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自分の原点

夕方、渋谷へ。映画美学校で開催される「マイキー&ニッキー」という映画の試写会イベントに行く。まさか、2011年になって、ジョン・カサヴェテスの姿を日本の映画館のスクリーンでまた観ることができるとは‥‥。今日は彼の命日でもある。

上映前には、映画プロデューサーの松田広子さんによるトークショーが行われた。松田さんは当時、雑誌「Switch」の編集者として、当時日本ではほとんど知られていなかったカサヴェテス(59歳の若さでこの世を去ったばかりだった)を丸々一冊取り上げた特集号を編纂した方だ。トーク中は、松田さんが米国でピーター・フォークやサム・ショウ、ベン・ギャザラ、そしてジーナ・ローランズを取材で訪ねた時に撮影されていたビデオが上映された。それを観ていると、懐かしさとともに、いつのまにか忘れかけていた熱い気持がこみ上げてきた。

今から二十年近く前、僕は松田さんたちが在籍していた「Switch」の編集部で、使い走りのアルバイトをしていたことがある。まだ右も左もわからない青二才だった僕が、初めて本気で本作りの仕事を目指そうと決意したのは、このカサヴェテス特集号をはじめとする数々の素晴らしい記事を作り出した、松田さんたちの仕事ぶりを目の当たりにしたからだった。真のプロフェッショナルの仕事とは、ありったけの情熱と愛情を注ぎ込むものなのだということを、僕はそこで学んだ。今も手元にあるこの一冊は、僕にとっての原点であり、目標であり、ある意味で未だ越えられない壁なのだと思う。我ながら、最初からずいぶん高いハードルを設定してしまったものだ(笑)。

イベントが終わった後、たぶん十数年ぶりに松田さんにお会いして、ご挨拶をした。‥‥めっちゃ緊張した(苦笑)。松田さんは二年前に僕が勝手にお送りしたラダックの本のことを憶えてくださっていて、素直に嬉しかった。会場から外に出ても、熱い気持はまだ引かなくて、身体がカッカと火照っていた。渋谷駅まで、ダーッと一気に走っていきたいくらいだった。

今まで自分がやってきたことは、間違っていなかった。でも、やるべきこと、目指すべきものは、まだ遥か先にある。

Aside

一カ月前に登録していたAmazon.co.jpの著者ページが、ようやく正式に承認された。僕の簡単なプロフィールと主な著作の一覧が表示されるページだ。

この著者ページは、情報の登録後、Amazon側が出版社に問い合わせて本物の著者かどうかを確認してから、正式に承認される。通常は一週間くらいで承認されるらしいが、今回やたらと時間がかかったのは、Amazon側からの問い合わせが出版社にちゃんと届いていなかったためらしい。双方に確認して、ようやく承認に漕ぎ着けた次第。

まあ、あればあったで、もしかすると役に立つかもしれないページなので、とりあえず。

上阪徹「書いて生きていく プロ文章論」

このブログでも何度か書いたが、僕は最近、ある地方自治体から依頼された、文章術の講師のような仕事を担当している。その地方自治体のプログラムに参加している一般の方々が地元のNPOや市民団体を取材して書いたレポートを添削し、どこをどう直せばよりよい文章になるか、ミーティングの場で相談に乗るというものだ。

文章の書き方なんて、誰かに教わったこともなければ、教えたこともない。依頼を引き受けた時は、正直どうしたものやらと途方に暮れていたのだが、ミーティングで自分なりの取材の仕方、文章の書き方について話をすると、参加者の方々は「へぇ〜」「ほぉ〜」といった感じで、かなり興味を示してくれた。自分では日頃からごく当たり前にやっていることなのだが、ライターがどんな風に仕事をしているのかということは、世間ではあまり知られていないようだ。

そんな経験もあって、これを機に自分自身の仕事を振り返ってみようと思って手にしたのが、この「書いて生きていく プロ文章論」という本だった。

この本は「文章論」と銘打たれてはいるが、著者の上阪徹さんが冒頭で言及しているように、文章の「技術論」ではなく、「文章を書く上での心得」について書かれている。上阪さんは、経営や金融、ベンチャーなどの分野で活躍されている辣腕のライターで、知名度や実績では僕は足元にも及ばないが(笑)、ほぼ同年代で、同じようにインタビューの仕事を中心に手がけてきたこともあって、共感できる「心得」もずいぶん多かった。読者をしっかりとイメージすること、何を伝えたいのかを突き詰めていくこと、文章術と同じかそれ以上にインタビュー術が重要だということ‥‥。僕にとっては、新たな「発見」というより、自分の仕事の仕方を「再確認」させてもらった一冊。自分に足りない部分があるとすれば、それはこうした「心得」の一つひとつを、ちゃんと徹底しきれていない時があることだろう。同業者の方々も、読み進めていくうちに「うっ!」と思わされるくだりが少なからずあるのではないだろうか。

