暇もなく、ひたすら本を作り続ける年になる。

きっと、いろんな苦労やつまずきがあって、大変な思いもするんだろうけど、それでも、自分が一番好きな仕事である本づくりに、首元までどっぷり浸れるのは、嬉しいし、楽しみでもある。順調に進められているからといって油断していると、思わぬポカミスをやらかして一生後悔するようなことになりかねないので、抜かりなく、一歩ずつ、前へ進んでいこうと思う。

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劉慈欣『三体』『三体II 黒暗森林(上)(下)』『三体III 死神永生(上)(下)』、文庫本ですべて読了。いやあ、途方もない……本当に途方もないスケールまで拡がっていく物語だった。最新の物理学や宇宙理論に関する豊富な知識と、奇想天外にも思える奔放なアイデアによって、壮大でありながら恐ろしく緻密な物語が組み上げられている。最初の巻に出てくる三体ゲームのくだりを読んでいても感じたが、この三部作自体、僕も昔やったことのあるシムシティやシムアースなどのシミュレーションゲームのように、人間世界と三体世界の歴史を鳥の目線でシミュレートした物語に思えた。都市や地球どころか、太陽系、銀河系、宇宙、次元、時間までも、最終的に織り込まれていくシミュレーション。誰かの思いも、命も、瞬く間に弾けて消え失せてしまう、儚さと虚しさ。それもまた、この世に生きとし生けるものの定めか。

出航

五月に入ってから、ほぼずっと、一人で家に籠って、新しい本の制作に集中していた。

土曜までに各章のプロットをまとめられたので、昨日の日曜から、序章の執筆に着手。3000字ちょっとの短いパートだが、ゆっくり、慎重に書き進めていって、昨日のうちに書き上げることができた。今日はその部分の原稿を読み返しての推敲作業。

長篇の紀行文に取り組むのは『冬の旅 ザンスカール、最果ての谷へ』以来で、実際に書きはじめてみると、長い旅が始まった時の高揚感に似た気分を感じる。生まれて初めての海外一人旅の初日、神戸港から出航した船の舷側で、航跡の向こうに遠ざかっていく陸地を見ていた時のような気持ち。

あの時の船旅と違うのは、今の自分が乗っている船は、自力でオールで漕ぎ続けないと、どこにも辿り着けないということだ。あと一年、難破しないように、頑張ります。