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中村文・たかしまてつを「あすナロにっき」

‥‥とにかくかわいい。問答無用にかわいい。萌え死にしそうなほどかわいい。いやほんと、恐るべき破壊力だ‥‥(笑)。

あすナロにっき」は、イラストレーターのたかしまてつをさんと、元編集者で今はフリーでDTPの仕事をしている中村文さんが飼っているナロという子猫の物語。一年ほど前、まだほんの小さな頃に知り合いが拾った子猫を、二人がひとめぼれして引き取ったのだ。家と塀の狭い隙間で拾われたので、「ナロー(narrow)」→「ナロ」という名前にしたのだという。二人はナロを飼いはじめた頃から写真やイラストをふんだんに使ったブログを更新していたのだけれど、このたび、それがめでたく一冊の本にまとめられることになった。

僕と中村さんは、昔、九段下にあった出版社の同じフロアで働いていて、以来ずっと仲良くさせていただいているのだが、去年の今頃、二人の家に遊びに行って、ちょうどこの「あすナロにっき」の頃のナロと遊ばせてもらったことがある(自慢)。両手のひらの中にすっぽり収まってしまうほどちっちゃなナロが、膝の上でくるっと身体を丸めていた時のほんわりしたぬくもりは、今でもよく憶えている。こ、この冷酷非情な男の心を溶かすとは‥‥。

この「あすナロにっき」、どのページをめくっても萌え死に要素テンコ盛りで、僕はもうすっかり全面降伏なわけだが(笑)、個人的に気に入っているのは、たかしまさんが左手でナロを抱きながら絵を描いている写真かな。あと、「後ろ足強化」の写真の踏ん張った両足にはツボった‥‥。あすナロまんがでは、断然「ニャバター」(笑)。

山野井泰史「垂直の記憶 岩と雪の7章」

山野井泰史の名前を初めて知ったのは、五年ほど前に、沢木耕太郎の「」を読んだ時だった。ヒマラヤの高峰ギャチュン・カンからの奇跡的な生還を描いたその本に、当時そうした高山の登山経験がまったくなかった僕は、あっけにとられたというか、ただただ圧倒されてしまった。それから数年後、冬のチャダルを旅した時に、山野井さんが挑み続ける岩と雪と氷の世界を、僕自身も入口からほんの少しだけ覗き込むことになったのだが‥‥。

その山野井さん自身が書いた「垂直の記憶 岩と雪の7章」が、最近になってヤマケイ文庫で文庫化されたというので、いい機会だと思って読むことにした。

日本が誇る世界屈指のクライマー、山野井泰史。少年時代からクライミングの魅力に取り憑かれ、ヨセミテやパタゴニアなどで数々のクライミングに挑んだ後、ヒマラヤやカラコルムの高山へ。チョ・オユー南西壁、クスム・カングル東壁、K2南南東リブなど、いくつもの難峰の登頂に成功。大人数で大量の装備を運び上げ、前進キャンプを設営しながら登頂を目指す「極地法」ではなく、単独または少人数で、酸素ボンベも使わず、最小限の装備でベースキャンプから一気に山頂を目指す「アルパイン・スタイル」でのクライミングを信条としている。七大陸最高峰制覇や八千メートル峰十四座制覇といったピーク・ハンティングには一切興味を示さず、ある意味、それよりもさらに困難な、しかし“美しい”ルートでのクライミングに、彼はずっと挑んできた。

文学賞

俳優の水嶋ヒロが書いた小説が、ポプラ社小説大賞を受賞したという。このニュースでちょっと驚いたのは、賞金が二千万円という浮世離れした文学賞が、日本に存在していたということだ。

二千万円といえば、単行本を十万部かそこら売らないと回収できない金額だと思うが、それを新人作家育成のためにポンと払ってしまうとは、太っ腹な出版社だな‥‥と思っていたら、大賞を受賞したのは、第一回と今回だけ。水嶋ヒロは今回の賞金を辞退したそうだし、来年から賞金は十分の一の二百万円になるという(それでも芥川賞や直木賞の倍の金額だが)。あれこれ憶測が飛び交うのも無理はないけど、まあ、ポプラ社はポプラ社でいろいろ大変なのだろう。

個人的には、文学賞でハクをつけてデビューなんてことはせずに、普通に幻冬舎あたりに持ち込んで本を出してしまった方がよかったんじゃないかと思う。誰が書いた作品であろうと、結局、それに対する本当の評価を下すのは読者なのだし、たとえそこそこの部数しか売れなかったとしても、読んだ人の心にしっかりと残る作品であれば、それはそれで価値のあることだから。