この本のあとがきで上阪さんは「考えてみれば、本書は〝自分の考え〟を〝自分の言葉〟で構成した初めての本です。もしかすると、初めての本当の自分の本、といえるのかもしれません」と書いている。すでにベストセラーを含めて何十冊もの本を出している方だけど、そんな風に「初めての本当の自分の本」と思える一冊を書けたというのは、喜びもひとしおだったのではないかと思う。自分が心の底から大切にしていることを伝えるために、ありったけの思いをこめて、文章を書く。それはこの仕事で一番、愉しくて、難しくて、やりがいのあることだから。

中村文・たかしまてつを「あすナロにっき」

‥‥とにかくかわいい。問答無用にかわいい。萌え死にしそうなほどかわいい。いやほんと、恐るべき破壊力だ‥‥(笑)。

あすナロにっき」は、イラストレーターのたかしまてつをさんと、元編集者で今はフリーでDTPの仕事をしている中村文さんが飼っているナロという子猫の物語。一年ほど前、まだほんの小さな頃に知り合いが拾った子猫を、二人がひとめぼれして引き取ったのだ。家と塀の狭い隙間で拾われたので、「ナロー(narrow)」→「ナロ」という名前にしたのだという。二人はナロを飼いはじめた頃から写真やイラストをふんだんに使ったブログを更新していたのだけれど、このたび、それがめでたく一冊の本にまとめられることになった。

僕と中村さんは、昔、九段下にあった出版社の同じフロアで働いていて、以来ずっと仲良くさせていただいているのだが、去年の今頃、二人の家に遊びに行って、ちょうどこの「あすナロにっき」の頃のナロと遊ばせてもらったことがある(自慢)。両手のひらの中にすっぽり収まってしまうほどちっちゃなナロが、膝の上でくるっと身体を丸めていた時のほんわりしたぬくもりは、今でもよく憶えている。こ、この冷酷非情な男の心を溶かすとは‥‥。

この「あすナロにっき」、どのページをめくっても萌え死に要素テンコ盛りで、僕はもうすっかり全面降伏なわけだが(笑)、個人的に気に入っているのは、たかしまさんが左手でナロを抱きながら絵を描いている写真かな。あと、「後ろ足強化」の写真の踏ん張った両足にはツボった‥‥。あすナロまんがでは、断然「ニャバター」(笑)。

山野井泰史「垂直の記憶 岩と雪の7章」

山野井泰史の名前を初めて知ったのは、五年ほど前に、沢木耕太郎の「」を読んだ時だった。ヒマラヤの高峰ギャチュン・カンからの奇跡的な生還を描いたその本に、当時そうした高山の登山経験がまったくなかった僕は、あっけにとられたというか、ただただ圧倒されてしまった。それから数年後、冬のチャダルを旅した時に、山野井さんが挑み続ける岩と雪と氷の世界を、僕自身も入口からほんの少しだけ覗き込むことになったのだが‥‥。

その山野井さん自身が書いた「垂直の記憶 岩と雪の7章」が、最近になってヤマケイ文庫で文庫化されたというので、いい機会だと思って読むことにした。

日本が誇る世界屈指のクライマー、山野井泰史。少年時代からクライミングの魅力に取り憑かれ、ヨセミテやパタゴニアなどで数々のクライミングに挑んだ後、ヒマラヤやカラコルムの高山へ。チョ・オユー南西壁、クスム・カングル東壁、K2南南東リブなど、いくつもの難峰の登頂に成功。大人数で大量の装備を運び上げ、前進キャンプを設営しながら登頂を目指す「極地法」ではなく、単独または少人数で、酸素ボンベも使わず、最小限の装備でベースキャンプから一気に山頂を目指す「アルパイン・スタイル」でのクライミングを信条としている。七大陸最高峰制覇や八千メートル峰十四座制覇といったピーク・ハンティングには一切興味を示さず、ある意味、それよりもさらに困難な、しかし“美しい”ルートでのクライミングに、彼はずっと挑んできた。