そういう自分も、遠い昔、ノンフィクションの文学賞に応募したことがあったなあ。あの頃は‥‥本っっ当にヘタクソだった(苦笑)。どうにかしていっぱしの物書きになりたくて、でも何のチャンスも見つけられなくて、藁をもすがる思いで、あがいていたっけ。

新しいパダワン

夜、ひさびさに晩酌をしにリトスタへ行く。お店には、昨日から新しいパダワン、つまり見習いスタッフの女の子が加わっていた。緊張した面持ちながらも、一つひとつの仕事——コップをそっと机に置いたり、おしぼりが入っていた袋を回収したり、といったことを慎重にこなしていた。

ミヤザキ店長によると、彼女は「リトルスターレストランのつくりかた。」を読んで、このお店で働こうと思い立って上京してきたのだという。まだリトスタ以外の仕事も決まっていなければ、住む場所すら探している最中というくらいだから、相当な肝の据わりようというか、覚悟というか。そもそも、本を読んで興味を持ったからといって、それでスタッフとして採用されるとは限らないわけだし。

もちろん、彼女が上京してリトスタで働こうと決めたのには、ほかにいくつもの理由があるのだろう。でも、自分が書いた本が他の人の人生に入り込んで、その人の背中をポンと押しているのかと思うと、何だか不思議な気分だ。と同時に、身の引き締まる思いもする。本作りの仕事では、けっして手を抜いたりできないな、と。

新しいパダワンリトスタになじんでいけるかどうかはまだわからないけれど、あのお店で働く日々は、きっと彼女にとってかけがえのない経験になると思う。少なくとも、時給250万円でドミノ・ピザで働くよりは。

ポール・オースター「オラクル・ナイト」

長編小説の醍醐味は、物語のめくるめく奔流に身を任せ、時を忘れて読み耽ることにあると思う。僕がこれまでに読んだポール・オースターの小説——「ガラスの街」をはじめとするニューヨーク三部作や「リヴァイアサン」「ミスター・ヴァーティゴ」「幻影の書」といった作品群は、僕を心ゆくまで耽溺させてくれた。ところが、先日発売された「オラクル・ナイト」は、それらとはちょっと趣向の違う作品だった。

主人公シドニー・オアの職業は、やっぱりというか、またしてもというか、作家だ。彼が奇妙な文具店で見つけた青いノートに文章を書きはじめることで、いくつもの物語が動き出す。シドニーと妻のグレースと友人のジョン・トラウズとをめぐる物語。青いノートに綴られた、それまでの人生を捨てて行方をくらました男と、電話帳の図書館をめぐる物語。その物語の中で主人公に渡される、ある作家が遺した小説「オラクル・ナイト」。タイムトラベルをテーマにしてシドニーが書いた映画の脚本。ジョンが若い頃に書いた短篇「骨の帝国」——。こうした「物語の中の物語」を組み込むのはオースターが得意とするところだが、この本ではそれがさらに多層化していて、途中に注釈の形で何度も挿入される補足エピソードとあいまって、複雑な入れ子構造になっている。

そしてこれらのエピソードの大半は、意図的に結末を迎えることなく途切れてしまう。文具店の店主M・R・チャンの正体も、ポルトガル製の青いノートの謎も、答えを与えられない。シドニーとグレースを襲った一連の悲劇から現在へ至るまでの道程すら、途中でふっつりと途絶えてしまう。言葉は過去の出来事を記録するだけでなく、未来の出来事を引き起こす力も持っている。オースターはそのことを伝えたいがために、このように手の込んだ構成を選んだのかもしれない。それでいて全体が破綻することなくまとめあげられているのは、彼の技量があればこそだろう。

だが、正直に言うと、ちょっと読みづらかった。流れに引き込まれかけたところで、長い注釈でばっさりと寸断されたり、エピソードが途切れてしまったりするので、いいところで足元の梯子をポンと外されてしまうような違和感をたびたび味わうことになった。読者をグイグイ引き込む物語性という点では、この作品は弱いと思う。あと、シドニーとグレースとジョンをめぐるエピソードが、かなり序盤の段階から結末が透けて見えてしまっていて、終盤の展開が予想の範囲内だったことも、拍子抜けした要因かもしれない。そういったことも含めてオースターの計算のうちだったとすれば、それはそれでたいしたものだが。

次に邦訳される作品は、心ゆくまで物語に耽溺できるような、長編小説ならではの醍醐味を味わえるものだったらいいな、と思う。